「…ねえ、何かおかしいことでもあるの?」
ハイケル王弟殿下が扉の向こうに消えたのを確認してから、ティナは口をはさんだ。
さきほどのカイオスのことをうやむやにする気はないが、王弟に対するアルフェリアの態度も、それはそれで気になる。
彼女の懸念には、アベルの方が答えた。
世間知らずの王女は、のんびりとツメを研ぎながら、
「えっとですね、最近、ルーラ国がミルガウスに対して戦争を起こそうとしているらしいんですよね」
「え!?」
ティナはぱちぱちと目を見開く。
旅をしているティナたちの耳には、そんな噂は届いていない。
戦争するとなると、兵士や武器や馬や、とにかく無駄に物資が必要になる。
それを集めれば、どんなに気を使っていても不穏な噂はいやおうにも立つし、それは旅人たちの間で驚くほど敏感に、迅速に伝染していく。
「そんな動き…あったの…」
「えっと、まだ目に見える動きじゃないんですよ。味方集めを呼びかける段階というか、何というんですか…。ミルガウスと戦争をしようとしても、ふつうルーラに勝ち目はないんですね」
「えっと…うん」
「ミルガウスの騎馬隊、飛竜隊は、世界一だし、同盟のゼルリアが海から攻めればさっさとカタはつく」
釈然としない表情のティナに、アルフェリアが告げた。
「ルーラが勝つには、最低限まずどこか別の国と同盟を結ぶしかない。まあ、差し当たって、アクアヴェイルか、シェーレンだろうな。どっちもそんな話に乗るほど、暇じゃないとは思うが。で、ルーラから諸国への同盟を呼びかける密書が見つかったんだよ」
まだ、公表してないことだが、とゼルリアの将軍はさらりと言い放つ。
ティナとクルスは、顔を見合わせた。
「いいの? そんなこと、言っちゃって」
「部屋の外にも屋根裏にも、伏兵や、密偵のけはいはない。今のところはこっちの話はあっちに聞かれてない」
「…」
あっさりと言い切ったアルフェリアに、ティナは無言で息をついた。
単に自分がまだまだ甘い性格なのか、アルフェリアがさすがに抜け目のない性格なのか。
こんなときだ、違うなあ、と感じてしまうのは。
気を取り直して、彼女は続ける。
「それと、ルーラの姫がおそわれていたのと、どう関係があるの?」
「ルーラのテスタロッサ姫は、ルーラの王家の中でも数少ない――いや、唯一と言っていい親ミルガウス派だ」
「…」
「フェイ王子への入れ込みようを見ただろ。それだけじゃない。彼女は、今でも王子の『婚約者』として、ミルガウスへは特別懇意なんだ」
「実際、以前ミルガウスとルーラが仲が悪くなったときでも、彼女だけは最後まで話し合いでコトを収めようとしていましたし」
アルフェリアの言葉に、アベルが添える。
それを引き継ぐ形で、彼は続けた。
「たとえばな」
彼は、整理をつけるように間を置いた。
「ルーラは秘密裏に、ミルガウスに攻め込む同盟を募っていた。ミルガウスやゼルリアには、そのことはまだ露見していない」
だが、ルーラの第四王女、テスタロッサ姫はミルガウスに好意を抱いている。
そんな国への陰謀に加担できるだろうか。
「口ではナンとでも言いつくろえる。彼女は、本当は、ミルガウスにそのことを伝えるためにルーラの城を抜け出したんじゃないか、ってことさ」
その途中で、彼女の行動に気付いた追っ手に追いつかれてしまった。
それは、おそらくルーラ王城内で、ミルガウスへの反勢力を募っていた人間たちの放った刺客だろう。
ルーラ王城内での足並みをそろえるため、そして『敵国への』秘密の露見を防ぐため。
自分の命を狙っていた暗殺者とルーラの姫君が親しげに会話をしていたのは、そういう理由があるんじゃないか。
さらりと語り終えてみせて、ゼルリアの将軍はどうだ、と言う風に周囲を見る。
言葉を詰まらせながら、ティナは何とか反応した。
「じゃあ…最初から、彼女の境遇を分かってたのに、王城まで連れて来ちゃったの?」
アルフェリアの話が真実だといるならば、テスタロッサ姫にとって、この城に帰ってくる、ということは、かなりつらいことだったはずだ。
だが、驚いたように紡がれたティナの言葉を、彼はあっさりと斬って捨てる。
「言ったろ。あくまで『想像』。『そういう可能性もある』。――まあ、テスタロッサ姫やらハイケル殿を見てると、あながち外れてもいなさそうだが」
「…」
「それに、仮にそれが真実だとしても、建前上、『オレたちは、何も知らない』んだ。下手に知ってるそぶりを見せてみろ。それこそ、生きてこの国を出られねーぞ」
「うん…」
アルフェリアの言っていることは、正しいんだろう。
ただ、テスタロッサ姫のことを考えると、どうしても穏やかではなかった。
彼女は、アルフェリアの想像どおりだとすれば、確実にきわどい位置に置かれているはずだ。
果たして、これからも平穏に暮らせるのか…。
「………」
室内の言葉は自然に途切れ、何かを思案するような沈黙がしっとりと流れていった。
やがて、侍女が食事の用意ができたことを告げに来た。
先ほどの話が頭を離れない。
何せ、ミルガウスの王女やゼルリアの将軍がいるのだ。
毒でも入ってるんじゃ…と疑うティナに、そんなことねーよ、と軽くアルフェリアは告げる。
「連中もそこまでバカでも無謀でもないだろ」と。
その言葉どおり、ルーラ国の国王や王弟殿下、そして八人の王位継承者たちに囲まれての晩餐会は、おいしい料理をたしなみながら、和やかな雰囲気で過ぎていった。
だが、その中で一人だけ、暗い表情をしたテスタロッサの面持ちだけが、ティナの目に焼きついて、離れることはなかった。
そして、その翌日だった。
テスタロッサ姫がさらわれた、とティナたちが聞いたのは。
■
「姫がさらわれた!?」
ティナたちが、その話を聞いたのは、彼女たちが先日街中で会って城に案内をしてくれた、フォードという少年兵士からだった。
やけに騒がしい城内の中、彼女たちに聖地の印を届けに来た少年兵士にその事情を聞いたところ、返ってきたのは想像を絶する答えだった。
「それってホントなの? えっと…フォード」
先日彼女たちを城まで案内した、顔見知りの兵士は、暗い表情で頷く。
今朝方、侍女が部屋にお伺いしたときには、部屋はすでに空っぽだった。
ベッドに体温が残っていなかったから、いなくなったのはそう近いことでもない。
一体、どこに消えてしまったのか。
それとも、『故意的に』、『消された』のか。
「…」
アルフェリアやクルスと顔を見合わせたところで、荒々しく扉が開いた。
弾かれたように一斉に注目する視線の向こうに、王弟ハイケルが険しい顔で立っている。
「フォード、余計なことを告げるのではない」
「ハイケル殿下!」
慌てて跪いたフォードを横に、王弟は鋭い目線をティナたちに向ける。
焦燥、そして怒り。
それは、テスタロッサ姫を心配する以外の、なにものでもない顔だった。
「…ハイケルさん…」
「どういうことですか」
ティナとアルフェリアの言葉が重なる。
だが、王弟は一刀に伏すように、あっさりと告げた。
「王家の問題です。お気になさらぬよう」
「しかし」
「あなた方には、やらねばならぬことがあるのでしょう」
なにか言いかけたゼルリアの将軍の言葉を、壮年の王弟はさらりと封じた。
傍らを振り返り、少年兵士に短く告げる。
「この方々を、街の外までお送りしろ」
「は」
「それではわたしはこれで。失礼いたします。旅のご無事を」
慇懃に礼をして、彼は扉の向こうに消えていった。
その姿のどこからも、不審な様子は見られなかった。
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