――ルーラ国首都レイシャーゼ
通りを行き交う人々の顔は、今日も活気で満ちている。
その中を歩いていくのは、一風変わった二人組み――かわいらしい外見をした、妙齢の少女と、全身をローブに包んだ、細身の青年だった。
下町を抜け、貴族街に差し掛かる。
人もまばらになり、喧騒もやんだところで、彼女――ルーラ国の第四王女テスタロッサはくるりと振り返って、背後の青年を見た。
「ここで、いいわ」
「…」
「ありがとう」
はにかんだように微笑む表情のどこにも、取り乱した様子も、ためらう様子もない。
こちらも、どこまでも無言のローブの青年に対して、少女は一礼すると、歩き出そうとした。
「――テスタロッサ姫」
「!」
呼び止める声が、背後にして、彼女は弾かれたように止まった。
自分の希望を奪った人。
そんな人に、引きとめてほしい、そう、願っていたわけではないけれど。
――なかったけれど。
「本当に、戻るんですか」
「…ええ」
淡々とした声は、必要最低限の言葉を彼女に投げかける。
だから、彼女も最低限の返事をした。
それは、揺れる決心を保つためにも、必要だった。
「死ぬかもしれないのに?」
語られる言葉は、容赦ない。
テスタロッサは激しく波打つ心臓を、押さえ込んだ。
少しだけ、時間を置いて、そして彼女は振り返って、笑った。
「ええ」
「…」
「私は…逃げることしか考えてなかったけれど、今王宮で、恐ろしいことが計画されているの」
それこそ――第一大陸全体を、戦いと混乱に陥れてしまうほどの。
恐ろしい計画。
それがすでに相手に知られてしまっていることを、彼女は知らない。
ただ、どこまでも透き通った瞳で、ためらいなく言った。
「止められるとしたら、――少しでも、それを止められることができるとしたら、私しかいないと思うから」
やることをやって、消されるならば、少しは先に『行った』王子に、申し訳が立つしね。
彼女は微笑んでそういった。
どこかで、覚悟を決めた――そんな、凛とした表情だった。
「…」
ローブの青年は、黙っている。
見つめるその先で、彼はふと懐を探る仕種をした。
やがて、王女に向けて差し出された手のひらには、繊細な装飾の施された、花びらの形の宝石が収まっていた。
花弁の一つ一つが透明に透けて、とても美しい。
触れるのをためらってしまうほどに――
「『死んだ』あなたの婚約者が」
そう、彼は言った。
「これをあなたに、と」
「…」
震える指先で、ためらいの時間を経た後に。
彼女はそっとその花を受け取った。
微かに光を弾くそれは、置き忘れてきた昔の懐かしさがした。
――この花が枯れる前に、あなたの国にいきますから。
「っ…」
微笑がこぼれてくる。
涙とともに。
悲しいのか、温かいのか、分からないまま、彼女は少しだけ、時間を置いた。
決して枯れることのない、一輪の白い花。
目元を拭いながら、やっと囁く。
「ありがとう」
「…」
ローブの男は、相変わらず無反応だった。
そんな彼に向けて、彼女は気負いなく打ち明ける。
「ねえ、ひとつだけ、頼んでもいいかしら。彼のお墓に伝えてほしいんだけど」
せっぱづまった先ほどの悲壮は影をひそめ、ただ春風が笑うように、テスタロッサは告げた。
手のひらに残る人肌のぬくもりを感じながら。
――それでね、あなたの目が治ったらね。
幼い日の自分が無邪気に笑っている。
――そのときは、絶対に、わたしを最初にみてね。だって、わたしはあなたのおよめさんなんだもの。
その言葉を、現実のものにするために――
「私がどんな顔をしているのか。どんな、女の子なのか」
彼は、目が見えなかったから。
結局、自分の顔を見てもらうことなく、遠いところに行ってしまったから――
せめて、言葉でだけでも。
伝えてほしい…。
「…ごめんなさいね、変なことを言って」
自然に笑みを浮かべて、彼女は言った。
ローブは、軽く首を振った。
必ず、とそう言う。
「必ず、伝えておきます」
「ありがとう」
微笑んで、テスタロッサは頭を下げる。
もう、二度と日の光を見ることも叶わないだろう――そんな覚悟とともに。
視線を上げて。
彼に微笑んで。
毅然として去っていく後ろ姿は、今度こそ振り返ることはなかった。
■
「………」
去っていく後ろ姿を見送りながら、ローブの青年はしばらくそこに居た。
過去の女とも、もうこれきりだろう。
大分、時間を食ってしまった。
さっさと一行に合流するとして――
「…」
踵を返しかけた足が、微かに止まった。
まだ、王女は視界にいる。
その姿は、かなり小さくなっていたが――
自らえらんだ死地へと赴きながらも、呼び止めればまだ振り返る――
「――」
呼び止めて、どうする。
ジェイドは、己の空想をさらりと止めた。
海賊にでも勧誘するのか。
そんな、非現実的すぎる夢想を本気で考えるほど、彼は夢のある人間ではなかった。
さっさと身体を翻し、彼はすたすたと歩き出す。
『フェイ王子』は死んだ。
否――そんなもの、最初からいないのだ。
『王子』と呼ばれる彼の生い立ちを考えれば、それは至極当然のことだった。
そう、『フェイ』はいない。
ならば、彼女は通り過ぎただけの、赤の他人だ。
「とんだ『約束』をしたな」
ただそれだけ呟いて、彼はさっさと足を運んでいった。
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