Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 そして… 
* * *
――二年前 堕天使の聖堂付近



「命の灯よりもなお赫く 逸る血よりもなお熱く」
 ゆらり、と立ち上がった彼女の周囲を、ふわりと魔力が取り囲む。
 急速に変動する力場。
 少年の身体を今だ串刺したままの『それ』がはっとしたようにこちらを見る。
 彼女は、構わなかった。
 静かに、意識を集中し続けた。
 追憶の中で、言葉が自然と頭に浮かんでくる。
 その旋律を辿るように。
 その旋律を口ずさむように。
「古の長 分かたれし果て 汝の真たる名において」
 螺旋に練りあがっていく魔力。
 出現する魔法陣。
 あまりに強い波動は、彼女の手元にわだかまり、形を成していく。
「廻り舞い散る魂の 欠片 哭(な)きたる礎の
時掲げたる 流転の女神」
「まさか…その、力は…」
 『それ』が、驚いたように口走る。
 少年を地に投げ捨て、逃げるように後じさる。

――逃がさない。

 彼女は、すっと指を上げた。
「我ここに 汝を願う 我ここに 汝を望む」
 収束する魔力が、まとわりつくように『それ』の動きを戒める。

――許さない。

「尽きぬ命の杯に 生と死と死を司る
四属の謳の在る処(ところ)」
 彼女は、一気に力を結い上げていった。
 ごうごうと、風が――魔力が猛る。
 髪をはためかせ、一気に暴発していく。
 光の洪水。
「今ここに 顕されん」
 彼女が最後の言葉を紡ぐと同時、それが一気に形を取って、具現化した。
 神話の中から、そのまま抜け出してきたかのような。
 不死鳥。
 『炎』を司る、流転の女神。


『久しぶりだな、主』
 少女のように華やかな、老人のように深い声で、不死鳥は術者に語りかけた。
「…」
 彼女は、それが何を指しているのかは、分からない。
 ただ、すがるようにそれを見上げた。
「お願い…彼を…助けて、ほしいの…」
『そうだな…ならば、お前は私に何をくれる?』
「え…」
『召喚は、術者と召喚獣との、聖なる契約。古からの約束。無償で力を使うことは、できないよ』
「…」
 そんな、と呟く唇が微かに震えている。
 召喚獣に、あげることができるもの。
 彼女は、まったくそれを思いつくことができなかった。
 どうしよう…このまま何もあげるものを思いつかなければ…彼は、助からないのか…?
「私は…」
 ごくりと唾を飲み込んで、彼女は言った。
「私は…あなたにあげられるものを、…知らない。あなたは、何がほしいの?」
『…』
 優美な神獣は、くすりと微笑んだ気がした。
 ――それが彼女の錯覚だったのかどうか。
『そうだな、では…これからのお前の『時間』をもらおうか』
「え…」
『私をこれからも忘れないでいてくれる、というのなら、今回はそれで力を使ってあげてもいいよ』
「…」
 『忘れないでいてくれる』――記憶を失っている自分に、それが約束できるとは言い切れなかったが、彼女は悄然と頷いた。
 そうしている間にも、少年はどんどんと死に近づいているのだ。
『心得た』
 優しい声で不死鳥は言った。
 そして、聖地の番人に対峙する。
『今回は、私に免じて退いてくれないか』
「ノニエルの半身、か」
『分かっているのならば、話は早い』
「…」
 いくつかの問答の末に、番人はふっと背を向けると周囲の景色に溶け込むように消えていった。
 へたりこんだ彼女の目の前で、不死鳥は倒れた少年に首を向ける。
 ふっと息を吹きかけると、光のヴェールが彼を覆って、やがて無傷の身体がその下から現れた。
『彼の『時』を少しだけ戻した。これでお前の望みは叶ったよ』
 不死鳥は、彼女を見て、そういう。
 彼女はただ、頭を下げた。
「ありがとう」
『…』
 ふ、と不死鳥が笑ったような気がしたのは、彼女の気のせいだろうか。
 そのまま空に解けるように消えた不死鳥の後には、ウソのように静かな静寂が待っていた。
「…」
 夢のような。
 彼女は、しばらく呆然としたまま座り込む。
 身体がとてもだるくて、異様に疲れきっていた。
 肩で息をしながら、しかし、はっと現実を思い出す。
「あ…あんた…大丈夫…?」
 這うように地面を伝いながら、彼女は倒れた少年のもとにたどり着いた。
 見たところ、傷はない。
 ゆさゆさと身体を揺さぶると、彼はやがて目を開いた。
「あれ…オレ…」
 むくりと起き上がる。
 本当に、もう大丈夫のようだ。
 安心した彼女は、思わず少年に抱きついた。
「よかっ…たあ…」
「え、おねーさん…」
「何よ」
「う、えっと、オレのこと、嫌いじゃなかったの!?」
 あたふたと慌てたようにいう少年に、彼女はくすりと笑う。
 気が抜けて、涙が出てきそうだった。
 自然に微笑んだまま、彼女は照れたように言った。
「そんなわけないじゃない」
 そして。
「ありがとう。――クルス」


――現在 海賊船船内



「…て感じで、何となく今までずるずると一緒に旅してきたって感じなのよねー」
「うん、けど、オレは結構楽しかったよ〜」
「私も楽しかったけどさ。けど最初のこれは、『楽しい』『素敵な』思い出じゃないじゃない、さすがに」
 ぱたぱたと手を振りながらティナは答える。
「うーん、クルスさん、すごいですねー。ほれそうになりましたよ」
「えへへ〜」
 クルスは素直に赤くなる。
 ティナはそれを見て、変わらないなあ、と肩を竦めた。
 最初から、えらい純粋で、素直で、人がよくて――まあ、このなりで結構魔法は強力だから、侮れない。
「あーあ、喋ったらおなかすいちゃった。おかゆ、いただきます」
 手を合わせて、ティナは副船長の持ってきてくれたおかゆに手をつける。
 もぐもぐと食べながら、ふっと壁際に目を遣る。
 ――と。
「あれ?」
 扉の傍に居たはずの、カイオスの姿がなかった。
「あー、あいつ、さっき出て行ったぞ」
 ティナの目線と反応から、何がいいたいのかを悟ったらしく、アルフェリアが言う。
「そうなんだー」
 まあ、別に聞いてほしい話でもなかったのだけれども。
 そう思いながら、なおもおかゆを口に運んでいると、不意にアルフェリアが話しかけてきた。
「なあ、ティナ」
「ん?」
 首をかしげ、彼女は応じる。
 少し言いにくそうにして、黒髪のゼルリア将軍は、ぽりぽりと頬を掻いた。
「あんたの言ってた、『蒼い髪の女』って――碧色の目をしてなかったか?」
「えっと…」
 具体的なことを問われて、ティナは少し考える。
 だが、実際二年も前の、ほとんど通り過ぎるようにしか触れ合っていない他人だ。
 流れるような蒼い髪は、はっきりと記憶に残っていたが、目の色までは少し分からない。
「ちょっと…覚えてないかな」
「そーかい」
「何? 知り合い?」
 碧の瞳を持つのは、第一次天地大戦の折に、天使たちに導かれて消滅した東大陸から流入してきた、異民族たちだ。
 代々召喚を得意とする民族で、その容姿の美しさと珍しさから、売買の対象にされてきたこともある。
 ソエラ朝のデュオンの時代に、王朝の血筋に組み込まれた。
 しかし、その民族の半分は、第一次天地大戦での天使たちの温情に報いるべく、戦争後追放された天使を受けいれた混血児だと言われている。
 あまり、好かれている、とはいえない民族だが――。
「いや、何でもねーよ」
 ティナが口ごもると、アルフェリアは軽く肩を竦めて、あっさりと受け流した。
 そのまま追求を逃れるように、背を向ける。
「さって…じゃあ俺はこの辺で。あんたの話、結構面白かったぞ」
「あ、どうも」
「カゼ、早く治せよ」
 ひらひらと手を振って、彼は扉の向こうに消えていった。
 それを受けて、副船長――ジェイドもそれじゃ、と呟いてアルフェリアに続く。
「あ、おかゆ、ありがと」
 ティナは慌てて言ったが、それが彼に届いたかどうかは分からない。
 すっかりと人がいなくなった室内で、アベルがふっと首を傾げた。
「そういえば、ティナさん。一つ、気になったんですが」
「何?」
 ティナは首を傾げる。
 少女は、不思議そうな様子で話した。
「今の話からすると、ティナさんには、昔の記憶がないんですか?」
「えっと…まあ、そういうことになるわね」
「ぜんぜんそんな風には、見えませんでしたー」
「…」
 ちょっと沈んだ様子で、アベルは言う。
 少し気を使わせたかな、とティナは思う。
 思って、次にくすりと笑った。
「ま、記憶ないって、それなりに歯がゆいもんだけどね。今はそんな気にならないもんよ」
「ほえ」
「毎日楽しくって、とりあえず、記憶がないこと悩むよーな感じじゃないしね!」
「そーですか」
「そーよ」
 ティナはクルスと目を見合わせる。
 そして、アベルに向かって、にっこりと笑ってみせた。


「蒼い髪の女、ねえ…」
 部屋を出て、アルフェリアは呟いた。
 ふう、と息を吐き、虚空に語るように空を見上げる。
「ジュレス…?」
 まさか、な。と呟く彼の脳裏に、赤い記憶が過ぎった。
「…」
 それをあえて握りつぶして、彼は吹っ切るように歩き出した。


「…」
 ぱたん、とあてがわれた部屋の扉をくぐって、カイオスは息をついた。
 そのままベッドに腰掛け、ため息混じりに本を――魔封書を取り出す。
 身体はどうしようもないほどに、眠りを欲していたが、彼はあえてそれを無視した。
 やらなければならないことは、山ほどある。
 ルーラに着く前に。
「汝 我の望む知識を与えよ」
 呼びかけに応じて、魔封書が答える。
 体中の魔力を練り上げ深く集中する。
 彼は本が紡ぐ文字を読み解くことに、没頭していった。

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