東方の民と呼ばれる人間達がいる。
第一次天地大戦の折に、天使の力で海を越えた異民族と違い、自力で海峡を渡り消滅した東大陸から移り住んできた人々だ。
彼らは主に、第一大陸『中央部』の極東に住み、長年自由自治という形で、ソエラ、シルヴェア、そしてミルガウスの統治下に組み込まれていた。
鳶色の髪に蒼の瞳を合わせた民族。
だが、自由な『被支配民族』の中で、たった一族だけ、『支配者側』に上り詰めた一家が居た。
コークス家。
賢王の『粛正』が行われた際、ドゥレヴァによって滅ぼされた一家。
シルヴァードはその一族の出だった。
「久しぶりですね」
自身の屋敷の応接間にカイオスを通して、シルヴァードはやんわりと笑った。
「あなたと話をしたのは、あなたが僕を牢から出したとき以来か」
「…よく俺が来ると分かったな」
思い出話はさらりと受け流して、確信的なことを聞けば、シルヴァードは口の端を上げる。
ふんわりと空気を和ませる雰囲気と、そのなかでも感じられるしっかりと貫かれた芯のようなものが、彼の人格の深さを感じさせる。
「用もないのに、聖地の通行を禁じる方じゃないだろう、あなたは」
「…」
「印の発行ですね。心得ました」
カイオス・レリュードよりも、七つ年上なだけの年若い領主は、ふっと息をついて立ち上がった。
「…」
その動作を何となく、カイオスは目で追う。
――本来ならば。
シルヴェアの石版が砕け散ることなく、ドゥレヴァの粛清が行われなかったならば。
間違いなく、国の中心を担っていた人物。
今彼は淡々と、辺境で自分のすべきことをこなしている。
ドゥレヴァに冤罪を着せられ、暗黒の地下牢に五年もの間閉じ込められていた。
カイオス・レリュードが彼に面会したとき、衰え果てた姿で、だが、彼は静かな瞳で一言、問うた。
シルヴェアはまだ、生きていますか、と。
表面上は、何の不満もなくことをこなしているように見える。
穏やかな人柄の内実は、ちょっとしたことでは伺えない。
「…――」
口を開いたのは、そんな彼の内面を知りたかったわけではなかったが。
「ゼルリアとミルガウスの境の町に、ジェレイドのいう名の男がいるそうだ」
彼自身は、ジェレイドに会ったことはなかったが。
あいまいな記憶を頼りに、簡潔に述べると、シルヴァードは動きを止めた。
ゆっくりと話を飲み込むように間を置いて、彼は口調は変えず、穏やかに言った。
「そうか…。生きていたのか」
「本人かどうかは分からないが」
シルヴァードがドゥレヴァに投獄された理由。
それは、『冤罪』と言うよりも言いがかりに近い――ジェレイド・カーダが禁断の書を紐解いた、そのせいでジェレイドは王宮を追われてしまうが、シルヴァードが投獄されたのは、その彼と懇意にしていたからという、理不尽極まりないものだった。
その理不尽極まりない理由で、ドゥレヴァはコークス家を断絶させ、シルヴァード青年一人を投獄したのだ。
残酷な話だが、当時は決して珍しいことではなかった。
それが、賢王の『粛正』だ。
「…」
シルヴァードは、やがてぽつりと落とすように笑った。
気負いのない、笑みだった。
「まあ、僕個人のことは、このくらいにしておきましょう。よい知らせをありがとうございました」
「…」
「ところで、あなたの耳に入れておきたい、ちょっとした『事件』が」
口元に浮かべた笑みをふっと消して、シルヴァードは蒼い目をミルガウスの左大臣の方に、刺し貫くように向けた。
■
最近、一人の男がミルガウス南方守護府を訪ねて来た。
金色の髪、青い瞳。
整った顔立ちの青年は、城下町で自分と『同じ顔』の青年を見なかったかと尋ねて回り、挙句この守護府に足を踏み入れ、聖地の印の発行を強要してきた。
あまりの不審な行動に、兵たちが取り押さえようとしたところ、不可思議な『術』を使って、突如『消えた』という。
「僕自身はその場にいませんでしたし、確実なことはいえませんが」
シルヴァートはそう前置きして、
「兵たちの証言からすると、どうもあなたとよく似た人物だったようだと」
ちらりとそちらを伺いながら淡々とした口調で言った。
そうしながら、じっとカイオスの顔色の推移を観察する。
表情に変化の乏しいミルガウスの左大臣は、それこそ眉一つ動かさなかったが、眉間のしわが二倍に増えた。
「…お心当たりでも?」
「…別に」
やんわりと聞けば、はねつけるような言葉が返ってくる。
それを表面は穏やかに受け止めながら、しかし内心シルヴァードは息を呑んでいた。
ここまで来れば、何か心当たりがあることは確実だが、こうまで言動に態度を表すとは。
よほど余裕がないのか、よほどこのことを聞いて腹が据えかねているのか。
新たにきざまれた眉間のしわを見れば、おそらく後者だろう。
(…彼自身の問題か?)
異国人の彼は、驚くべきことに、正確な呼び名も正確な出身地も『わからない』という。
その人知れない空白に何が潜んでいるのか。
カイオス・レリュードの反応だけでは、さすがにそこまでは伺うことはできなかったが、シルヴァードは一応言葉で念を押しておいた。
「兵はいつでも出せますが」
「必要ない」
「そうですか」
「実害があったわけではないんだろう」
「それもそうですが」
事務的な返答を聞く限りにおいては、眼前の男は冷静そのものにも見える。
真意を測りかねて、南方守護府の領主は、微かに眉を寄せた。
実害はなかったが、野放しにしておくには後味が悪すぎる事件ではある。
それとも、カイオス自身が決着をつけるというのだろうか。
「…」
視線でいくら語りかけても、水のように流された。
つかみどころどころか、実体すらもないような。
挙句にはあきらめて、シルヴァードはため息を殺して静かに言った。
「では、印の手配を。今夜はゆっくりお休みください」
「ああ」
さらりと返された言葉や態度のどこからも、もはや先ほどの苛立ちは感じることはできなかった。
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