――シェーレン国 キルド族隊商テント
「幻惑の術?」
キルド族のテントの中で、眉をひそめたアルフェリアが思わず呟いた言葉に、話をしていたローブの副船長は、黙って頷いた。
「強大な魔族が使う。本人の意思を抑圧して、意のままに操る術だ」
それこそ七君主並みの魔族が、使う術だ。
属性継承者なら、よっぽど弱ってないとかからないが、とどこまでも淡々とした口調で付け加える。
「弱ってたって…、あいつがか?」
冗談だろ、と呟くアルフェリアの言葉は、微かに怒気を孕んでいる。
「…堕天使の聖堂で、あいつは戦闘の動きがおかしかった。魔法の援護を、出し惜しむような仕種、見せやがったんだ。元々怪しいとこあったしな。――裏切ったんじゃねーの?」
「裏切るなら、戦闘での動きから、怪しいと悟られないようにするんじゃないのか?」
「…」
「たぶん、操られた方だと思う」
「根拠は?」
「実際に様子を見れば分かる」
「ふん…」
第三者が口をはさむ間もない調子で、やりとりは進んでいった。
それを聞きながら、ティナはぼうっと下を向いていた。
耳に入る言葉は、全て流れ、やり場のない思いだけが熱くわだかまっている。
クルスやアベルの心配そうな視線も、意識に入っていなかった。
ただ、目の前を過ぎるのは、自分を斬ろうとした、『彼』の目――。
「………」
きゅっと拳を握る。
彼女の耳の傍を、言葉が通り過ぎていく。
「まあ…どっちにしろ、だ。じゃあ、あいつ、今敵ってことだよな」
「『今』のところは」
「………。俺は裏切りって線を完全に捨ててはないが…。お前の言うとおり、ヤツが七君主に操られてるとしたら…元に戻る方法は?」
「術者が術を解くか、本人が術をはね返すか」
「やっかいだな」
副船長の言葉を受けたアルフェリアが、ため息混じりに吐き出した。
髪をかいて、アベルに向き直る。
「あんたの護衛がいなくなっちまったな」
「困りましたね〜」
あまり困っていなさそうなアベルに首を竦め、黒髪のゼルリア将軍は、目を細める。
「戦力的にも痛いな。石版が『死に絶えた都』にあるってことは、どっちにしろ、そこに行かなきゃいけないが…」
「…」
副船長と顔を見合わせた彼は、なんともいえない表情で、一同を見回す。
クルス、アベル、そしてティナ。
「…戦力は、三人。使えないのが、二人、か」
「二人…」
淡々としたジェイドの断定に、クルスが不安げに顔を上げる。
無言でアベルが視線を追った。
アルフェリアと副船長の目も、そちらに移る。
「…」
ぼうっとした表情で、だが、かろうじて視線を受け止めて、ティナはとろとろと顔を上げた。
「…なに」
「あんたは、今回残れや。アベルと…そうだな、副船長と一緒に」
「…そんな」
心外を極めた言葉に、思わず呟いた声には、力がまったくこもっていなかった。
属性継承者にして、唯一この中で、おそらく『死に絶えた都』に待ち受けているだろう七君主を、撃退したことのある自分が。
しかも、『いなくなった』アベルの護衛としてならともかく、副船長も一緒に残す、ということは、完全に荷物扱いではないか。
微かな、プライドがかろうじて口を動かした。
細く途切れがちな声は、不遜な表情をした将軍に、かろうじて届く。
「外されるのは、…納得、いかない」
「自分の顔見て、それ言いな」
「…」
そんなティナに対して。
残酷なほどにはっきりと言い切ったアルフェリアの言葉に、彼女は反対の言葉が浮かばなかった。
何か言いかけて開いた口が、空気を求めて空しく開く。
だが、何も出てこない。
頭が真っ白だった。
けだるい無気力が、指先まで犯しているかのような。
「………」
「いいな」
アルフェリアの言ったその言葉は、確認というよりも、断定だった。
それに対してすら、もう何も言うことなく、彼女は下を向いた。
自分を捕らえた、『無私』の青い瞳。
その、冷たさだけが。
じっと身体を縛り付けていた。
どうしようもなかった。
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