Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 シルヴェアの王子とルーラの王女
* * *
――ルーラ国国境付近



 青年の駆る馬は、流星のような軌跡を描いて、街道を疾走していた。
 流れる景色が眼下を過ぎ、たなびく風が彼の金糸のような髪を激しく後ろに流している。
「…」
 行き交う人間に十分に注意を払いながらも、彼――カイオス・レリュードは、手綱を握る手を緩めずに、ひたすらに先を急いでいた。
 闇の石版が砕け散って、早一ヶ月半。
 一つ目の石版がゼルリアで早速見つかったというミルガウスからの報は、世界中の人々を喜びばせることとなった。
 しかし、砕け散った七つの欠片――まだ、二つ。
 たかが、二つ目だ。
「!?」
「…」
 疾走する馬の背で、考え事をしていたのが災いしたか、それとも最近あまり休んでいない上に、丸一日馬をとばし続けていたのが悪かったのか――ふと、旅人と接触しそうになって、彼は舌打ちと共に手綱を引いた。
 危ういところで馬は人間を回避し、その勢いで失いかけた制御を、絶妙なコントロールでぎりぎり保つ。
 遥か後ろ。
 過ぎ去った景色の一部が、怒声を上げているのを、彼は風の音の中から拾う。
 内心の苛立ちはどうしてもたづなのさばき方に出てしまうが、引き返して詫びる猶予もなかった。
 魔封書から得た情報。
第一大陸中央部のミルガウス国と、同じく第一大陸南部に広がるルーラ国との国境に広がる、堕天使の聖堂。
そこに、おそらく――三つ目の闇の石版がある。
一刻も早い回収が必要だった。
だが、今回ばかりは多少の手間を取らざるを得なかった。
 堕天使の聖堂には番人がおり、その地に踏み入れるためには、ミルガウスの南方統治府と、ルーラ国首都レイシャーゼ両方の許可とその証としての『印』が必要なのだ。
 ゼルリアで石版を手に入れる過程で知り合い、成り行きで旅の『足』を提供してくれた海賊のロイドたちに送られ、歓迎の港ブランジュールに到着したのが、昨日。
 そのまま二手に分かれ、一方はルーラの首都へ、もう一方はミルガウスの南方統治府に行き、堕天使の聖堂付近の村で落ち合うことになったのだったが、ルーラ首都を経由するのとミルガウスへいったん迂回しながら北上し、再びルーラに戻るのでは、大分時間に差ができてしまう。
 そこで、カイオスが――立場上の王女の護衛を反故にしてまで――単身で馬をとばしているのだった。
「…」
 彼は無表情に前をみすえた。
 ミルガウスは遥か彼方。
 まだその片鱗さえも見えない。
(…一刻も早く)
 胸中での呟きが、握る手綱に力を与えた。


――ルーラ国首都レイシャーゼへの街道



 折からの道は明るい表街道を抜け、薄暗いどこかじめじめとした森に突入していた。
 そこを、どことなく早足で行き過ぎる若い男女五人のほかに、人影はない。
 時々、すぐ傍に生い茂る茂みの中から、小動物がかさこそと動く音、風が木々を揺らす音が、しっとりとこだましていた。
「暗い森ですね〜。さっさと抜けてしまいましょう」
 こんなときでもからっと朗らかに口火を切るのは、一行の中心で黒い髪を風に遊ばせている、十四、五の少女――アベルだ。
 十人中確実に十人が、彼女が世界の頂点に君臨するという大国ミルガウスの第ニ王位継承者だと気付かないだろう。世間知らずなところを除けば、そこらへんに転がっている、いわゆる庶民の娘と大差ない。
「にゅ! この森には、オレの好きな肉が少ない気がする!!」
 少女――アベルの言葉に応じたのは、茶色いふさふさの髪を揺らした、彼女よりも少し年下の少年、クルス。
 喋っていないときは何か食べている、寝ながらでも何か食べている、ともっぱら定着している彼の手には、果物が今もにぎられている。
 そんな少年に向かって、紫欄の目を呆れたように細めた彼女、ティナは、目に浮かべたそのままの感情を声に乗せて、
「残念だけど、まだまだこの森続くわよ」
「うー」
「ホントねえ、あんたの食費が一番かかってんだから、ちょっとは食べるのひかえなさいよ!」
 軽くため息をついた彼女に、ふと隣りから話しかけるけはいがする。
「けどよ」
 四人目――黒い髪に黒い瞳、二十代半ばほどの精悍な男――ゼルリアの将軍、アルフェリアだ。
 油断のない視線の遣り方に、どこか余裕を感じさせる身のこなし。
 それでいて、どこか少年のような面影も、そのしなやかな体躯のなかに残している。
 今もどこか子供じみた仕種で肩を竦めて、彼は軽い調子で続きを述べた。
「どうせ、旅費はミルガウスが出すんだろう? 別に好きなだけ使えばいいじゃねーか」
「ま、そーなんだけどね」
 かなり現実的なことを指摘されて、ティナはひょいっと肩を竦めた。
「まあ、好きなだけ使っちゃえばいいんだけどさ…。何気にカイオスがものすごくにらんでるのよね…。食事の追加注文頼むときになると」
「まあ、一回の食事で金貨十枚出させられれば、にらみたくもなるんじゃないですか?」
 あはは、と笑いながら口を挟んだのは、アベル。
 ちなみに金貨十枚は、大の大人が一日休みなくはたらいて、やっと手に入れられるような額だ。
「クルスは食べすぎなのよ」
「結局、出させてるんだからいーじゃねーか」
 ティナとアルフェリアの言葉が重なって、アベルはふふっと笑った。
「カイオスは、もともとそんなに裕福な感じでもなかったみたいですし、金銭感覚はふつーの人と同じですからね。まあ、にらもうがなんだろうが、出させるだけ出させたモノ勝ちですよ!」
 だから、クルスさん、遠慮しないでくださいね、とアベルが笑いかけた先で、少年は果物をほおばったまま、にゅ、と頷く。
「副船長さんも、そういうわけですから、遠慮しないでくださいねっ」
 続けてアベルが笑いかけたのは、一人列を離れて歩く、全身をローブで包んだ青年だった。
 淡々とした話し方で、どこか空気に向かってしゃべっているような印象を受けて、ティナはあまりこの青年が得意ではない。
「…」
 今も、彼はアベルの言葉を聞こえていないかのように、無反応を決め込んでいた。
 無反応――といえば、ここにはいない、今は別行動をしているカイオス・レリュードもよくそういった『無反応』を決め込むことがあるが、彼の場合は故意的に話を流そうとしているのがこちらにも分かるのに対して、副船長の場合は、本当に言葉自体が聞こえていないかのような印象を受ける。
 彼ではなく、こちらが空気になってしまったかのような。
「おい、てめー、聞こえないのかよ」
 案の定の態度にかちんと来たのか、アルフェリアが険を含んだ声音をよこす。
 それをも黙殺した副船長に対して、眉を上げたゼルリアの将軍が次の一言を言い出さないうちに、ティナは慌てて話題を変えた。
「えっと、そういえば、カイオスとはいつの合流なんだっけ?」
 彼女たちが成り行きで集めている『闇の石版』は、このルーラ国と、カイオスが向かっているミルガウス国のちょうど国境、『堕天使の聖堂』と呼ばれる地にあるらしい。
 この地に入るためには、ミルガウスとルーラの両国の『印』が必要なので、とりあえず二手に分かれてそれぞれが印をもらってくることになっているのだ。
 一旦別れた地点からは、ミルガウスの方が大分遠回りになるため、カイオスが単身でミルガウスに向かい、それ以外のメンバーはルーラを目指すことになった。
 ティナが口にしたのは、その合流の時期だ。
 一応、『堕天使の聖堂』の付近の村で落ち合うことになっているが…
「さあな…。まあ、どう考えても、あっちの方が一週間は余分にかかるだろう」
「そうか…」
「それまでに、何も起こらなきゃいいがな」
 さりげなく続いたアルフェリアの言葉に、ティナは真剣に頷いた。
 アレントゥムで砕け散った闇の石版の欠片、その一つ目の欠片がアルフェリアが将軍を務めるゼルリア国付近の海上に落ちた。
 聖獣と融合した欠片は、その海上を通ったあらゆる『生物』を蒸発させ、その力が暴発し続ければゼルリアの首都デライザーグさえも灰になりかねなかった。
 ――それを思っているのだろう。
「急がなきゃ、ね」
 そのためには、彼女たちも一刻も早くルーラの首都に行かなければならない。
「順調に行けば、あと三日…」
 そう呟いたとき、彼女の耳に、森の深遠を切り裂いていく女のかん高い悲鳴が、遠く聞こえた。

* * *
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