Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
  第一章 すれ違う思い
* * *
「………」
 その場の全員が呆然としていた。
 かろうじて身を起こしたクルスも。
 剣を突きつけた男も。
 そして、自分の胸に、浅く突き立った剣を見つめる、ティナ・カルナウスも。
「な…」
 まるで空を割ったように現れた人影に、目を見開くしかなかった。
「………」
 ふっとその場を睥睨したローブの青年は、掲げた腕をすっと下ろし、舞うような足取りでティナの前に立った。
 彼女の胸の剣を抜き、そして青年に相対する。
 無音の身体捌き。
 我に返ったように剣を構えた青年は、間合いを計るように一旦退く。
 クルスやティナとは、勝手が違う相手と見抜いているのだろうか。
 睨むように見合う間に、囁くような声がティナに向かって振ってきた。
「大丈夫か?」
 ローブの声だ。
 中性的な、それでいて、どこまでも落ち着いた声は、ティナの正気を呼び覚ます。
 慌てて頷くと、それを確認したのを最後にローブは意識を戦闘に戻してしまった。
 それを見届けた後、ティナはクルスの方に駆け寄る。
 血が滲む胸はずきりと痛んだが、心の苦しさに比べれば、どうでもよかった。
 それよりも、今は相棒の傷だ。
 彼が負傷したのは、ティナを庇ったからだ。
 ぐったりとしているのを抱き起こすと、腹に裂傷がある。
 出血はひどいが、命に別状はなさそうだ。
 慌てて回復の呪文を唱えると、ぼろぼろのクルスがにゃははと力なく笑った。
「やられちゃったよ〜」
「ごめん。私が油断してた」
「ううん。大したことないし。ティナも、ひどいケガだよ…。けど、何でカイオスが…?」
「………」
 答えられない。
 それは、クルスも一緒で、後は目を副船長とカイオスの戦闘に向けてしまった。
 二人が見守る中、永遠に続くのかとさえ思われた膠着が、ふと、解ける。

 ガキリ、と。
 かみ合った刃が、弾けるように拮抗したのは一瞬、ふわりと間合いをとった副船長のローブが、ばさりと跳ねた。
 動きの激しさに、布が追いつかないのだ。
 そして、それが彼の動きを制限する。
 少し前、海賊船でのティナとの手抜き戦闘とは比べ物にならない。
 容赦のない応酬に、彼のローブの裾も微かに朱に染まっている。
「………」
 空高き天の楽園に、と音が微かに漏れた瞬間、それをも吹き消すような突風が吹いた。
 否、対峙する男が、一瞬で肉薄したのだ。
 圧倒的な、スピード、そして正確な剣さばき。
 息を呑むティナたちを尻目に、ローブの青年は、ふわりと避ける。
 彼は、気付いていた。
 眼前の男の標的が、自分ではないことを。
 ――殺気が、呼吸が感じられない。
 まったくの無私。
 そして、この強さ。
「幻惑の術」
 薄い唇が、そう呟いた。
 魔の大君主だけが扱うことのできる、人心を抑圧して意のままに動かす術。
 その術の掛かった者は、一切の自我を失い、術者の命じるまま、持てる力の『全て』を持って、ことを全うしようとする。
 そう――たとえ己が命を落としても。
 ――しかし、なぜあの自制心も自尊心も高そうなこの男が、そんな術にかかってしまっているのか――。
「…」
 風に乗るように身体を翻し、負傷した二人を庇う位置で出方を伺う。
 避けるだけならば、何とかできるが、それ以上はどう考えても無理だった。
 自分を狙う男の剣は、正確に急所を狙い、まったくのためらいなく、風を切って突っ込んでくる。
 紙一重で避けるだけで精一杯。
 邪魔なローブの裾を払い、ざっと地を踏みしめ相対した副船長は、そのときあることに気付いた。
(………)
 相手の、呼気がおかしい。
 こちらを圧倒している男のものとは思えないほど、激しく――そして、荒い。
(なぜ)
 肉体的には遥かに自分よりも勝っているはずの男が。
 どうして、息を乱している?
(………)
 魔封書か、と。
 薄い唇が呟いた。
 持ち主の魔力を奪い尽くすという、魔の書物を多用していたせいか。
 体力が落ちたところでも、つけ込まれたか。
 相手は、膠着の時を崩そうとせず、じっとこちらをうかがっている。
 滴り落ちる汗が、顎を伝って地面に黒いしみを作っていた。
(――死ぬな)
 このままだと、あの男の方が死ぬ。
 それほどに、弱っている。
 それでいて、幻術の呪縛は、決してその動きを緩めることを、許しはしない。
 言葉の通り――これでは、『死ぬまで』戦い続けるだろう。
 さて、どうするか――。
 副船長は、ざっと体位を変え、剣を地面に突き立てた。
 相手は、動揺したように、目を見開く。
 背後で、ティナやクルスも息を呑んでいるのが分かる。
 それでいて、ジェイドはちょいちょいと、指を動かした。
 挑発。
 自尊心の強いのは、意識を失っていても同様か。
 視線を鋭くした『カイオス・レリュード』は、一転、呼吸を整えると、だっと地を蹴って突っ込んできた。
 まばたきの、次の瞬間。
 はっと顔を上げたときには、男は肉薄する。
 剣が獲物を喰らう、その数瞬前。
 ジェイドの中性的な声が、空間を裂いて、澄み渡った。
「――大いなる風の恩恵よ、かの者を捕らえよ!」
「!?」
 ぐらり、と男の体制が崩れる。
 地面に突き立った剣を中心に、一瞬で顕れた魔方陣によって。
 縫いとめられた男の剣は、まるで吊られたように空で止まっていた。
「――空高き天の楽園に」
 間髪入れず、新たな呪文を唱え始めた副船長の姿が、しかし、ふと掻き消えた。
 同時に、動きを制限されたカイオス・レリュードの魔法の戒めも、消えてなくなる。
「…」
「そこまでにしてもらおうか」
 突如、ジェイドが立っていた場所に現れた男。
 金の髪。
 優越感と軽蔑に満ちた、青の瞳。
「空間魔法か」
「ふん…思わぬ横槍が入ったようだ」
 忌々しげにつばをはき捨てた七君主の分身は、ヴン、と空を割る。
無言のカイオス・レリュードをそこに入るように促し、自身はローブの男に――そして、ティナ・カルナウスに向き合った。
「一旦ひこう。俺たちは、『忘れられた都』に居る。七君主と――石版とともに」
「…」
「石版が欲しければ、来ることだな」
 ローブの男は、黙ってそれを聞いていたが、ティナは、ある言葉に耳を疑っていた。
 これだけ事実を見せ付けられても、まだ信じられなかった。
 俺…『たち』?
 なんで…?
 どうして、そんな…!?
「あんた…カイオスに何したの…?」
 一気に、冷えた体が熱くなる。
 怒りから、低く押し殺した声は、砂漠の夕日に深々と冷えていった。
 男は一笑に伏した。
 心底、バカにした笑いだった。
「何をいう? 元々、この男はオレたちの仲間だぞ?」
「でも…!?」
「こいつは、お前を殺す」
「!?」
 静かな宣言に、一瞬呼吸が止まった。
 そんなティナを、ダグラスは、楽しげに見つめていた。
 いたぶるように、言った。
「せいぜい、苦しんで殺されるがいい」
 女。
 七君主さまに、楯突いた、浅はかな人間よ。
 そう、言って。
 彼は空間の中に消えていった。
 カイオス・レリュードとともに。
「っ…!」
 ティナは、その背を見つめていた。
 じっと見つめていた。
 だが、凍った目をした男は、一度たりとも振り返ることはなかった。


「…生きてるか?」
 二人が去って、急な静寂と、夜の砂漠の急な冷え込みを感じはじめたころ、ローブの男がティナとクルスに歩き寄ってきた。
「うん…私は大丈夫。けど、クルスが…。それに、あんたも」
「オレはいい」
「なんで、駆けつけてくれたの?」
「たまたま」
 先ほどの戦闘で負傷した腕に構うことなく、彼はまずクルスの傷に手をかざす。
「――空高き天の楽園に…」
 呪文が紡がれるのと同時に、魔力の光が傷口に注いでいく。
 治癒魔法。
 それは、驚くほどの早さで、少年が受けた裂傷を癒していった。
「ふあ〜。もう、全然痛くないや〜」
 しばらくして、ひょいっとおき上がったクルスは、ありがとう、とジェイドに礼をいう。
 続けてティナに手をかざした副船長は、一瞬ためらうようにした。
「?」
 その意味が分からず、ティナは首を傾げる。
 だが、すぐに気付いた。
 斬られ箇所は、胸で、そこの生地が裂けている。
 乾いた血にまみれた素肌が、そこからちらりとのぞいていた。
 普段なら、悲鳴を上げて飛び退るところなのだが。
「あー…まあ、いいわよ、別に」
 彼女は、力なく手を振った。
 そんなことより、今は、別のことがティナの頭を回っていた。
 どうして。どうして。どうして。
 答えのない問いだけが、ぐるぐると巡っていく。
 胸に湧いていた不安。
 直前の、喧嘩めいたやりとり。
 自分が突きつけた言葉。

――人殺し。と。

 そして――彼が見せたあの瞳。
 のぞかせた、殺気。
 決別の言葉――。
 それが、記憶に残る最後の記憶だ。
 その後――。
 『彼が、敵に回った』――それが、『現実』として、いざ自分の前に現れた衝撃を、ティナは受け止められないでいた。
 鼓動が、早くて、どうしようもなかった。
 傷は癒えていくが、心の中は、一向に晴れてくれない。
「ティナは…オレなんかより、よっぽど、ひどいケガをしたような顔してる…」
 クルスがぽつりと呟く。
 そんなことないわよ。
 そう、あしらうことさえできなかった。
 ただ、頭がぼうっとしていて、何も考えられなかった。
 喪失と、そしてとめどない不安だけが、落ちていく砂漠の太陽に、重なってみえた。

* * *
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.