――シェーレン国 砂漠地帯
「カイオス! いる!?」
ざらりとテントを開けて、ティナは呼びかけた。
強すぎる日光から肌を守るために、身に着けたフードの頭を取って、中を覗き込む。
熱風と砂が髪をさらっていく外と違い、中はひんやりと涼しい。
場所は、砂漠の国シェーレン国の、内陸にある首都へと向かう隊商のテント。
ロイドたちの海賊船に、港まで送ってもらったはいいが、さすがに常夏の砂漠、暑くて暑くて仕方がない。
――それはともかく。
旅には素人のアベルも居る中で、兵士達の見回りも定期的に行われている緑野を旅するのとはワケが違う――熱砂の砂漠を横断するという無謀なことはできず、彼女たちは港で会ったキルド族の隊商に、『首都まで一緒に行く代わりに護衛を引き受ける』という契約を結んだのだ。
これならば、足は遅くとも、六人で旅をするよりは格段に安全に旅をすることができる。
キルド族の方も、ミルガウスやゼルリアの軍隊が、ある程度巡回して道中の安全を保っている第一大陸に比べ、砂漠では、野性の魔物が強い上に数が多いのは困りものということで、喜んで彼女たちの申し出を受けてくれたのだ。
しかし、やっぱり魔物退治はなかなかキツい。
この暑さも災いして、うんざりするような戦いだったが、今日も今日とて襲ってきた魔物の群れとの戦闘に、アルフェリアや副船長と匹敵するほどの戦闘員の姿が見えない。
ティナの火属性の魔法は、砂漠ではあまり役に立たない。
むしろ、彼の氷の方が、ずっと効果的なわけで。
それで、慌ててティナが呼びに来たのだった。
「…ごめん、魔物の数が多くて――」
声をかけながら、ティナはふと、最近彼はよく閉じこもってるな、と思い至った。
砂漠の国にいたる船の中でも、隊商の護衛を引き受けてからも。
具合でも悪いのだろうか。
普段はそんな素振りを見せないが――
薄暗いテントの中からは、反応がない。
ティナは首を傾げる。
いつもはテントに入っていても、戦闘が始まれば、すぐに加わるのに――
「…」
あまり、干渉されたくない人間だというのは、十分に分かっている。
だが、彼女はどうしても気になった。
外の戦闘も、余裕があるわけではない。
ぐずぐずしている暇はないのだ。
「…失礼するわよ」
一応声をかけてから、ティナはテントの中に入る。
薄暗い室内は、目が慣れるまで人がどこにいるのか分からない。
ほとんど手探りの彼女は、その一角に見慣れた陰影を見つけた。
寝ているのだろうか。
ぐったりと身体を柱に預け、ティナが近づいているのに、身動きもしない。
(うそ…)
寝ているところなんて、見たことがないくらい、隙を見せない人間が、こんなにも目を覚まさないなんて。
疲れているんだろうか。
薄い闇の中を、ほとんど手探り状態で進んでいく。
「…」
だが、いよいよ近づいたとき、――その状態に、ティナは別の意味で息を止めた。
「…すごい…汗」
額にびっしりと並んだ汗の粒は、ここが熱砂であるためだけではないだろう。
吐き出す呼吸は荒く、『眠っている』というよりは、『気絶している』といったほうが、しっくりくるかのような状態だった。
あわてて、駆け寄り、手をかざす。
「ちょっと、大丈夫…――」
その手が、
「!?」
がしり、と空中でつかまれた。
びくりと思わず身を引くが、つかまれた手のせいでがくんと身体が引き戻される。
バランスを崩して、座りこんでしまった。
前触れも、何もない。
眠っているとばかりに思われた男の手が、痛みさえ感じる強さでティナを捉えていた。
彼女の指先が額に触れる――その直前で。
「何だ」
薄暗がりの中で、いつの間にか開かれた青い目が、ティナをにらみつけていた。
底光りする目。
ウソのように平静な態度。
だが、ティナはそれよりも、自分の手を攫んだ男の体温に息を呑んでいた。
つかまれた手首から、食い込んだ指から、伝わってくる熱の高さ。
まともに立って歩けるような状態じゃない。
だが、振りほどこうにも振りほどけない、痛みさえ感じるほどの強さは、これほどの熱に浮かされた人間の力とは思えなかった。
彼は――最近、船でもよく閉じこもっていた。
いつから――いつから、こんな状態だった?
「…」
何もいうことができないティナを尻目に、彼は外での戦闘に気付いたのか、ため息をついて立ち上がる。
ティナの手をつかんでいた戒めが解かれ、がくりと身体が崩れた。
すぐには、体制を立て直すことができない。
目だけが何とか、その姿を追う。
すたすたと歩いていく姿は、本当に普段と変わるところがない。
だが――
「ちょっと…あんた」
かろうじてそういいかけると、彼は立ち止まった。
ちょうど、テントの入り口。
日の光を背にした彼の表情はよく分からなかったが、刺し貫く眼光は、明らかな感情を湛えていた。
酷薄な、光
砂漠での戦闘は、一刻を争う。
それに対して待ったをかけたティナを、戦士として軽蔑している――そんな光だった。
「っ…」
ティナは唇をかみ締めた。
こんなときまで、そんな表情をする彼が、信じられなかった。
堕天使の聖堂以来、ほとんど話していない。
彼も距離を置いていたし、ティナも距離を置いていた。
どこか、気まずかった。
堕天使の聖堂にいたる道中に邂逅した、『ダグラス・セントア・ブルグレア』。
その背後にいるかもしれない――七君主の影。
彼がまた裏切るかも知れないという、疑惑。
極めつけは、聖堂で見た、『幻』。
ティナと『彼』は戦っていた。
命をやり取りしていた。
おそらく――『敵』として。
そして、彼はその後――
「………」
ぐっと言葉を飲み込んだティナに、彼は構わずに出て行く。
淡々とした後ろ姿が、ふとふらついた気がした。
それは、眼前を横切る風にまとわる砂のせいだったのかも知れないし、うんざりする暑さが見せた、陽炎のいたずらだったのかも知れない。
だが、ティナは思わず手を伸ばしていた。
薄暗いテントを抜け、風と光が満ちる外へ――。
指が流れる姿を追うように、緩やかに追いついていく。
その刹那、つかみかけた服が、さらりと彼女の白い指を逃れ、代わりに振り向いた冷たい目がティナを刺し貫いた。
――再び、凍りついたように、身体は固まった。
しつこいぞ、と言いたげな視線を、無視してなんとか口を開く。
信じられないほど、どきどきとしていた。
「魔封書使いっぱなしで…休んでないんでしょ? 堕天使の聖堂だって、ほとんどムチャしてたじゃない。休んだほうがいいって」
「関係ないだろ」
切り捨てるように放たれた即断の言葉が、彼女のカンに障った。
むっとして、見返す。
平然とした男の面に、必死に食いつきながら言葉を探した。
「そんな、無理しなくても、つらいときくらい休んだほうが…」
「…」
「そりゃ、呼んだのは戦闘がキツかったからだけど、調子が悪いなら悪いでこっちでフォローするし、言ってくれれば…」
「話は、それだけか」
「…」
どこまでも冷たい反応に、ティナは唇を噛んだ。
これだけ言ってるのに、という思いと、そんなに言うなら勝手にしろ、という思いが、胸中で渦をまいていた。
立ち尽くす彼女に、いい加減付き合うのは飽きたのか、カイオスはため息混じりに踵を返しかける。
「…っ」
行ってしまう――それは、何か不吉な予感で、ティナを打ちのめした。
行ってしまう…もう、そのままどこか別の遠い場所にいってしまいそうな。
うまくいえないけれど。
そんな、予感が。
「…そんなに、あたしらが信用できないの?」
「…」
「仲間が…そんなに頼れない?」
もはや振り返らずに先を急いでいた後ろ姿が、仲間、という言葉を聞いたところで、不意に立ち止まった。
砂塵が、音を立てて、二人の間を流れていった。
ティナは、待つ。
流れていく風の向こう側で、金の髪がなびいた。
音もなく振り返った口元に、酷薄な笑みが微かに張り付いている。
自嘲。嘲笑。
ぞっとするような、温度の欠落した氷点下の軽蔑。
「…っ」
言葉にされなくても、明白だった。
砂漠だというのに――体が冷え、硬く凍り付いていくような気がする。
どこまでも、暗い闇に吸い込まれていきそうな。
「ひょっとして――仲間だとでも、そう思っていたのか」
バカらしい。
そう、呟いて。
青年はぞっとするような光を目に浮かべた。
自分を信じる人間はどうかしている、とでも言いたげな。
「…」
ティナは、言葉が何も紡げなかった。
悲しいのに、腹が立った。
どうしてそんな言い方…――
「どうして…」
震える声で搾り出す。
指先は凍えているんじゃないかと思えるほどに冷たいのに、心臓は先ほどよりもどきどきしていた。
「そんな、コト、いえるわけ?」
アルフェリアや――彼と同じ立場のゼルリア将軍のサラは疑っている。
自分も――完全に信じられているのか、といわれれば、それは最近自信はない。
ルーラでダグラスが接触してきた時以来、それは強まっていった。
だが、よりによって、そんなこと、自分で言い切るなんて――
「そんな、じゃあ、…なんで…」
なんで、自分たちは一緒に旅しているのか。
助け合うためじゃなかったのか――
いろいろな思いがつっかえて、頭が痛かった。
感情に任せて怒鳴りちらしてしまいそうで、自分を押さえられなくなりそうで――
「そんな、だって」
戦闘の音が、遠くに響いている。
風が砂を運んでいる。
ティナはぱくぱくと口を動かした。
何度も言うべきか、迷って、押し込めて、それでも言いかけて。
やがて、一番の強い思いを込めて、彼女は思い切って口に出した。
「ダグラスが…会いに来た。ルーラ国で。あんたに…」
「…」
「七君主が、生きてるかも知れない」
切り札を使ってしまった――そんな、後悔めいた後ろめたさもあったが、ティナはまっすぐに相手を見た。
視線に思いを託して、言った。
「――信じて、いいのよね」
あんたを。
七君主に寝返らないと。
そう、こめた想いをあざ笑うかのように、男はすぐには言葉を返さなかった。
やがて、言った。
「わざわざ確認するということは、相当に信用がないということだな」
はっとしたティナが何か言いかけるよりも早く、
「口では何とでも繕える」
あっさりと言い捨てた。
絶対の拒絶。
ティナにはそう、思えた。
背中が遠ざかっていく。
砂塵がそれを隠していく。
彼女には、見送るしかない。
懸命に言葉を探しながら。
ふと。
それが何かの記憶と重なってみえた。
アレントゥム自由市で。
何度か口論した。
けれど、やっぱり彼の言葉に反応できず、彼女はその真意を質すことはできなかった。
そして、結局、街は滅ぼされてしまった。
七君主に――そして、それを見過ごした、彼に。
「そうやってまた…街を滅ぼすの?」
抑えた声音が男に届くか否かのところで、彼は再び立ち止まった。
今度は、振り返らなかった。
ティナは、紡ぎ続けた。
今までで、一番、胸の鼓動が激しかった。
自分では――もう、どうしようもないくらい…
「そうやって――また、アレントゥムを滅ぼすの!? 何も言わないで…ひとりで抱え込んで!!」
何も言わないで、裏切って、そうしてまた、取り返しの付かないことをするの…?
「人殺し…!!」
ぎりり、とかみ締めた唇からこぼれた、無意識の言葉の重さに、ティナははっと正気に返った。
それを詫びる前に、息を呑んだ。
否、呼吸が止まった。
「――」
殺気を帯びた青の瞳。
振り返った男の眼光の前に、本気で殺されるかと思った。
だが、彼は何も言わないままだった。
何もいわないまま――永遠の、永遠に似た時間が流れる。
いっそ、殺してくれと願いかねないばかりの、死を前にした獲物の、絶望。
幾筋もの汗が、頬を背中を、伝い落ちていく。
呼吸があえぎに変わりかけたとき、相手は、無言で立ち去っていった。
「………っ」
とうとうその背が見えなくなってから、ティナの足ががくりと崩れた。
乾いた砂の大地にへたりこむ。
必死に息を殺して、彼女は唇を噛んだ。
自分が投げつけてしまった言葉。
彼の殺気。
そして、決定的な決別。
「――」
そのまま、砂漠の戦いが終わり、心配したクルスがティナを探しにくるまで、彼女は立ち上がることができなかった。
そして、戦いにも加わらなかったカイオス・レリュードは、ついに日が暮れるまで、戻ってこなかった。
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