――ミルガウス・ルーラ国境 南方守護府
馬を乗り継いで、五日五晩。
金の髪を風にたなびかせ、ほとんど無休で道を急いでいたカイオス・レリュードの行く手に、強大な壁が姿を現した。
ミルガウス南方を護る、南方守護府。
その圧倒的な存在感は、『人の手によりてつくられた山脈』と称される。
ルーラ国との接点、そして、堕天使の聖堂へのミルガウス側の印を発行する場。
ミルガウス中心部から見れば、辺境にすぎないが、アクアヴェイルやシェーレンからの品がルーラを通ってミルガウスに流れ込む際の物流を統括している陸の道の要でもある。
かの地を統括するのは、若き青年シルヴァード。
シルヴェア時代の王宮で、若くから類まれな才能を発揮し、同世代のジェレイド・カーダと並んで、将来のミルガウスの双璧となると噂された。
だが、シルヴェアの末期に石版が砕け散り、その直後から始まった賢王の『粛正』によって、ジェレイドは追放、シルヴァードは冤罪を着せられ『暗黒の地下牢』へと入れられてしまう。
その後、彼はミルガウス国王ドゥレヴァの無謀な外交政策のおかげでゼルリアの小競り合いだけではなく、ルーラとの関係までも危ういものにしたとき、後に左大臣を拝命されるカイオス・レリュードによって牢から救われ、南方守護府を率いて兵を使わずにルーラ国との関係を修復してしまう。
その絶大な実力と領民たちからの信頼、そして新しい左大臣の口ききによって、彼はそのまま南方守護府を率いることとなったのだった。
行く手に立ちふさがる壁の中央部に、人の波とにぎわいのざわめきが見えてくる。
城下町ごと内包する腕のような壁の傍で、商人たちの取引が活発に行われているのだ。
彼ら一人一人の顔が見分けられるようになったときには、彼は大分馬の速度を落としていた。
そのまま喧騒を駆け抜け、街の中に入る。
馬を下りて、兵士の駐屯所に向かった。
たくさんの商人や旅人で賑わう待合室に入ると、奇異を見る視線が一斉に彼を貫く。
「…」
特に何も反応せず、カイオスは、開いた椅子のひとつに座った。
隣りの男が眉を上げて、物珍しそうにそちらを伺う。
淡い茶の髪に漆黒の瞳。
どこかの大食らいな少年を彷彿とさせる色彩の、十五六の少年だった。
「あんた、アクアヴェイルから来たん?」
「…別に」
「珍しいなあ」
独特の発音が、耳につく。
カイオスは冷めた色の目を隣りに遣った。
「キルド族か」
「せや。仲間の使いで印を受け取りにな」
「…」
「オレも珍しい色やろ」
キルド族は大抵、緑がかった髪に、薄い茶色の瞳を持っている。
他の民族や国家からはほぼ完全に独立しているキルド族の中に、『よそ者』が紛れ込んでいるのは、異国人がミルガウスの『左大臣』をしているのと同じくらいに、珍しいし奇妙なことだった。
「けど、お互い運がわるいなあ。ここ最近石版の影響を憂慮したってことで、印の発行はやってないんやて」
「…知っている」
印の発行を指し止めたのは、ミルガウス王国の左大臣だ。
平然と答えたアクアヴェイル人の男に対し、キルド族の少年はひょこっと首を傾げる。
「せやったら、何でここにきたん?」
「領主に会いに」
「へえ…。けど、それも難しいで」
「…」
「ここに居る人間全員が、領主さんに会いに来てはってん。にーちゃんの番は、多分だいぶ先やで」
肩を竦めた少年に対して、カイオスが答える前に、さらりと別の声が割り込んだ。
「その必要はないよ」
「!?」
「…」
肩を竦める少年と、無表情に視線を移すカイオス。
周囲の視線も何気なくその男を目に留めて、はっとしたような沈黙が落ちる。
ぽつりと空いた人の目の真ん中で、一人泰然と立った青年はカイオス・レリュードに向かって、軽く目礼をしてみせた。
「お待ちしておりました」
「り、領主はん…」
キルド族の少年が、驚いた声を上げる。
幾多の視線の真ん中で、鳶色の髪に彩られた柔和な顔をした青年は、蒼の目をやんわりと細めてみせた。
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