「っ…」
堕天使の聖堂の、わけのわからない『幻』に取り込まれ――これもまた、『わけも分からないうちに』戻ってきてしまった。
気分は最悪。
だが、ティナは手の中の冷たい石の感触に、ほっと息をつく。
二つ目の石版の欠片。
ミルガウスを発って一ヶ月と半月。
こんなに短い間に見つかってしまった――
「…」
(カイオス…)
彼の情報がないと、ここまで早く見つかることはなかっただろう。
的確な、しかも今のところ確実な情報を、次々と出してみせる。
石版を集めたことのあるティナになら分かった。
並大抵のことではない。
ティナとクルスが二つの欠片を集めるのに、情報を集めるのだけで、それこそ一年以上はかかった。
(………)
だが、それを素直にすごい、と思えないのはどうしてだろう。
手に残っている感触。
剣と剣がぶつかり合う音。
彼がティナに斬りかかって来た、あの光景――。
『今』は『味方』なだけで、――過去がそうだったように、これから先、彼が『どんな』立場に立つか、分からないのだ。
石版をこんなに早く集めて――そして、たとえば『生き延びていた』七君主が、彼に石版を持ってくるように働きかけをしたら。
彼は――『味方』のまま、とは、限らないのだ。
「………」
ティナは、ぎゅっと手を握り締める。
胸にわだかまる不安は、それだけではなかった。
彼は――ティナと打ち合っている最中、七君主の魔力に貫かれて――
「………」
(まさか…)
『彼』が、倒れてしまう、なんてことがあるんだろうか。
沸かない実感とかけ離れて、不安だけが膨れ上がっていく。
そんな思いと裏腹に、彼女の周りで霧が――赤い霧が徐々に薄れていくのが分かる。
石版の影響から解放されたためか。
どんどんと薄くなっていく霧の向こうに、いくつもの人影が見えた。
「村の…人たち?」
口の中で呟いて、ティナはそちらに歩み寄っていく。
初老の男から、ティナとそう年の変わらない少年まで、いろいろな年齢の人間が十人。
どの男たちも疲れ切ったように、地面にへたりこんでいる。
「あの…」
「…」
ティナがそのうちの一人――彼女とそう年の変わらない少年に話しかけると、ぼうっとした風だったその瞳が、はっとこちらを見た。
「うぁあああ!?」
「え!?」
とたんに後じさる彼に、ティナはわけが分からない。
やがて、少年はおそるおそる、といった風に、彼女を見返した。
「あ…あんた…」
「大丈夫?」
何があったのか。
よほど、つらいことでも、あったらしい。
ティナが無言でうながすと、やがて彼はぽつぽつと語り始めた。
彼は、村の男たちが十人居なくなったとき、彼らを探しに行ったらしい。
しかし、途中で一緒に行った男たちとはぐれ、深い霧の中にいた。
そして、そこで『自分の母が死んでいく』幻を鮮明に見た、というのだ。
「俺…どうしよって…そればっか…けど…もう、出られたんだよな、大丈夫だよな…」
言い聞かせるように、呟く少年に対して、ティナは何も言えなかった。
『母の死んでいく様子』。
――では、『幻』は、やはり未来のことも見せるのだ。
だが。
「まあ…悪い夢よ。気にしない方がいいって」
言葉に出しては、ティナはそう言っておく。
たぶん、ここの村人たちは全員が幻のなかに閉じ込められていたのだろう――ティナが、そこから石版を持ち出したことで、おそらく彼らも幻から解放されたのだ。
「ちょっと、頼んでいい?」
まだ放心したような少年に対し、ティナはあえて明るい声で語りかける。
落ち着いたら、ここの村人たちをまとめて、村に帰って欲しい、と。
「ああ…分かったよ。――あんたは?」
「私は」
やらなきゃいけないことがあるの。
そう言って、ティナはたっとその場を駆け出した。
胸のうずくような魔力の波動――それを魔道士である彼女は痛いほどに身に感じていた。
(間に合ってよ…)
聖堂の印は彼女が持っている。
石版を印を握り締め、ティナは聖堂に向かって駆け出した。
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