――現在 アレントゥム自由市跡
「なかなか目が覚めませんわね…」
急ごしらえのテントの一つ。
女が二人と、彼女たちに付き添われて眠る金髪の男が一人。
せわしなく息をつきながら眠り続ける彼を見つめて、女性の一人――蒼い髪に碧色の瞳をあわせた彼女は、淡く笑ってもう片方を見た。
こちらは、青銀の髪に同じく碧色の瞳をした少女が、軽い調子で答える。
「そうね。ま、実際生きてるのが不思議なくらいのケガだったし」
「よかったですわねー。開いているテントが見つかって」
「確率的に言えば、奇跡ね」
さらりと言い切った彼女の瞳が、ふっとテントを横切り、往来――といっても、散らばる瓦礫と瓦礫の間に、かろうじて通ることのできる間を作っているだけだが――を見た。
つい、一ヶ月前までは、りんご祭りに湧いていたこの街は、今は見る影もない。
くたびれた廃墟は、その『惨劇』から一月以上を経た現在でさえも、生々しい傷跡と血の匂いの残り香を強く漂わせながら、数多のけが人と未だ葬られない死人たちを内包して、ただ淡々と存在していた。
『アレントゥム自由市』。
第一次天地大戦の折、天使イオスと魔王カオスが、互いに互いを刺し貫いて果てた場所。
人と歴史の邂逅地。
だが、ミルガウスに安置されていたはずの世界を分断する闇の石版が盗まれ、さらにそれを使って魔王復活を企む存在により、この街は吹き飛ばされてしまったのだった。
彼女たち――ジュレスとウェイは、たまたまこの街を訪れ、この崩壊に巻き込まれた。
そして、その後町外れの大戦遺跡『光と闇の陵墓』で、魔王の復活の兆しと、それを止めた『光の奇跡』を目撃した。
全てが終わり、遺跡を後にしたところ、突然目の前に傷だらけの――命に関わるほどの――青年が、現れ、そのまま意識を失ってしまったのだった。
驚いた彼女たちは、物資も満足にない都市で青年を介抱することにしたのだったが…。
「ま、この状況で、命がつながっているだけで、相当な強運の方でしょうね」
ジュレスは、さらさらとした蒼い髪を、くるくると指に巻きつけながら、穏やかに言う。
艶やかな髪に囲まれた白い肌は、滑るようななだらかさと完璧な輪郭を描き、濃い睫毛に縁取られた碧の瞳の幻想的な色彩とあいまって、はっとするようなあでやかさを見るものに刻み付ける。
隣りのウェイも、最高の人形師が最高の技量を全て注いで作り上げた、最上の芸術品のような肢体で、ジュレスに勝るとも劣らない容姿を惜しげなく周囲にかもしていた。
二人が並んでいると、こんな極限状況の中でさえも、恵んでもらえる物資に困らないから、とても助かる。
青年が助かったのも、彼女たちの見た目が、多少功を奏したといえなくもなかった。
もっとも――青年自身もそれなりに人をひきつける見事な造作をしていたが。
「あ、そういえば――わたくし、光と闇の陵墓のことで、思い出したことがありますのよ」
「ん?」
ふと、髪を遊んでいた指を唇に移し、ジュレスは睫毛の縁取る瞳を数回瞬かせる。
その仕種ですら優美な印象を与えるが、ウェイの方は特に何も感じた様子はなく次を促した。
「光と闇の陵墓でって…ひょっとして、あの『不死鳥』の話?」
「ええ、まあ。あの時の彼女を、知っている気がして…」
「…」
ウェイは、黙って続きをまった。
しばらく思案するように目を伏せたジュレスは、やがてふっと彼女を見遣る。
「そうですわね、この人も目が覚める様子もないですし、少しお話しましょうか」
紅を差した唇が、光を弾いて魅惑的に微笑む。
午後の日をその碧眼に映し込んで、ジュレスはぽつりぽつりと語り始めた。
■
――現在 セドリア海海上
「ティナーティナー! 大丈夫?」
「まったくー、船酔いがつらいからって甲板に出て、風邪を引いていたら、いけませんね!」
「後でジェーンがおかゆ作ってくれるってよ。…まあ、しっかり治せや」
「うー、黙っててよー、あったま痛いんだからさ…」
波を切って進む海賊船。
光の降り注ぐ、明るい船の一室。
少年と少女と青年に囲まれて、布団に包まっていた彼女、ティナ・カルナウスは、口々に降り注いでくる言葉から逃げるように、頭を布団の中に引っ込める。
三つの世界、天と地と地を分断する結界の要石、石版。
遥か昔、天界と地界に棲むという天使と魔族が引き起こした第一次天地大戦の折に、長引く戦争を終結させるため、作られたもの。
だが、天界側の石版も、地界側の石版も、ほどなく砕け散ってしまう。
天界側の石版――光の石版は、戦争責任を問われた天使たちが根こそぎ天界追放をされたために、実質空洞となったために、砕け散ったところで大した影響はなかった。
しかし、憎しみを糧とする魔族たちの住む地界――改め、地獄との境界を果たす闇の石版が砕け散るのは、大変な事態だった。
だが、それは過去に二度起こってしまう。
一度は、歴史の大空白時代の直後。それは、一度は集い、石版を護るシルヴェア国に安置される。
しかし、不安定な状態の石版は、それから約五十年後、当時のシルヴェア国の、三人の王位継承者たちを巻き込んで、再び砕け散ってしまう。
それから十年、ほとんどの石版がシルヴェア――改め、ミルガウスに集おうとしていた頃、ティナとクルス、彼らはミルガウスを訪れた。
ふとしたことから、石版を安置している鏡の神殿の放火犯と間違えられ、さらにふとしたことで、『何者か』に盗まれた闇の石版を奪還するため、アレントゥムに赴くことになった。
だが、アレントゥムへとたどり着いたティナたちを待っていたのは、想像を絶する事態に巻き込まれてしまう。
全ての起こりは十年前、息子を不慮の事故で亡くした一人の男が、魂を悪魔に売り渡し、世界が滅びることを祈った。
悪魔は、男――ダグラス・セントア・ブルグレアの意思を遂行するために、自身の手下となる分身を作り出した。
そして、七君主は闇の石版を集め、魔王を復活しようと企んだのだ。
七君主は、それを実行するための手下として、自分の『分身』を作り出した。
その一人、カイオス・レリュードに、ティナは持っていた闇の石版を奪われる。
その直後、魔王の魂を導くための生贄として、アレントゥムは滅ぼされ、ティナは魔王の復活を阻止するため七君主と対峙する。
しかし、彼女の召喚した不死鳥と七君主の戦いのあおりで、魔王の復活は阻止できたものの、石版は砕け散ってしまったのだった。
一応責任を感じたティナは、相棒のクルス、ミルガウスの王女アベル、七君主とは袂を分かったらしいカイオス、そして一つ目の石版を集める中で知り合ったゼルリアの将軍アルフェリア、そして海賊たちと次の石版を探す旅をすることになったのだが…。
「…仕方ないじゃない。眠れなかったんだからさ…」
だるい身体をあお向けて、ティナは天井に向かって呟く。
一つ目の石版を見つけ、ほとんどその足で旅立ったあの夜。
一緒に――というか、彼女よりも長時間船外にいた『あの男』は、しれっとしているのに、自分はあっさりと風邪を引くなんて、微妙に沈んだ心持ちだった。
「はー、何か、だっるいわー」
「うん…ティナが風邪引くなんて…、オレ、びっくりしたよ! バカは風邪引かないと思っていたのに…」
「あ、確かに、わたしも風邪を引いたことがないですよ。バカですからね! ティナさんとクルスさんと私で、バカ三人衆だと思っていました」
「すごい…バカでも風邪引くんだね!」
「新たな発見です!」
「あ…あんたらね…っ」
「………少年少女ってのは、残酷だねー」
青筋を立てた病人の横で、クルスとアベルはしみじみと語り合う。
一人余裕の表情で呟いたアルフェリアの横で、ノックの後に扉が開く。
「おー、入れや」
「………」
彼の返事に、扉を開けて入ってきたのは、海賊船の副船長ジェイドだった。
頭の先から足の先まで、ローブに身を包んでいるせいで、顔はもちろん、髪の色さえも分からない。口を開けば、生まれたときから表情をなくしたような、淡々とした喋り方をする。
はっきり言ってアルフェリアの苦手な分野の人間だったが、彼の持っているものを見て、おとなしく口を挟まないでおく。
代わりに振り返ったクルスが、ぱっと目を輝かせた。
「メシ!?」
「病人のだよ」
ほかほかと湯気を立てるおかゆだった。
「ジェーンが、あんたに」
言葉少なに病人に告げて、彼は陶器の食器を置くと、さっさとティナらに背を向ける。
「あ…ありがと」
「まったく…っんとに、アイソねーなあ」
「………」
あまりにあっさりした態度に、どこか面食らったように礼を言うティナと、呆れたようなアルフェリアを後ろに、ローブの青年がさっさと扉を開けようとすると、
「入るぞ」
涼やかな声と共に、逆に外から扉が開けられた。
ドアは中開きだ。
ローブの方が道を譲ってさっと避ける。
細身の身体の向こうから、彼特有の金の髪が、さらりと現れた。
青い、冷めた瞳がベッドのティナをちらりと見るのを感じて、ティナは布団を引き上げた。
何となく、気まずい。
「あ、カイオスじゃないですか」
アベルがのんびりと手を振る。
「…」
何気ない風に扉の向こうから半身を覗かせた、ミルガウスの左大臣は、狭い部屋の隅々から一斉に自分に向けられた五対の視線を浴びて、さすがに一瞬動きを止めた。
「どうしたのー? カイオスも、ティナのお見舞いに来たの?」
「いや」
クルスののんびりとした問いかけには、あっさりと否定をしておいて、彼はむしろその場の全員に言うように、声を通した。
「次の目的地が決まった」
「!」
全員がはっと目を見開く。
「どこだよ」
皆の心中を代弁するように、傍のアルフェリアが促す。
カイオスは、さらりと言った。
「ルーラ国。堕天使の聖堂」
「そりゃまた、具体的だな」
あまりに的確な言い方に、黒髪のゼルリア将軍が、斜めの言い返しをした。
対するカイオスは、信じるも信じないも勝手といった態度をとっている。
アベルは「そうですかー。ルーラ国って、どこでしたっけー?」とにこにこ笑っているし(ちなみにミルガウスの隣国である)、副船長は興味の欠片もないように無反応だ。
一方で、ティナとクルス、彼女たちの反応は、他の皆と違っていた。
「堕天使の聖堂!?」
「わーい! 懐かしいねえ!」
「な、懐かしいって…そんな生易しいもんじゃなかったじゃない…」
「そうだっけー? オレたちの思い出の場所だよー?」
「最悪の思い出の場所ね…」
二人の会話に、アベルが割って入る。
「何が、どうして、最悪なんですか?」
「いや、別に…」
「ティナとオレが始めて会った場所なんだよっ」
「まあ。それは、とっても素敵な思い出の場所じゃないですか!」
「………」
目を輝かせる少年少女の傍らで、ティナは頭を抱えた。
アレを素敵と言われては、彼女としては立つ瀬がない。
「ちょっと…待って、素敵でもなんでもなかったんだって!!」
「ひどいよ、ティナ! オレとの思い出を…っ」
「思い出は思い出でも、いろいろあるしょーが! アレはどう考えても、まともな思い出じゃないわよ」
「けどティナー」
言い合いの堂々巡りに陥りそうになったところを、再びアベルがひょいっと遮った。
「まあまあ、そんなこと言うんなら、その思い出とやらをここで話してみてくださいよ〜」
「え、こ、ここで?」
「聞きたいですよねえ、みなさん?」
ひょいっと周囲を見回したアベルは、にっこりと笑ってそうですよね、ともう一度念を押す。
これで、一応アベルの部下ということになっているカイオスや、なぜだか副船長まで、その場にとどまる気配を見せてきて、ティナは内心うわーと汗をかいた。
よりによって、あの時のことを、他人に――特に、あの男に知られることになろうとは。
「よし、じゃあ、話すよ! 昔々あるところに…」
「待って、クルス! 悪いけど、あんたに話されるくらいなら、あたしが話す!」
「ぶうーなんだよ、ティナ〜」
「あんたの話の出だしが、既に不安なのよ!」
何が『昔々』だ。
つい二年前のことじゃないか。
「…」
しかし、これで自分で話を進めて行かなければならなくなってしまった。
それはそれでボケツ掘ったかな…と思ったが、もういいやと思って、彼女はふうっと息を吐いた。
狭い部屋で自分の言葉を待つ聴衆たちに、ため息混じりに話し始めた。
「あたしがクルスと会ったのは…」
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