「な…!!」
さきほどまでは、決して詰めることのできなかった『距離』が、ウソのように一瞬で縮まる。
男の手には、鋭い剣。
それが正確にティナの首筋を狙っていた。
(…!!)
ヤられる!
ぎゅっと目を閉じかけたのは一瞬、次の瞬間、耳が鋼のぶつかり合う音を拾い、腕がその重い一撃をかろうじて受け止めてかろうじてさばく。
「え?」
いつの間に、抜刀したのだろう。
考える間もなく、身体はひとりでに動き、ティナは半ば無意識に男の剣を受けていた。
軌道に対し、ぎりぎりのところで打ち返していく。
何か――どこか、『決まっている』ことを『やらされている』ような感覚。
まさか、自分も『光景』の一部に取り入れられてしまったのか…?
(だったら…)
この『光景』は、『いつ』のものなのか。
これだけ間近で見れば間違いない。
今、剣を打ち合わせているこの男は、『カイオス・レリュード』だ。
――『ダグラス』たちなどではなく。
だとすれば、ティナの記憶にある限り、過去において自分がカイオスと打ち合ったのはたったの一回。
アレントゥム自由市の一件で、光と闇の陵墓の前でさんざんに弄ばれた。
だが、『これ』が、そのときの『光景』の再現なのか、と言われれば、ティナはそうは思わない。
何か――どこか、違う。
(何が…)
顔のところぎりぎりまで来た剣を、またも無意識に弾き返す。
それは、『やらされている』ような感覚があるせいか、どこか『命をやり取りしている』実感は薄かった。
「…」
(あ、そうか…)
自分が感じた違和感がわかって、ティナは胸中で声を上げた。
そう、アレントゥムと『今』の違い。
剣の早さ、重さ――そういった、一撃一撃が、全て重みが違うのだ。
たぶん、アレントゥムのときには相当手加減されていたのが、今はまったく感じられない。
純粋に、全力で、自分を潰しに掛かっている――
(じゃあ…)
ティナの胸中を、ふとその考えは過ぎった。
(この『光景』は)
いつのものなのだろう。
『過去』でなければ、『未来』か?
来るべき『未来』に、自分と彼が、こうして剣を打ち合わせる場面がやってくるのだろうか?
(まさか…)
思う一方で、
『裏切り者』。
この言葉が頭を巡る。
彼が――『どっち側』の人間なのか、まだ分からないのだ。
自分には、分からないのだ。
『現在(いま)』の時点では。
「っ…」
唇をかみ締めたとき、ティナは、この『光景』のもう一人の登場人物に気付いた。
剣を合わせる金髪の男の――さらに向こう側。
『それ』を見た瞬間、血が凍りついたのが分かった。
端正な顔。
金の髪。
そして、狂気を宿した血色の瞳。
(七君主――!!)
アレントゥム自由市で、完全に滅ぼせたのか、といわれれば、絶対の自信はなかった。
そして、その『悪夢』は、いやらしい笑みをその顔に貼り付けながら、実際に目の前に立っている。
(そんな…!!)
にやり、と。
七君主の赤い目が、微笑んだ。
死ね。
そう、言っているようにも見えた。
手が掲げられる。
ティナを狙って。
だが、カイオス・レリュードの剣をさばくので手一杯の彼女には、なす術がない。
なす術がなく、自分に向けられた死の宣告をじっと見続けるしかなかった。
やがて、黒い魔力が放たれる。
自分に向かって。
(死ぬ…)
漠然と確信したとき、彼女と剣をあわせていた男が、――信じられないことに――ぐらり、と一瞬傾いた。
傾いた体は、ちょうどいい具合に――七君主の魔力とティナとの間に割り込んだ。
男の身体が血を吹き、彼女の方に向かって倒れこんでくる。
「え?」
ティナは、呆けた声を出していた。
ずしり、と――幻だと分かっているはずなのに――ずしり、と手にのしかかる感触。
支えた身体は冷たく、別の恐怖がティナを圧倒的に支配した。
「…え?」
どきどきと、心臓がなっている。
なのに、頬はなぜか濡れたように冷たかった。
手の感覚がない。
身体の感覚も。
ただ、ずきずきと痛む頭が、必死に何かを探していた。
何を――
それは…
(どうして…?)
どうして?
どうして、私は――
■
時が移り変わる。
閉ざされた『記憶』が、ほんの少し、ひらく音がする。
自分を襲った圧倒的な衝撃の前に、ティナは甘んじてその記憶を受け入れた。
その記憶は――実体化するかのごとく彼女の周りを取り囲み――やがて、姿を現した。
悲劇とともに。
■
「どうして…」
ティナは、呟いた。
身体にのしかかる感触も、そこに在る圧倒的な死も――
全てが、信じられなかった。
何か、悪い夢だと思っていた。
ずっと――
いつの間にか――。
黒い炎の破片が、彼女を取り巻いている。
ぱちぱちと爆ぜる炎。
死に呑まれた村。
「どうして…?」
炎に火照らされた頬は熱いのに、涙のせいでひどく冷えた。
何が起こったんだろう…。
私は、何を見たんだろう…。
さっきまで、平和な村だった。
さっきまで、『この人』は笑っていた。
なのに――なんで…?
「なん…で…」
巫女装束へと、『彼』の血が伝っていた。
自分の祭る時の女神『不死鳥』は、何も変事を伝えなかった。
だから、平穏は続くと思っていた。
なのになんで――私の村は、黒き竜に侵食されているのか…!!
「なぜだ…!! なせだ、不死鳥!!」
声の限り、彼女は叫んだ。
喉は涸れ果て、怒りに似た強い感情が、手足を縛りつけるかのごとく支配していた。
身体のあちこちが、ぶつけたように痛い。
だが、そんなことどうでもよかった。
彼女は叫んだ。
ただ、叫び続けた。
「どうして、何も知らせなかった…!!」
ぱちぱちと、黒い炎が村を包み込んでいる。
彼女の全てを飲み込んでいく。
怒りと――悲しみとも憎しみで、狂い果ててしまいそうだった。
かっと目を見開いて、なおも何か訴えかけようとしたティナを、不意に別の思念が包み込んだ。
――主。
何かが、呼ぶ声。
それが何かすら、今のティナには分からなかった。
狂ったように、激したように、ただ叫び続ける。
感情の激流に、全てを流されてしまったかのように。
――主。
彼女の内面の声は、言った。
まだ、早すぎる。
全てを思い出すのは。
――ここは、時の狂った場所。
現実への導きは、私が手助けしよう…。
内面からの『声』は、やさしく彼女を包み込み、そしてゆっくりとその記憶を閉じながら、彼女を現実へと導いていった。
■
「――っ!!」
ティナははっと目を見開いた。
身体が湿ったようなところに横たわっているせいか、気持ち悪い。
頭がずきずきとして、すぐには起き上がれなかった。
あたりは、乳白色の霧。
そして、身体の下には、草の感覚。
木々のけはいも感じる。
(…)
私、どうしたんだっけ…、とティナはうっすらと目を開けて記憶をたどってみた。
アルフェリアとはぐれて、別の場所に迷い込んで、そして…
(レイザと…カイオスのこと…?)
最悪な『幻想』を見た。
だが、彼女の記憶は、『カイオスが血を吹いて倒れた』ところから、頭が真っ白になって――どうしても思い出せない。
何か、昔の自分をつかみかけた気がしたのだけれど。
(それに…)
ティナは呆然とする頭で考えた。
自分の中から、『誰か』に呼ばれた気がした。
誰なのか。
それは、はっきりとは分からなかったが。
「…」
やっと身体を起こした彼女は、ふと自分の手に違和感を感じた。
視線を遣ると、石版がそこに在る。
「いつの間に…」
うんざりと、ティナは呟いた。
石版が見つかって、妙な空間からは出られて、ばんざいな筈なのに、なぜか胸に宿る気分は、暗く最悪なものだった。
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