「っ…」
だん、と。
空気が震えた音がした。
「な…なんだ…?」
「………」
思わず手で顔を庇ったアルフェリアも、呪文を唱えかけたカイオスも、呆然とそちらを見る。
「…二度目だな」
そう、薄笑いで呟いた番人は、優美ともとれる仕種で彼女の方を見た。
今――彼の魔力を相殺し、底光りするかのような眼光で、こちらを見据えている少女を。
「時のはざまから、石版を取り返したのか。霧が、元に戻っている」
私としたことが、気付くのが遅れたな、と。
ぽつりとこぼすその横で、
「ティナ」
アルフェリアがかすれた声で呟いて、それを受けて彼女はふうっと息をついた。
「遅くなってごめんね」
普段どおりの――だが、どこかしら怒りに似た、いらいらとしたような声音で、ティナは二人を見る。
その背後には、すでに召喚された不死鳥。
優美な首をかしげ、主を背後から守護するように虹色の翼で包み込んでいる。
己の最高の守護獣を従えて、彼女は紫欄の瞳を番人に向けた。
そこには、明らかな怒りがあった。
「随分なもの、みせてくれたわね。お陰で、最悪の気分!」
「私のせいではないのだがな」
「あんたの土地なんでしょ! あんたが責任持ちなさいよ」
「…」
はっきりとしすぎた物言いに、番人が何か言いかける。
ティナはさらりと遮った。
石版と――そして、聖地の印を、その手に掲げる。
「コレ、見つけたから。それから、印もちゃんとあるし。これ以上ちょっかいかけないで。ホントにいらいらしてるの、今。悪いけど、ぶっ飛ばすわよ」
「…」
強大な魔力を持つ番人にも、容赦ない言葉だった。
思わずおいおい、とアルフェリアがあきれたように彼女を見るが、ティナはあっさりと無視をする。
この番人と顔を合わせるのは、なんだかんだで二回目か。
一度目は、クルスをあんな目にあわせて、今回は妙な幻を見せる、ときた。
ろくなものではない。
あっちがその気ならば、今度こそ、ぶっ飛ばしてやる。
不死鳥に命令を下す手が、すっと掲げられる。
彼女は――本当に、怒っていた。
「あたしら見逃すか、黒焦げになるか――どっち?」
ドスの効いた声に、番人は、しばし口を閉ざしてから。
「…」
ふっと魔力を収めた。
ウソだろ、と目を剥くアルフェリアの横で、ティナも不死鳥の召喚を解く。
「聖堂を元に戻してもらった借りがあるからな」
肩を竦め、番人は言う。
まだ眼光を弱めない少女に、微かに憐れむような目を向けた。
「時のはざまに入って、無事に出てくるとはな」
「…だから、ろくでもなかったって、言ってるでしょ!」
「…生きているだけで、幸せだと思うがいい」
ふん、とこちらも背を向けて、番人は言う。
今回だけだ、と悔しげに呟いた。
「…さっさと出て行け、私の気が変わらないうちに」
「…」
そのまま、アルフェリアとカイオスは、すたすたと聖堂を後にする。
ティナも足を外に向けかけて――
「ねえ」
ふっと、振り返った。
番人は、何だ、と無機質な声を返す。
ティナは、少し迷ってから、言葉を選んだ。
それは、先ほどまでの怒りではない――おそるおそる、といった感情が、微かに見え隠れしていた。
「あの、ね。あんたさっき、時のはざまがどうとか言ってたけど――」
「そうだ。石版の魔力のせいで、時が錯綜していたのだ」
「…それじゃあ、――私が迷い込んだのは、『実際にあったこと』だったり、『これからあること』を、見せるところ…なのよね」
ああ、とあっさりと肯定されて、ティナはふうっと息をついた。
それでは、あれは――過去だったのだ。
そして、未来だったのだ。
「どうした…何か、悪い兆候でも見たのか」
「…」
番人が、からかうように背中で語る。
答えられないティナに、さらに言葉が重ねられた。
「普通――人は、『時』に干渉できない。だから、そこで見せられたことが『変わる』ことは、ない」
「そう…なんだ」
だが、と。
番人が不意に振り返って、彼女はぱちぱちと瞬いた。
彼は、不思議な表情で立っていた。
透明なのに、底が見えない表情(かお)。
「時のはざまに干渉できた、お前ならば、何か別の道が切り開けるかも知れないが」
「…」
「さっさと行け。いいかげん、気が変わるぞ」
「うん」
静かにうながされ、彼女はたっと走り出した。
番人の姿は、みるみるうちに霧にさらわれていく。
双頭の獅子を抜け、そこで待っていた二人の元へとたどり着く。
アルフェリアは大分険しい顔をしていたが、カイオスは、まったく普段どおりだった。
彼らは蒼い髪の女と会ったらしいが、彼女たちとは、その後村に帰っても合流することができなかった。
ひょっとしたら、もう別の場所に旅立ったのかも知れない。
そして、アベルたちや、村にたどり着いた副船長と合流して、村人たちを見つけ出してきたお礼として、大々的にご馳走を振舞われた。
それから数日後に出発し、アベルたちが村でどんなことをしていたのか、テスタロッサ姫は無事に城に戻ったのか、そういったことを話しながら、ロイドたちの待つ海賊船へと戻る。
だが、そのどの瞬間にも、ティナの胸の中には、『あの時』の光景がひっそりと息づいていた。
剣を打ち合わせる、二人。
現れた七君主。
そして、倒れていく――彼。
「…」
ティナは、そのたびに聖堂の番人の言葉をかみ締める。
時の錯綜する空間で見せられた『光景』が変わることはない。
だが、その時のはざまから、石版を持ち返った自分ならば――
「…」
カイオス・レリュードは、そんなティナたちから、いっそう距離を置いているように見える。
アルフェリアは、何かを確信したように、責めるような視線を向けていることが多くなった。
内容が内容だけに、質すことは、できない。
そんな、勇気はなかった。
(信じて…いいのよね)と。
ただ、彼女はずっと、その言葉をかみ締めていた。
願うように。
祈るように。
■
「さて…これからどうしましょうか、ウェイさん」
「そう…ね」
田舎町の街道に、目も覚めるような女が二人。
あてもなくふらふらと歩いている。
堕天使の聖堂を出、その後何となく、弟たちと顔を合わせるのが気まずくて、こうしてさっさと出てきてしまった。
「ダグラスもいないし…」
「――オレがどうかしたのか?」
「!?」
「え?」
一人ごとめいたウェイの言葉に、涼やかな声が重なる。
街道の行く手に立っている人影は、彼女たちよく知る――間違いなく、ダグラスだった。
「あなた!」
「どこにいたのよ」
「オレがどこにいようと、自由だろうが」
「…」
詰め寄った彼女たちに、ダグラスはうんざりとしたように、手を振る。
「だからって、いきなり消えられても困りますわよ!」
「そうよ! 誰が助けてあげたと思ってるの?」
「…」
ウェイの言葉に、少し気まずげに視線を逸らしたが、続くジュレスの言葉で、彼はかっと目を見開いた。
「そういえば、あなたによく似た男性を見かけましたわよ」
「何!?」
「そうそう、間違ってはなしかけちゃったくらい似てた…」
「本当か!」
「ええ」
身を乗り出して、詰め寄るダグラスに、ジュレスはことの次第をかいつまんで話す。
徐々に、驚きに見開かれていた瞳が、歓喜の形にゆがんでいった。
「ふ…ははは…そうか…そうなのか…!!」
堕天使の聖堂で、石版を手に入れたのか。
だとすれば、彼が次に選ぶ地は――シェーレン。
死に絶えた都。
七君主が、そう指名したのだ。
それに、石版の手がかりをつかむのは半端な労力ではない。
ほぼ、そちらに向かうのだろう。
「はは…ははは!!」
彼は、空に向かって、笑い続けた。
ジュレスも、ウェイも、驚いたように凝視している。
彼は、構わず笑い続ける。
七君主さまの下を逃げ出し、裏切り、そして、傷つけた最悪の裏切り者。
今度こそ、屈辱的な方法で踏みにじってやる…!!
「ははははははははは!!!!」
彼は、笑い続けた。
喉も裂けよとばかりに。
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