「死ね」
短い宣告が、滑らかに空気をすべり、その余韻が消え去らないうちに、戦闘は始まっていた。
爆発する魔力。
「ちっ」
とっさに避けたアルフェリアの横で、女たちはちらりと視線を交わす。
(ウェイさん)
(ここじゃ無理ね…)
彼女たちは、人ならざるもの――天使をその身にまとっている。
普段は魔力をまとって髪や目の色は変えているが――こんなところで、大魔法なんて使えば、さすがに術が解けて分かってしまう。
アルフェリアだけではない――金髪の青年にも。
(混乱したアレントゥムの中ならともかく)
混血児が魔法を人前で――特に異民族以外の人前で魔法を使うのは、自殺することに等しい――といっても、実際には混血児特有の『死なない』身体ゆえに、一方的に私刑をくらって『生き返る』という、あまり楽しくない結末が待っているのだが。
「…アルフェリア!」
鈴の鳴るような声を張り上げて、ジュレスは弟を呼んだ。
魔力はまるで弦を放れた弓のように、次々と彼女たちに襲い掛かってくる。
それを避けながら、ちらりとこちらを見返した弟に、彼女は瞳に言葉をこめる。
「戦えませんわ」
視線で、金髪の青年をさらって、一言。
第三者が居る前では、魔法は使えない。
即ち戦力外――まったくの、無力。
彼女の弟は、はあっと息をついた。
彼が自分を嫌う理由の一つだった。
天使との『混血児』であることは。
「…」
だが、アルフェリアの視線は、素早く聖堂と人間の地の境である、双頭の獅子と自分たちの距離を測る。
実際足手まといにしかならないジュレスたちをさっさと逃がすことにしたらしい。
「行けよ」
不機嫌そうに呟いて、彼は、たっと番人に向かって駆け出す。
「おや? お前から死ぬのか?」
眉を上げた番人は、すっと手を掲げ、魔力を放つ。
それが放たれる寸前に、ゼルリアの将軍の剣が、鋭い角度で吸い込まれていた。
「は!」
発されようとする魔力ごと、力で押し戻し、そのまま激しい打ち合いへと持っていく。
「行きますわよ!」
ジュレスは、ウェイに声をかけると、その返事を待たずにたっと駆け出した。
はっとしたようにウェイが追う。
短いようで長い、双頭の獅子までの距離。
時間ではない、歩数が先を争うその横を、アルフェリアが防ぎ切れない魔弾がひゅんひゅんと風を切って抜けていく。
もつれこむように、双頭の獅子を一歩過ぎた瞬間、
「…え」
ウェイは、思わず後ろを振り向いていた。
それに釣られてジュレスもはっと振り返る。
「あら…」
彼女も、呆然と立ち尽くした。
柱の上の獅子が、煙にまかれるように霧に飲み込まれ、つい『そこにある』景色さえも、どんどんと乳白色に渦巻いていく。
つい目と鼻の先の距離。
だが、今は何も見えなかった。
一歩聖堂から離れた瞬間、こうも距離が狂う。
「…」
顔を見合わせて、二人は黙り込む。
その時、不意にざあ、と霧が風に流されるようにあたりが晴れていった。
「え…」
「霧が晴れた?」
油断なく息を詰める二人の横を、誰かが走り抜けていく。
それは、一瞬のことだった。
ただ、流れる長い髪が、その瞳に妙に鮮明に残った。
「え」
「女の子?」
二対の視線がその姿を追う。
栗色の髪を風に流した女は、獅子の柱を抜けて、仲間たちの元へと駆け寄っていった。
■
「ふふん――なかなかやるじゃないか」
「…まあな」
ぽたり、と。
赤い雫が地面を伝っている。
余裕の表情で、手を下ろした聖堂の番人と、ゼルリアの将軍アルフェリア。
攻防の中で、ケガをした腕を庇いながら、彼はちらりと今一人の戦闘員を見た。
「…」
行くぞ、目で合図する。
金髪の青年は微かに頷き、魔法の詠唱を始めた。
アルフェリアは、それを横目に剣を構える。
女たちは逃がすことができたが、その代わりに片腕を使い物にならなくしてしまった。
道中に接触してきた『金髪』の男との関係が気になるが、とりあえずはカイオス・レリュードと共闘するしかない。
呼気をしずめ、気合とともに、彼はたっと地を蹴った。
「は!」
鋭い剣閃が、霧ごと空間を叩き斬り、聖堂の番人へと吸い込まれていく。
「ふん」
番人は、魔力を凝縮した手で、ふわりと一撃をいなす。
その、剣と魔力が触れた箇所から、矢のような軌跡が次々と飛び出して、アルフェリアを襲う。
「ちっ」
その全てを紙一重で見切りながら、彼は一旦引いた。
呪文はまだなのか。
ちらりと背後を確認しながら、さらに追撃を避けて横に飛ぶ。
「…――浄の集(すだ)く白き壁 全ての眠る蒼き苑(その) 時の狭間に惑いこみ…」
淡々と呪文を唱えていたカイオスは、意識を集中し、魔力を増幅させていく。
だが、不意に、足元が崩れそうになり、意識が途切れかけた。 七君主との魔力のぶつけ合いで負った傷が、――脇に奔る熱い激痛が、突然の戦闘態勢に悲鳴を上げていた。
だが。
「………」
ちっと舌打ちして、彼はありすぎる自制心でその場に踏みとどまる。
やはり、ろくに休みもせずに聖堂に急行し、魔封書を使ったのは、負担が大きすぎたか。
視界がかすみ、魔力がぶれる。
そのときだった。
アルフェリアが、呪文を待って、彼の方を見たのは。
「ちっ」
番人の追撃を逃れて横に飛ぶ、その目が険しく細まった。
見た目には、平静そのものに見える――そんな男が、あえて援護を出し惜しんでいる。
かねてからの暗い疑惑もあって、アルフェリアはそのようにとらえた。
命のかかったこの戦闘で、そんな『出し惜しみ』をする理由は、多くは、ない。
「…」
だが、そちらに気を取られていた将軍は、番人が残酷なほど無情に、彼に向かって死の宣告を振り上げたことに気付かなかった――否、気付くのが、一瞬遅れた。
「な…」
慌てて、体制を立てなおす――その、間も与えられないうちに、魔力はぶわりと暴発し、アルフェリアごと――空間を飲み込んだ。
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