――???
行く手を、透明な壁が遮っていた。
黒い部屋。
それは、『夢』のような光景だった。
いつものように。
覚める気のしない、永遠をも思わせるような、『夢』。
「………」
『彼』は、ふと上を見上げた。
どこまでも吸い込まれていく天井は、その果てをまったく感じさせない。
『なぜ』――、こんなところにいるのか。
その『答え』を彼は知らなかった。
確か――シェーレンの都に行く最中のキルド族の隊商にいた。
あの女と口論した後に、『ダグラス』が現れ――
「………」
『それから』。
気が付けば、ここにいた。
時々、夢に見ることもある――底の見えないこの空間に。
ただ、いつもと違うのは、その『空間』の『出口』が、まったく見えないことだった。
夢ならば、醒める。
しかし、『ここ』からどのように出るのか。
夢と違い、そこから出る方法が、まったく伺えなかった。
そして、夢と違うことがもう一つ――。
「…」
行く手を遮る、透明な壁。
その向こうには、いつも背中を震わせらた少年がいた。
常に雨に打たれている風に、縮こまって泣いていた。
音の一切届かない、『壁』に隔てられた空間の向こうで。
だが――『今』は、いない。
ぽっかりと開いた、透明な障壁の向こうには、閑散とした静寂があるだけだ。
ただ、一人の暗闇。
別にそれに特別な感慨を抱くわけではない。
どうせ、『どこ』にいても自分は『外れた』身の上だ。
「…?」
傍目に静かな湖面を感じさせる瞳が、そのときふとさざめいた。
それは、微かな変化だったが、眼前の空間には、明らかな差異があった。
子供が、泣いていた。
さきほどまでは、誰もいなかった空間で。
ほんの目と鼻の先で、金の髪の子供が泣いている。
それは、いつもの光景のように思えた。
感じた違和感が、やっと埋まった感覚。
だが、そこには別の『違和感』も交じる。
今は明らかに――『声』が聞こえる。
「………」
しゃくり上げる子供の声が、耳に煩わしかった。
それは、どこか聞き覚えのある調子で、『彼』の耳を打った。
そう…どこか――『聞いたことがある』。
(いや)
違うな、と『彼』は確信した。
聞いたことがあるのではない。
これは――自分自身だ。
蹴り飛ばしたいほどの記憶だ。
少年は、ただ泣き続けている。
泣き続けながら、必死に何かを見つめている。
読み続けている。
その書物の名前を、『彼』は言うことができた。
内容も、覚えていた。
少年の周辺に散乱する膨大な量の書物のすべてを、彼は言い当てることができた。
遠い日、ひたすらに読んだ文字の列。
『七君主』と呼ばれるものに、ひたすらに罵られ、『呼吸』をするだけのものでしかなかったあの日々に、それは、強烈な存在感と憧憬で、かつての『彼』をひきつけた。
閉じ込められた窓の外の世界を、鮮烈な好奇心が望んだ。
ただ、ひたむきに。
それは、蹴り飛ばし反故にしてしまいたいほどの、記憶だった。
だが、『彼』の足は動かなかった。
ただ泣きながら、まるで何かに取り憑かれたようにひたむきに文字を追う少年に、『彼』は近づけないでいた。
氷が足に張り付いたように、視線を逸らすことも出来ないまま、『彼』はその光景を見続けた。
それは、一つの確信的な予測を、否応にも引き起こした。
眼前の『少年』が選ぶ『未来』。
それは――。
「………」
それは。
大量の本に書かれた、『外界』の憧れに導かれ、徐々にそこで暮らしたいと――そう、愚かにも願ったことが、きっかけで起こるものだった。
その場を――七君主の元を、逃げ出すこと。
そのときは、軽い憧憬と、無為な日々からの脱却のことしか頭になかった。
ただ、それは、後の絶望の始まりだった――。
そこまで胸中でこぼした瞬間、眼前の光景が、大きく歪んだ。
『彼』は、大きく目を見開いた。
死体に囲まれた少年が、そこに居た。
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