Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
    序章 
* * *
 透明な壁が、行く手を遮っている。
 泣いている少年。
 無感動に眺める自分。
 辺りは暗く、黒く――彼と自分しかいない。
 どこまでも暗い――音のない空間。
 手を伸ばせば届く距離。
 音の聞こえないまま、仕種で泣き続ける少年。
 すぐ目の前にある透明な壁が、自分と少年の間の一切の流れを切り取っていた。
 小さな背中と、そこからこぼれる金の髪だけが、彼が『生きて』いることを伝える――

 『夢』でたまに見る光景。
 黒い『部屋』で、自分と少年。
 ただそれだけがいる、不可思議な『夢』。
 それは、他の他愛のない夢と違い、妙に鮮明に脳裏に焼きつく。
 少年に、妙な『既視感』を感じながら――

 目の前に縮こまっている、金の色の髪が震えている。
 痩せた小さな肩が震えている。
 背を向けて、あちらを向いた小さな少年の顔は見えない。
 ただ行く手を遮る、透明な『壁』の前で、その姿をぼんやりと見るだけ。

――あれは、『誰』なのか。

 どこまでも答えの知れない問いを投げかけるのは、『魔封書』を読みとくのにも似ていた。
 一旦契約を結んだ者に対し、その魔力を代償にして望む『知識』を与える、魔力を持った神聖な書。
 それは、砕け散った石板の行方を捜すのには、不可欠の存在だった。
 果てしない深遠に身を浸し、己の知識を全てなげうって、全身で紙面に浮かびあがっては消えていく漠然とした『文字』を読み取っていく。
 それが『形』になるのは、つぎ込んだ魔力と自身の持つ情報に左右される。
 だが、砕け散った石板に関しての『情報』など、石板がアレントゥムで砕けた際に、一瞬見分けた、大体の方角くらいしか、彼は持たなかった。
 まるで――海に落とした一本の針を、見つけだすような感覚。
 魔力が途切れるまで没頭し、夜通し過ごすのも一日や二日の話ではない。

 今の感覚は、それに似ている。
 遠い波の向こうから、必死に手を伸ばしているかのような。
 おそらく、決して、届かない。

 透明な壁に手をつけて、彼は問う。
 『あれ』は、『誰』なのか。
 手を伸ばしかけて――そして…。


 十年ほど前の昔。
 ミルガウスがシルヴェアと呼ばれ、シルヴェアに眠っていた『闇の石版』が、まだ砕け散っていなかった頃。
 二人の王位継承者と、二人の王女が、賢王ドゥレヴァの治世の元、健在だった頃。

 当時関係が冷たかったアクアヴェイルから、シルヴェア王国に、一人の人質が送られた。
 表向きは、アクアヴェイルの王子。
 だが、実際は当時において、空前の賢臣と歌われていた、アクアヴェイルの名宰相にして、革新的な魔法理論の功労者、ダグラス・セントア・ブルグレアの一人息子、『カイオス・レリュード』。
 一国の王子を差し置いて、人質に望まれるほどの才能を持っていた子供は、だが、その使命を終え、祖国に帰る道中、シルヴェア側の手落ちにて命を落としてしまう。
 齢、たったの九歳。

 あまりのことに、嘆き悲しんだ父ダグラス・セントア・ブルグレアは、精神を病み、『遁走』してしまう。
 そして、自身の身に七君主を宿らせ、その身を明け渡し、世界の破滅を願ったのだった。
その後、闇の石版は砕け散り、シルヴェアの『三人』の王位継承者たちは死に、賢王ドゥレヴァの『粛正』が行われていく。

 それから約七年後。
 シルヴェアが、名を変え、女性にも王位継承を認めたミルガウスと改まった直後。
 一人の青年が、ミルガウスにたどり着いた。
 何かに追われている風に、ぼろぼろの姿で迎え入れられた少年は、周囲の者に一切、自分の名や出自を明かさなかった。
 だから人は、その髪や目の色も相成って、彼をこう呼んだ。
 その昔、シルヴェアに送られ、不慮の事故で死んだ、類まれなる才能を見せた故人。

 『カイオス・レリュード』の名を。



 そして、周囲の反対を抑え、彼がミルガウスの『左大臣』に抜擢されるのも。
 その数年後に突如、集まりかけていた闇の石版を持ち出し、アレントゥムの悲劇の発端を作るのも。



 そう遠い、未来のことではなかった。


――シェーレン国『死に絶えた都』



 透明な壁が、行く手を遮っている。
 向かい合うには、二人の男。
 一方は、黒い髪血の色の瞳、無邪気な狂気を幼い顔面に貼り付けた少年。
 そして、もう一方は整った顔立ちをした、三十を半ばにした金髪青眼の壮年の男。
「ダグラス・セントア・ブルグレア」
 少年の声が、ガラスを震わせ向こうに届く。
 微かに震える男。
 じっと睨みつけるようにこちらを伺った瞳は、深い理性の色が見えた。
 赤い狂気の少年と対照的な。
 深く沈む湖面のような青。
「君が僕を召喚して、もう十年だよ」
 囁くように、告げる。
 ――あの日。
 十年前のあの日。
 全てを投げ打って、自分を召喚した人間は、全てを捨てるのかと問うた自分に、ためらいなく頷いた。
 たった一つの、『願い』をかなえるために。
 そして、その願いは、自分を――七君主である自分をすらも、縛り付けている。
 永遠の呪縛。
 解けない絆。

――約束した以上、それに縛られるのは、しょうがないんだけどね。

 ふふっと、口の端だけで呟いて、七君主は囁くように言った。
 いたぶるように。
 いつくしむように。
「ちょっと、確認したいことがあってね。いいかな?」
「――」
「ムカつく女がいるんだ。彼女を殺すのに――君の『ダグラス』を使っていいかな?」
「………」
「『契約』では、――彼を殺さない程度ならば、『何をしても』よかったんだよね」
 ふふっと、赤い瞳が歓んでいる。
 無言の男は、じっと佇んでいる。
 沈黙の末に、微かに首肯の合図が金髪の男に現れた。
 七君主は嬉しそうに笑った。
 とても、嬉しそうに。
「そう、よかった。――実は、もう部下を差し向けているんだけどね。一応確認しておこうかと思ったんだよ。じゃあ、僕は、これで。いい夢を」
 バカな人間。
 そう言って、空に溶けるように消えた少年の後には、立ち尽くす男だけが残った。
 放心したように。
 全てを捨てたように。
 ただ立ち尽くしたその果てに、彼は一言だけ呟いた。
 その声は、深々と心の闇のなかに溶けていった。
「――カイオス」
 それは、彼が『亡くした』、最愛の息子の名前だった。

* * *
▲ TOP
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.