Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 歓迎の都の影
* * *
 朝の早い、まだ人の起き出したばかりの街中を、ティナたちは声なく、ずんずんと歩いていく。
 その各々が、何か考えるような、思いを馳せるような、そんな面持ちを浮かべていた。
 やがて、城壁まで一行を送ったフォードは、一礼して姿勢を正す。
「それでは、お気をつけて。旅のご無事をお祈りしています」
「うん、ありがとね」
 釈然としない思いを感じながらも、ティナはあえて明るい声を出す。
 そのまま、ニ三歩行きかけたとき、背後から声が上がった。
「あの…」
「?」
 振り返る。
 集まった視線の先で、少年兵士は今にも倒れそうなくらいに、蒼白な顔色で立っていた。
 蒼白な顔で――何かを覚悟した表情で。
「あの、お願いがあるんです!」
 フォードは勢い良く頭を下げた。
 握りしめたこぶしが、ふるふると震えている。
「あの…こんなこと、オレが頼めることじゃないって分かっています! あなたがたが、何か重要な目的で旅してることも…。けど、けどお願いします! 姫さまを助けてください!」
「………」
 ティナたちは、顔を見合わせる。
 少年は下を向いたまま、吐き出すように呟いた。
「姫さまは…命を狙われているんです」
「それは…」
 知っている。
 だから、何とかしたいとも思う。
 けれども、彼女はどこに連れ去られてしまったのか。
 何も情報がないままに、安請け合いはできない。
 それに、ティナたちだって、やらなければいけないことがある。
「………」
 黙り込んでしまった中で、不意にけはいが動いた。
 ひらりと翻ったローブが、さらりと頷く。
「オレが行く」
「え!?」
 意外すぎる人物の発言に、全員が目を剥いた。
 今までいたかいなかったかも分からない人間が、突然言葉を発したのも意外だったし、王家との晩餐ですらローブを脱がず、言葉ひとつなく過ごしてきたような究極の無関心が、王女を助けるといったのも、意外だった。
 驚きを通り越して、奇異の視線の只中で、ローブの青年ジェイドは淡々という。
「オレなら探索の魔法が使える。問題ない」
「そ、そういう話じゃなくて…」
「あんたらはさっさと石版を探しに行けばいい」
 一人で十分だ。
 言外にそう告げて、彼はさっさと歩き出す。
 あまりのことにあっけにとられた人間たちの中で、始めに正気に戻ったのは、フォード少年だった。
「あ、ありがとうございます!!」
「………」
 それにすら応えず、ジェイドはそのまま本当に歩き去ってしまっていった。
 本人曰く、『探索の魔法が使える』とのことなので、姫を救ったあとで、ティナたちに合流するのもたやすいのだろうが。
「マイペースなひとですねえ」
 小さくなっていくその背を見送りながら、のんびりと呟くアベルの隣りで、
「…なんだあいつ」
 アルフェリアは露骨に表情をしかめている。
 ティナはフォードの方に振り向いた。
 歓喜に顔を染めた少年に、にこりと笑った。
「よかったわね。たぶん大丈夫よ。あいつ、強いから」
「はい! ありがとうございます」
「あんた…テスタロッサ姫のことが好きなんだね」
「そんな…! オレなんか」
 何となく、少しからかうようい言ってみると、フォードは見た目にも分かるほど真っ赤になった。
 しばらくあたふたしてから、やがて少しあきらめたように笑う。
「オレなんか…。姫様は、シルヴェアのフェイ王子を思っていらっしゃるんです」
「…」
「彼のことを話す姫様は、本当に嬉しそうだから…。だからオレは、姫様が笑っていて下さったら、それでいいんです。本当に」
 いいやつね、とティナは思う。
 アルフェリアが、ふと割って入った。
「それはそうと…その姫様は、命を狙われているのか。誰かに」
 その言葉を聞くと、はっとしたようにフォードは黙り込んだ。
 血の気をなくしていく顔は、自身の発言の軽率さを悔やんでいるように見える。
「あの…脅迫状が…」
「脅迫状」
「フェイさまに焦がれていらっしゃる姫様に、横恋慕した盗賊がいるんです。姫様はよく外に出掛けられますので、そのときに目をつけられてしまったのかと」
「へえ、そうかい。大変だな」
「…」
 目に見えて、フォードは憔悴していた。
 自国の姫の不名誉を、さらしてしまった自分の不明を悔やんでいるようだった。
「なるほどな…」
 納得したように呟いて、彼はにやりと笑うと少年の肩をぽんと叩く。
「ま、大丈夫だよ。なるようになる」
「はあ…」
「じゃあまあ、オレらも行くか。ここまでに大分時間もかかっちまったことだし」
 ゼルリアの将軍の一言で、一向は再び道を進み始める。
「あの、本当にありがとうございました! お気をつけて!」
「じゃあねー」
 ひらひらと手を振って、彼女たちは先を急いだ。
 目指すは聖地の手前、あの日、今の『ティナ(自分)』が始まった街。
「よし」
 気になることはある。
 けれど、今は自分のやることをやっていくしかない。
 にっと笑って気持ちを前に切り替えて、彼女は前へと進んでいった。


「戻ったか、フォード」
「あ、ハイケル殿下!」
 足取りも軽く城へと戻ってきたフォード兵士を出迎えたのは、彼にとっては雲の上の存在である、ハイケル王弟殿下だった。
 嬉しそうな顔の部下を睥睨した壮年の男は、ついてきなさい、と短く告げ、自ら前に立って歩いていく。
 その背から流れ出す不気味な雰囲気に、浮かれていた少年は気付かなかった。
「あの、殿下…」
「お前は、あの旅人たちに何かを申し上げたか」
「あの…」
 見回せば、すっかりと人気のないくらい廊下の行き止まりに、二人はたどり着いていた。
 背で語るハイケルの陰影が、不気味な圧迫感でフォードの目に映る。
 窓のない空間は薄暗く、朝だというのに闇が足元から這い登ってきそうな心地だった。
「何かを申し上げたのか、と聞いている」
 ハイケルが、振り返った。
 双眸が、不気味な光を宿して、少年を差し貫いていた。
 その時はじめて少年は怖い、と思った。
 思ってしまったら止められなかった。
「あ…」
 言葉は喉につかえ、震えが這い登ってくる。
「あの…」
 ごくりと唾を飲み込む。
 闇が深さを増している気がする。
 見据える瞳を懸命に見返して、彼はゆっくりと応えた。
「すいません…オレ、あの人たちに言ってしまいました。姫さまを助けて欲しいって」
「…」
「そしたら、ローブをかぶった人が請け負ってくれたんです。強いっていってました。だから、きっと…!!」
 震えを押し隠すあまり、早口になっていく。
 だが、眼前の不気味な闇の深さは変わらなかった。
 いや、徐々に深さを増していた。
 射すくめられるような心地で、彼は言葉を切った。
 あの…と切り出すと、王弟は厳かに告げた。
「他に、何かいったのか」
「いえ、あの…」
 下を向いて、
「姫さまが横恋慕した盗賊にお命を狙われている、と…そう申し上げました…」
「そうか」
 ご苦労だった。
 静かな声が、少年の耳を打った。
「は…」
 それが彼の聞いた、この世で最後の言葉になった。
 ざん、と闇を裂いた一閃が、彼の全てを奪っていた。

「ふん…余計なことを」
 どさりと倒れ伏した少年を睥睨して、ハイケルは、忌々しげにはき捨てる。
 少年を葬った剣の血を振ってしまい、そのまま目もくれず城外へ、そして庭へと出た。
 闇の空間から、光の空間へ。
 あごに手をあて思案するように、彼は外を歩いていた。
 姫が命を狙われている、ということに感づかれたか。
 だが、『盗賊の横恋慕』と言ってもあるし、問題ないとは思うが…。
「………消すか」
 一瞬立ち止まって、彼は呟く。
 だが、すぐに思い直していのまま歩き始めた。
 ここで下手に動けば、『事』が露見しかねない。
「………」
 ここまで来たのだ。
 慎重にいった方がいい。
 彼は、そのまま歩き続けた。
 『盗賊』が、『うまく』事をこなすことを祈りながら。

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