Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 歓迎の都の影
* * *
――ルーラ国首都王城



「さって…何とか無事にここまでこれたわねー」
 華やかな王城の客室に通されて、ティナはほっと一息ついた。
 寝室は別だが、クルスやアルフェリア、そして副船長も今は一緒にいる。
 特にアルフェリアは何か聞きたげな表情をしていた。
 それが『何』を指すのかは分かっている。
 ティナはあえて軽く首を竦めると、彼に笑ってみせた。
「それで…ここに来る途中で出会った『彼』のことなんだけど」
「あんたはヤツに面識があるし…、実際に何か知ってるみてーだな。教えてくれるか?
――彼は誰で、あの左大臣とどういう関係で、あの術は一体何なのか」
 おそらくおおよその事情を知っているクルスはともかく、アベルや副船長までも、じっとこちらを伺っているようだった。
 ティナは、息を呑んだ。
 慎重に、だが深刻にはならないように気をつけながら、吐き出す。
「実際にはね、わたしもホントのことを全部知ってるわけじゃないの」
 カイオス自身の口から聞いたのは、『彼が七君主の『分身』だということ』だけ。
 後は彼女自身、七君主の言葉や、ダグラスの言動から、いろいろな裏事情を勝手に想像しているにすぎない。
「確かに少しは知ってる…けど、今は言えないかな」
 はっきりと口にすると、あからさまにアルフェリアは眉をひそめた。
 口には出さないが、なぜ、とその表情が問う。
 ティナは受け流すように笑った。
「だって、わたしの口から言うことじゃないもん」
 それは、彼が自分自身で言うべきことだ。
 他人の自分が勝手に明かしていいことではない。
 そのまま流してしまうように、言葉を続けた。
「ただ、あいつとカイオスの間には確執がある。それだけは確かね」
「その『確執』とやらは、左大臣が石版を盗んだことと関係はあるのか」
「………」
 静かな、だが鋭い指摘に、ティナは思わず口をつぐんだ。
 軽はずみに答えられることではない。
 かといって、受け流せることでもない。
 アベルは目を大きく開けているし、クルスも息を詰めてこちらをじっと伺っている。
 深い沈黙が流れた。
 部屋中の空気がよどんでしまうほどに。
 やがて。
「関係は…ある」
 乾いた口から乾いた言葉を、かろうじてティナは出した。
 低くかすれた言葉は、乾いた部屋の中に、妙に大きくこだました。
「………」
 じゃあ、とアルフェリアが吐き出す。
 その目は、一切の光を失った底知れない闇を湛えていた。
「詳しいことは分からないが、あいつは、また裏切る可能性がある。そういうことだな」
「………!」
「そんなこと!」
 アベルとクルスが、同時に反応する。
 だが、ティナはその邪推を吹き飛ばすことができなかった。
 ダグラスが目の前に現れたとき、同じことを思った。
 その懸念は今も生きている。
 ――消えない、どうしても。
「………決め付けるのは、どうかと思うけど」
 長く考えた末に、やっと言った。
「彼の情報は実際石版を集めるのに役立ってるし、今は味方だと思っていいと思う。けど…」
 その言葉を、『言葉』にするのには、思った以上に覚悟が必要だった。
「けど、本当に信じ切ることができるかって言われたら…難しいと思う」
「ティナさんまで!」
 非難するように声を上げるアベルのことを、ティナは直視することができなかった。
 逃げるように言葉を紡ぐ。
「まあ…注意するに越したことはないのかも」
「…」
 クルスが、何か問いたげな表情をした。
 少年が口を開きかけたとき――
「失礼いたします」
 ドア越しに声がかけられて、全員が弾かれたように振り返る。
 ちょうどドアの向こうから現れた人物が、その視線を真っ向から受け止めて、驚いたように瞬きをした。
 だがすぐに本来の『その人』を取り繕う。
 ひげをたくわえた中年の男性。
 恰幅のいい体型と、その全身から滲み出す威厳が、見事に合致している。
 どことなく野心めいた目つきが、鋭い光を周囲に放っていた。
 随分と高位の人間だ――そのたたずまいで、ティナにもそれは何となく分かった。
 その割りにお供を連れていないのは、内密の話があるのか。
 アルフェリアとアベルが、すっと礼を取った。
「お久しぶりです。ルーラ国王弟ハーヴェルド地方領主、ハイケル殿」
 王弟。
 慌てて跪こうとしたティナに軽く手を振り、彼は豊かな声で告げた。
「どうかそのままで。我が姪を助けていただいて、ありがとうございました。よもやこのようなところでお会いするとは思いませんでしたぞ。アベル王女、アルフェリア殿。そして、そちらが…」
 朗々と響き渡る声は、アルフェリアやカイオスすら身につけることのできていない、人間としての年月を蓄えた深さを宿している。
 海のような深さ。
 ティナは姿勢を正して告げた。
「ティナ・カルナウスです」
「オレは、クルスだよ」
「………」
 壁際の副船長は、終始沈黙を貫いていた。
 しばらく彼にも視線を止めていた王弟は、気分を害した様子もなく先を続ける。
「ともあれ、本当に感謝の意は語りつくせません。聖地を通行する『印』をご所望だとか。さっそく用意させます。おそらく明日中には」
「よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げたアベルの隣りで、アルフェリアが口を挟む。
「それはそうと…一つこちらからお聞きしたいことが」
「何でしょう」
「俺たちが、王女を見つけたとき、彼女は賊のようなものに襲われていました。確実なことはいえませんが…おそらく、彼女の命を狙った者かと」
「…」
「お心当たりがあるんですね」
 一瞬だけ顔色を変えた、王弟ハイケルの微かな表情の変化を見取って、アルフェリアは鋭く告げた。
 ハイケルは、取り繕ったように瞬きをした。
 将軍の誰何に、余裕の表情で切り返す。
「何も、心当たりなどは」
「そうですか」
「何かあったかと思うと、それこそ息の止まる思いです。あなた方への感謝は測り知れない」
「…」
 アルフェリアは、もう何も言わなかった。
 そのままハイケルは続ける。
「本来ならば盛大な宴を催したいのですが、お疲れでしょう。後ほど王家の者の個人的な晩餐にお招きしますので、もう少々お待ちください」
「王家の…!?」
「晩餐っ…!!」
 ティナとクルスの声が、見事に一致する。
 それを薄く笑って見遣り、王弟はさっと席を立った。
「それでは、私はこれで。後ほどお会いしましょう。失礼します」
「…」
 ティナたちは素直に見送ったが、アルフェリアは最後まで不審な目を和らげようとしなかった。
 それを平然と受け流して、ハイケルは扉の向こうに消えていった。

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