Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 堕天使の聖堂 
* * *
「な…!!」
 さきほどまでは、決して詰めることのできなかった『距離』が、ウソのように一瞬で縮まる。
 男の手には、鋭い剣。
 それが正確にティナの首筋を狙っていた。
(…!!)
 ヤられる!
 ぎゅっと目を閉じかけたのは一瞬、次の瞬間、耳が鋼のぶつかり合う音を拾い、腕がその重い一撃をかろうじて受け止めてかろうじてさばく。
「え?」
 いつの間に、抜刀したのだろう。
 考える間もなく、身体はひとりでに動き、ティナは半ば無意識に男の剣を受けていた。
 軌道に対し、ぎりぎりのところで打ち返していく。
 何か――どこか、『決まっている』ことを『やらされている』ような感覚。
 まさか、自分も『光景』の一部に取り入れられてしまったのか…?
(だったら…)
 この『光景』は、『いつ』のものなのか。
 これだけ間近で見れば間違いない。
 今、剣を打ち合わせているこの男は、『カイオス・レリュード』だ。
 ――『ダグラス』たちなどではなく。
 だとすれば、ティナの記憶にある限り、過去において自分がカイオスと打ち合ったのはたったの一回。
 アレントゥム自由市の一件で、光と闇の陵墓の前でさんざんに弄ばれた。
 だが、『これ』が、そのときの『光景』の再現なのか、と言われれば、ティナはそうは思わない。
 何か――どこか、違う。
(何が…)
 顔のところぎりぎりまで来た剣を、またも無意識に弾き返す。
 それは、『やらされている』ような感覚があるせいか、どこか『命をやり取りしている』実感は薄かった。
「…」
(あ、そうか…)
 自分が感じた違和感がわかって、ティナは胸中で声を上げた。
 そう、アレントゥムと『今』の違い。
剣の早さ、重さ――そういった、一撃一撃が、全て重みが違うのだ。
 たぶん、アレントゥムのときには相当手加減されていたのが、今はまったく感じられない。
 純粋に、全力で、自分を潰しに掛かっている――
(じゃあ…)
 ティナの胸中を、ふとその考えは過ぎった。
(この『光景』は)
 いつのものなのだろう。
 『過去』でなければ、『未来』か?
 来るべき『未来』に、自分と彼が、こうして剣を打ち合わせる場面がやってくるのだろうか?
(まさか…)
 思う一方で、
 『裏切り者』。
 この言葉が頭を巡る。
 彼が――『どっち側』の人間なのか、まだ分からないのだ。
 自分には、分からないのだ。
 『現在(いま)』の時点では。
「っ…」
 唇をかみ締めたとき、ティナは、この『光景』のもう一人の登場人物に気付いた。
 剣を合わせる金髪の男の――さらに向こう側。
 『それ』を見た瞬間、血が凍りついたのが分かった。
 端正な顔。
 金の髪。
 そして、狂気を宿した血色の瞳。
(七君主――!!)
 アレントゥム自由市で、完全に滅ぼせたのか、といわれれば、絶対の自信はなかった。
 そして、その『悪夢』は、いやらしい笑みをその顔に貼り付けながら、実際に目の前に立っている。
(そんな…!!)
 にやり、と。
 七君主の赤い目が、微笑んだ。
 死ね。
 そう、言っているようにも見えた。
 手が掲げられる。
 ティナを狙って。
 だが、カイオス・レリュードの剣をさばくので手一杯の彼女には、なす術がない。
 なす術がなく、自分に向けられた死の宣告をじっと見続けるしかなかった。
 やがて、黒い魔力が放たれる。
 自分に向かって。
(死ぬ…)
 漠然と確信したとき、彼女と剣をあわせていた男が、――信じられないことに――ぐらり、と一瞬傾いた。
 傾いた体は、ちょうどいい具合に――七君主の魔力とティナとの間に割り込んだ。
 男の身体が血を吹き、彼女の方に向かって倒れこんでくる。
「え?」
 ティナは、呆けた声を出していた。
 ずしり、と――幻だと分かっているはずなのに――ずしり、と手にのしかかる感触。
 支えた身体は冷たく、別の恐怖がティナを圧倒的に支配した。
「…え?」
 どきどきと、心臓がなっている。
 なのに、頬はなぜか濡れたように冷たかった。
 手の感覚がない。
 身体の感覚も。
 ただ、ずきずきと痛む頭が、必死に何かを探していた。
 何を――
 それは…
(どうして…?)
 どうして?
 どうして、私は――


 時が移り変わる。
 閉ざされた『記憶』が、ほんの少し、ひらく音がする。
 自分を襲った圧倒的な衝撃の前に、ティナは甘んじてその記憶を受け入れた。
 その記憶は――実体化するかのごとく彼女の周りを取り囲み――やがて、姿を現した。
 悲劇とともに。


「どうして…」
 ティナは、呟いた。
 身体にのしかかる感触も、そこに在る圧倒的な死も――
 全てが、信じられなかった。
 何か、悪い夢だと思っていた。
 ずっと――
 いつの間にか――。
 黒い炎の破片が、彼女を取り巻いている。
 ぱちぱちと爆ぜる炎。
 死に呑まれた村。
「どうして…?」
 炎に火照らされた頬は熱いのに、涙のせいでひどく冷えた。
 何が起こったんだろう…。
 私は、何を見たんだろう…。
 さっきまで、平和な村だった。
 さっきまで、『この人』は笑っていた。
 なのに――なんで…?
「なん…で…」
 巫女装束へと、『彼』の血が伝っていた。
 自分の祭る時の女神『不死鳥』は、何も変事を伝えなかった。
 だから、平穏は続くと思っていた。
 なのになんで――私の村は、黒き竜に侵食されているのか…!!

「なぜだ…!! なせだ、不死鳥!!」
 声の限り、彼女は叫んだ。
 喉は涸れ果て、怒りに似た強い感情が、手足を縛りつけるかのごとく支配していた。
 身体のあちこちが、ぶつけたように痛い。
 だが、そんなことどうでもよかった。
 彼女は叫んだ。
 ただ、叫び続けた。
「どうして、何も知らせなかった…!!」
 ぱちぱちと、黒い炎が村を包み込んでいる。
 彼女の全てを飲み込んでいく。
 怒りと――悲しみとも憎しみで、狂い果ててしまいそうだった。
 かっと目を見開いて、なおも何か訴えかけようとしたティナを、不意に別の思念が包み込んだ。

――主。

 何かが、呼ぶ声。
 それが何かすら、今のティナには分からなかった。
 狂ったように、激したように、ただ叫び続ける。
 感情の激流に、全てを流されてしまったかのように。

――主。

 彼女の内面の声は、言った。
 まだ、早すぎる。
 全てを思い出すのは。

――ここは、時の狂った場所。

 現実への導きは、私が手助けしよう…。

 内面からの『声』は、やさしく彼女を包み込み、そしてゆっくりとその記憶を閉じながら、彼女を現実へと導いていった。


「――っ!!」
 ティナははっと目を見開いた。
 身体が湿ったようなところに横たわっているせいか、気持ち悪い。
 頭がずきずきとして、すぐには起き上がれなかった。
 あたりは、乳白色の霧。
 そして、身体の下には、草の感覚。
 木々のけはいも感じる。
(…)
 私、どうしたんだっけ…、とティナはうっすらと目を開けて記憶をたどってみた。
 アルフェリアとはぐれて、別の場所に迷い込んで、そして…
(レイザと…カイオスのこと…?)
 最悪な『幻想』を見た。
 だが、彼女の記憶は、『カイオスが血を吹いて倒れた』ところから、頭が真っ白になって――どうしても思い出せない。
 何か、昔の自分をつかみかけた気がしたのだけれど。
(それに…)
 ティナは呆然とする頭で考えた。
 自分の中から、『誰か』に呼ばれた気がした。
 誰なのか。
 それは、はっきりとは分からなかったが。
「…」
 やっと身体を起こした彼女は、ふと自分の手に違和感を感じた。
 視線を遣ると、石版がそこに在る。
「いつの間に…」
 うんざりと、ティナは呟いた。
 石版が見つかって、妙な空間からは出られて、ばんざいな筈なのに、なぜか胸に宿る気分は、暗く最悪なものだった。

* * *
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