Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
  第二章 死に絶えた都へ
* * *
――???



 行く手を、透明な壁が遮っていた。
 黒い部屋。
 それは、『夢』のような光景だった。
 いつものように。
 覚める気のしない、永遠をも思わせるような、『夢』。

「………」

 『彼』は、ふと上を見上げた。
 どこまでも吸い込まれていく天井は、その果てをまったく感じさせない。
 『なぜ』――、こんなところにいるのか。
 その『答え』を彼は知らなかった。
 確か――シェーレンの都に行く最中のキルド族の隊商にいた。
 あの女と口論した後に、『ダグラス』が現れ――

「………」

 『それから』。
 気が付けば、ここにいた。
 時々、夢に見ることもある――底の見えないこの空間に。
 ただ、いつもと違うのは、その『空間』の『出口』が、まったく見えないことだった。
 夢ならば、醒める。
 しかし、『ここ』からどのように出るのか。
 夢と違い、そこから出る方法が、まったく伺えなかった。
 そして、夢と違うことがもう一つ――。

「…」

 行く手を遮る、透明な壁。
 その向こうには、いつも背中を震わせらた少年がいた。
 常に雨に打たれている風に、縮こまって泣いていた。
 音の一切届かない、『壁』に隔てられた空間の向こうで。
 だが――『今』は、いない。
 ぽっかりと開いた、透明な障壁の向こうには、閑散とした静寂があるだけだ。
 ただ、一人の暗闇。
 別にそれに特別な感慨を抱くわけではない。
 どうせ、『どこ』にいても自分は『外れた』身の上だ。

「…?」

 傍目に静かな湖面を感じさせる瞳が、そのときふとさざめいた。
 それは、微かな変化だったが、眼前の空間には、明らかな差異があった。
 子供が、泣いていた。
 さきほどまでは、誰もいなかった空間で。
 ほんの目と鼻の先で、金の髪の子供が泣いている。
 それは、いつもの光景のように思えた。
 感じた違和感が、やっと埋まった感覚。
 だが、そこには別の『違和感』も交じる。
 今は明らかに――『声』が聞こえる。

「………」

 しゃくり上げる子供の声が、耳に煩わしかった。
 それは、どこか聞き覚えのある調子で、『彼』の耳を打った。
 そう…どこか――『聞いたことがある』。

(いや)

 違うな、と『彼』は確信した。
 聞いたことがあるのではない。
 これは――自分自身だ。
 蹴り飛ばしたいほどの記憶だ。
 少年は、ただ泣き続けている。
 泣き続けながら、必死に何かを見つめている。
 読み続けている。
 その書物の名前を、『彼』は言うことができた。
 内容も、覚えていた。
 少年の周辺に散乱する膨大な量の書物のすべてを、彼は言い当てることができた。
 遠い日、ひたすらに読んだ文字の列。
 『七君主』と呼ばれるものに、ひたすらに罵られ、『呼吸』をするだけのものでしかなかったあの日々に、それは、強烈な存在感と憧憬で、かつての『彼』をひきつけた。
 閉じ込められた窓の外の世界を、鮮烈な好奇心が望んだ。
 ただ、ひたむきに。

 それは、蹴り飛ばし反故にしてしまいたいほどの、記憶だった。
 だが、『彼』の足は動かなかった。
 ただ泣きながら、まるで何かに取り憑かれたようにひたむきに文字を追う少年に、『彼』は近づけないでいた。
 氷が足に張り付いたように、視線を逸らすことも出来ないまま、『彼』はその光景を見続けた。
 それは、一つの確信的な予測を、否応にも引き起こした。
 眼前の『少年』が選ぶ『未来』。
 それは――。

「………」

 それは。
 大量の本に書かれた、『外界』の憧れに導かれ、徐々にそこで暮らしたいと――そう、愚かにも願ったことが、きっかけで起こるものだった。
 その場を――七君主の元を、逃げ出すこと。
 そのときは、軽い憧憬と、無為な日々からの脱却のことしか頭になかった。
 ただ、それは、後の絶望の始まりだった――。

 そこまで胸中でこぼした瞬間、眼前の光景が、大きく歪んだ。
 『彼』は、大きく目を見開いた。
 死体に囲まれた少年が、そこに居た。

* * *
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.