Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 堕天使の聖堂 
* * *
「!」
 はっと背後にけはいを感じたせつな、アルフェリアは振り向きざま、抜刀した剣を相手の喉元に突きつけた。
 ジュレスが、ウェイが、――ようやく異変に反応する。
 はっとしたような沈黙の中、アルフェリアは霧の向こうの影に、低く告げた。
「――で? 聖堂の印は持ってきたのかよ、左大臣」
「ああ」
 首に――あと、ほんの少し切っ先を一押しするだけで、皮膚に食い込む加減。
 剣を突きつけた男の切っ先も、突きつけられた男の首も、全くといっていいほど揺るがない。
 緊張にしばられた時を経て、ゼルリアの将軍はすっと剣先を下ろした。
 霧を割って、人影が現れる。
 金の髪、青の瞳。
 端正な顔で、ちらりと三人を見回して、彼は多少何か言いたげだった。
 結局口を開かなかったが。
 道中の『ダグラス』の接触や、ティナ・カルナウスのあいまいさから、アルフェリアの視線は、自然と鋭くなる。
 ジュレスやウェイは、一瞬会ったことのある人間との突然の再会に目を丸くしていたが、これもアルフェリアの剣幕に押されて、言葉に出しては、何も言わなかった。
「んで? その魔封書で、オレの位置でも割り出したか?」
「…」
 カイオスの左手にある古びた書物を見て、黒髪のゼルリア将軍は低く切り出す。
 カイオス・レリュードは肯定も否定もしなかった。
 代わりに、別のことを言う。
「あの女は」
「あ?」
 いきなりそんなことを言われて、彼は一瞬誰を指しているのかとまどった。
 そして、自分の同伴者のことを思い出す。
 ティナ・カルナウスのことか。
 まったく、これでもかというほどに、人を呼ぶときに名前を使わない男だ。
 アルフェリアは一瞬答えをためらったが、結局告げた。
「…はぐれた」
「三日も何をしていたんだ」
「三日?」
 低く、問い詰めるような調子で逆に言われ、アルフェリアは息を呑んだ。
 三日。
 ちょっと待て。
 村を出たのは『今朝方』だぞ?
(………)
 ここで、彼はいま正に自分が胸中ではいたことと、さきほど耳から聞いたことに奇妙な一致を覚えた。
 確か、ウェイもこういってなかったか。
 ――私たち、村を出たのは『今朝方』よ、と。
「…おい…どういうことだ?」
 半ば、一人言めいて呟くアルフェリアに、ジュレスたちの怪訝そうな視線が重なる。
 なるほどな、とため息混じりに言葉が発されて、三対の視線が、同時に金髪の男を貫いた。
 何か知っているのか、無言のうちにもそう問われ、彼は口を開く。
「堕天使の聖堂の霧には、時間を狂わせる――時間を越える力があると言われている。石版の力でその影響が強まった――そんなところだろ」
「時間が狂う…」
 だとすれば、確かに時間がずれていることも一応つじつまが合う。
 しかし、そんな知識をどこで、と言いかけて、アルフェリアは男の右手に目を留めた。
 ――魔封書。
 なるほど、便利な本だ。
「じゃあ…なおさら、ティナがどこに行っちまったか、気になるな。それに、ここ。――聖堂の内側なのか、ぎりぎりで外側なのか…」
 カイオスが応えるように口を開きかける。
 だが、声は別のところから発された。
「内側だな。残念ながら」
『!?』
 今度こそ、全員が目を見開いた。
 けはいさえ――その、前触れさえ、感じられなかった。
 弾かれたように振り向いた四人の視線の先に、真紅色の霧をまとうように、『それ』が泰然と立っていた。


 『それ』――正に、そうとしか表現できなかった。
 実体はある。
 人間に近い姿形をしている。
 黒い髪、赤い目をしていることも。
 だが――『それ』そのものの印象を表そうとすると、それこそ、聖地に充満する霧のように、とらえどころがなく、思考があやふやに流されてしまうかのような――
(これが…)
 聖地の番人なのか?
 ティナ・カルナウスの過去の話だとか、一般に言われている『聖地の番人』像から想像されるような、無情さ、殺伐さ、などは見受けられなかった。
 静かに、ただそこに『在る』ような雰囲気。
 それが、無造作に手を振って、こちらに何かを投げてよこした。
「?」
 四人の視線が、それを自然に追う。
 それくらい、自然で、当たり前の動作。
 だが、地面をごろごろと転がるモノが『何』か、気付いた瞬間、アルフェリアは思わず息を呑んでいた。
「な…」
「これは…」
「きゃっ」
「…」
 女たちが身を竦ませる。
 赤い色をした霧に溶ける、鮮血の生々しい匂い。
 それは、茫洋とした景色の中で、妙に鮮明に彼らの目に焼きついていた。
「おい…」
 ゼルリア将軍であるフルフェリアでさえも、一瞬二の句が告げなかった。
 綺麗に切断された面をこちらに向けて、物言わぬ『人間の首』が、悲しげに草の中で動きを止めた。
「迷い込んできた人間だ。これで、十人目になるか?」
「っ…」
 しれっとした言葉に、彼らの意識がそちらに戻り、はっとしたように身構える。
 この殺戮を行った殺人者は、そうとは思えない口調で、淡々と言った。
 ためらいも、哀れみも無い。
 ある種、そういった感覚が麻痺してしまった人間に見られる、『欠落』や、『狂気』もない。
 ただ、殺すべきだから、殺した。
 そんな雰囲気をまとった、それは声調だった。
「聖地の番人か」
 こんなときですら、冷静に切り出したのは、金髪の男だった。
 呼吸と同じ感覚で、人を殺すような『番人』に、普段の調子で語りかけていく。
「そうだが。――見たところ、お前たちも印を持っていないな。ミルガウスの印の気配はするが…」
「…」
 カイオスの青い眼が、アルフェリアに移った。
 それを受けて、彼は微かに首を振る。
 ルーラの印はティナが持っていた。
 『ここ』には、ない。
「…俺たちのほかに、紫の目をした女が聖地にいる。彼女が印を持っている」
「紫の目?」
 アルフェリアの意図を汲み取り、そういったカイオスに、番人は、微かに目を細めた。
 ジュレスもウェイも――そして、アルフェリアさえも。
 動くことのできない中で、動かない首が見守る中で、むしろ軽い調子にすら聞こえる言葉が、次々と交わされていった。
「ああ」
「…」
「番人ならば、聖地の中にいる人間の位置が分かるんだろ」
「…そうだが、そんな女は『ここ』にはいないな」
「…」
「お前は、少しは私たちの『理』を理解していそうだな。確かに、聖堂の霧のある場所ならば、『中』だろうと『外』だろうと――私に捉えられないものはない。だが、――『今』『霧のある場所』に、そんな女はいない」
 平然と言ってみせた番人に、カイオス・レリュードは微かに眉を寄せた。
 聖地――即ち、村のほとんど近くにまで立ち込めている霧の中にいない。
 村にもいない。
 だとすれば、『彼女』はどこにいる。
「そりゃ…どういうことなんだ…?」
「まるで…――どこか別の飛ばされてしまったみたい…」
 まるで、どこかに飛ばされてしまったみたい。
 ウェイが、恐る恐る口にした言葉を、聖堂の番人はさらりと肯定した。
「そのとおりだ」
 人間たちの視線が、一斉に彼に向かう。
 得体の知れない番人への恐怖よりも、『消えてしまった』ティナ・カルナウスのことに対する興味が、その時、かすかに上回っていた。
「お前たち――迷いこんで来たのではなく、石版を探してここに来たのだろう?」
 直接それに答えず、まず番人はそう告げた。
 核心を貫くこの言葉を、聴衆の無言が肯定する。
 霧の拡大。
 そして、不可思議な現象。
 全てが石版に拠るものであることを、聖堂の番人は、自ら認めた。
「魔王からこの地を預かっている者としては、看過しがたいものもあるが、石版は、うまい具合に『霧の狭間』に飲み込まれてしまってな」
「霧のはざま…?」
「知らないのか? この霧には、時間を狂わせる力がある。遥か昔、かの魔王閣下がこの地に施した呪いの一端だ」
「…」
 番人は、まるで物語を説くように言葉を紡いでいく。
 それは、聞き入っていれば、彼が何も害のない『もの』だと錯覚させるような調子さえ、かもし出していた。
「そして…霧には、もう一つ。時を『越える』力があるのだ。狂った時空間は、迷い込んだ者が思っていることや、近しい者の『過去』や『未来』を見せる。時が『狂う』力も時を『超える』力も、普段は私が制御しているが、霧が――霧の狭間に現れる時空のひずみが、石版を飲み込んでしまったがゆえに、霧は私の制御を離れ、暴発を始めた」
 暴発した霧は、彼女を――そして、おそらく何人かの村人も――その中に取り込んでしまった。
「石版は時の狭間にある。それを取り出せるのは、時の狭間にいるものだけだ」
 そして、時の狭間にいる者が、再びこの『地』に戻ってくるのにも、石版を時の狭間から取り出すしかない。
「時に干渉できるのは、時の女神とそれを操るもののみ。紫の目の女とやらが、狭間に飲み込まれているとしたら、彼女はこちらから救い出すことはできないし、うまい具合にそこで石版を見つけ出さないと、一生そのまま時をさまよい続けることになる」
「…!!」
 だが、と。
 聖堂の番人は、低く言葉を切った。
 その瞳の中には、ほの暗い殺気が宿っている。
 先ほどまでは無かった。
 先ほどまでは、見られなかった。
 魔族の本性のような『もの』。
「それと、『印』を持たないお前らを、聖地から見逃してやるのは別の問題だ」
「!!」
 はっと、四人は身構える。
 いつの間にか――本当に気付かない間に、その身体からは、どす黒い魔力の本流が、こうこうと立ち昇っていた。
「お前たち――人間との契約だ。この地にミルガウス、そしてルーラの『印』を持たずして入った者は、私の手により『排除』する」
 ヴン、と魔力が立ち昇る。
 圧倒的な強さで。
 圧倒的な大きさで――
「死ね」
 さらりと吐き出された言葉とともに、番人の魔力が解き放たれた。

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