――ルーラ国 堕天使の聖堂への道
にぎやかにフェイ王子への想いを語ってくれていた姫がいない――しかも、連れ去られてしまった――となると、一行の足も自然と重かった。
それぞれが何か、考えるところがあるかのような沈黙――
ティナにとっては、それに紛れてルーラの首都に入る直前の、ダグラスとの邂逅についてのことを改めて聞かれなくて済んでいるので気が楽ではあるが、それ以上にやはり心苦しかった。
それを吹き飛ばすように、あえて明るい声を出す。
「堕天使の聖堂か…また、けったいなところに石版も飛んで言ったわよね」
「堕天使の聖堂って、確か、第一次天地大戦の始まる前に、どっかの天使がつくった天然の要塞――みたいなもんなんですよね」
ティナの言葉に、アベルが乗ってくれる。
うん、と首を倒して、彼女は続けた。
「神から見放された堕天使ルシフェルは、栄光の天界から暗黒の地界へと下る際、地上にて一つの光景を目にした。目を見開くほどに美しい光景――彼は、自身の悲しみをその大地にぶつけ、歪めた」
「そのせいで、今でも聖地の番人が地の脈動を歪めているんですよね」
聖典の一節を口にした彼女の隣りで、王女はふうっと息をつく。
「ハタ迷惑な話ですまったく」
「ハタ迷惑なのは、それだけじゃないぞ」
話に入ってきたのは、アルフェリア。
ティナとアベルの視線を受けて、彼は苦笑した。
「聖地はすげえ物騒だ。それこそ、印のない人間が足を踏み入れると、番人が死を与える。だから、ミルガウスとルーラに頼んで印を発行してもらうわけだが――じゃあ、そんな物騒な番人が、なぜ人間の作り出した『印』で納得していると思う」
「…」
アベルがちょっと眉をしかめたが、ティナは素直に首をかしげた。
「何で?」
「番人用に、生贄をささげているからだよ」
「…」
「年に一度、な。全員が子供だよ。名誉なことだとされて、南方守護府とルーラの両方で盛大に祭られる」
「………」
ティナはその話は聞いたことがなかった。
クルスにちらりと目を遣ると、彼はだまっている。
彼女の知っている各国のしきたりや慣習などは、意外とクルスから教えてもらうことが多かった。
少年はこのことを知っていたのか。
「…うん、わざわざいうことじゃないとおもってさ。残酷な話しだし」
ティナの紫欄の視線を受けて、クルスはそういった。
まあね、と呟いて彼女はアルフェリアに目を戻す。
大人の都合で殺されていく子供たち。
自分たちが今回印をもらったのだって、誰かの犠牲の上に立っていたのか。
改めてそう思って、ティナはため息をつく。
「なるほどね」
「あ、けどな。一人だけ、生き延びた子供がいるんだよな」
「?」
「正確に言えば、『生き延びた』じゃなくて、『生きて帰ってきた』、だが」
黒髪の将軍は、そう言ってアベルをちらりと見る。
少女は、そうですね、と言って言葉を紡いだ。
「珍しいことも、あるものですよ」
「…」
「その子供は、何年か前、両親に連れられて、印を持たずに聖地に入っていったんだそうです。周りは止めましたけど、全然聞かない様子で」
「うん」
「数日後、子供が一人だけで聖地から戻って来ました。不思議なことに、彼女の髪は燃えるような真紅、瞳は深いワインレッドに染まっていたそうです」
語るアベルの黒い目が、上目遣いにティナを捕らえる。
知っているでしょ? そう物語る視線にうながされて、彼女はうーん、と記憶を辿ってみた。
真紅の髪、ワインレッドの瞳。
確か、アレントゥムに旅立つ朝。
ぶらぶらと城内を徘徊していたティナの前に、その少女は現れた。
猫の目のような、強い瞳――
「………レイザ」
宮廷魔道士にして、ミルガウス国第三王位継承者、カオラナ王女の付き人。
それからなぜか、カイオス・レリュードに対して恋慕の情を抱いているらしい。
人の好みは分からないが。
「その彼女が?」
改めて確認してみると、アベルはこっくりと頷いた。
「そうです。しかもおかしいことに、一緒に聖地に入った両親と、もう一人双子の弟がいたそうなんですが、その人たちの行方はそれきり全然なんですよね」
異質な髪の色を周囲に気味悪がられていたところを、カオラナ王女に引き取られた。
そう締めくくって、アベルはふうっと息をついた。
「カオラナおねえさまも、何を考えていらっしゃるんだか…」
「そうなんだ…。意外と変わった人なのかな。会ったときは、ふつーの人に見えたけど」
ティナは、レイザと会ったとき、カオラナ王女にも相見えていた。
そのときの記憶を、うろ覚えながらひっぱりだして返事をすると、アベルは目をぱちぱちと瞬かせる。
信じられない。
そう、目が語っていた。
「ティナさん…おねえさまにお会いになったんですか?」
「会ったんかい、カオラナ姫に」
同時に、アルフェリアまで驚いた顔をする。
二人から、問い詰められるようにじっと見つめられて、彼女は内心驚きながらも、うん、と頷いた。
「廊下でばったり。――え、何か、おかしいの?」
「あのですね、ティナさん」
何かを諭すように、アベルはゆっくりと告げる。
よほどびっくりしたのか、まだ信じられない、といった表情が微かに漂っていた。
「カオラナおねえさまは、本当に人前に姿を現さない人なんです。魔道協会の推薦で養子に入った人で、血はつながってないですが一応姉妹である私の前にも、滅多に姿を現しません」
「…そうなんだ」
「オレも、会ったことはともかく、見たこともないぞ、ちなみに」
「そうなの…?」
ミルガウスの同盟国であるゼルリアの最高位の将軍でも、会ったことのないような、すごい人物だったのか。
「実際、石版が盗まれた折に、彼女がアレントゥムに行く、とサリエルを通して会議で進言されたときは、みんなすごいびっくりしてたんですよ。絶対無理だって。カイオスですら、驚いた顔してましたもん。彼も、確かおねえさまとは会ったことないと思います。本当に、そんな人と会うなんて…すごい経験しましたね、ティナさん」
「そうなんだ…」
ティナは、返事をしながらも、内心別の懸念が噴出していた。
カイオス、という人名が出たとたん、アルフェリアの顔が曇ったのだ。
同時に、空気に緊張が走る。
またあの話題か。
ちょっと胸中で覚悟したとたん、
「そういえばさー、今日のお昼ご飯なんにする?」
クルスののんびりとした声が、垢抜けて響いた。
一気に視線がそちらに集まる。
「ふえ?」
お昼ごはん。
まったく日常の単語を吹き込まれて、三人はぱちぱちと瞬いた。
突然、話題を半回転させられて、気が抜ける。
一人のんびりと果物をほおばった少年は、にゅーっとこちらを見上げながら、
「そんな物騒なことばっかり話ししてないでさー。もうお昼だよ」
「そうね…」
毒気の抜かれた声で、ティナは返した。
ちらりとアルフェリアを見ると、同じような表情で、彼も息をつく。
「まあ…じゃあ、飯にするか」
「わーい!!」
無邪気に喜ぶクルスを横目に、ひょいひょいとアベルがティナを手招きする。
彼女が耳を傾けると、王女はこそりと耳打ちした。
「クルスさんって…意外とあなどれませんね」
「…時々ね」
肩をすくめて、ティナは返しておいた。
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