Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 死に絶えた都へ
* * *
「カイ…オス?」
 乾いた空気に、ティナの言葉が零れる。
 流れていく金の髪。
 完全な無私の瞳。
 それがティナを刺し貫きながらも、どこか別の空間をじっと見つめていた。
「あ…」
 思わず、手を出しかける。
 その彼女に、
「――浄の集(すだ)く白き壁」
 ふわりと魔力の風が吹いた。
 凍えるような、氷の波動。
 途端に、ティナの全ての動きが止まる。
 そう――『彼』は、今は、敵。
 だが、そうは分かっていても――戦わなければ、死ぬ、と分かっていても、身体が動かなかった。
 ――どうしようもないことに。
「あ…」
 見開かれた目の中で、無情にも魔法は練られていく。
 そのとき、彼女の前に立ちはだかったのは、ローブの陰影。
「…ジェイド…」
「やはり、来たか」
 呟いた彼は、かきり、と剣を構える。
 七君主が、『カイオス・レリュード』に殺させたがっているのは、紛れもない――ティナ・カルナウスだ。
 口の多い七君主の手下は、そう言った。
 一旦退くと言っておいて、仲間が廃墟に向かった隙に、再び奇襲をかける。
「…」
 剣を構えた男の身体が、それと分からないほどに緊張を帯びた。
 砂を孕んだ風が吹き抜けたと同時に、――対峙する影が一つ増える。
「ちっ…不意をついたつもりだったんだがな」
 意思のない『カイオス・レリュード』の隣りに降り立ったのは、七君主の手下の『意思あるダグラス』。
 優越に歪んだ目で、へたりこんだティナと、副船長を睥睨した。
「まあ、しかし――戦力が減ったのは都合がいいな。男よ。一人でオレたちを相手にするつもりか」
「…」
 さきほど、ローブの青年が、『カイオス・レリュード』に対してすら、一対一の時に遅れを取ったのは、紛れもない事実だ。
 その上なお、空間を使う男を相手にするとなると――。
「……」
 ジェイドは、限りなく冷静に見えた。
 こんなときですら、邪魔なローブをはぎとるそぶりも、かといって、絶望的な戦局に怖気づいた様子もない。
 場に満ちる、ぎりぎりの膠着。
 そして、たっと地を蹴り間合いを詰めたのは、『カイオス・レリュード』だった。
 瞬間、『意思あるダグラス』の姿も、空に溶けるように掻き消える。
 その残像が風のはざまを漂っている合間に、カイオスとジェイド。
 二つの影は競り合っていた。
 始まった戦闘に取り残されたティナの後ろに、ふっとけはいが現れる。
「死ね」
 ひゅっと空を切った風。
 振り返る間もなく吸い込まれていく――
「あ…」
 思わず声を漏らしたティナの耳に届いたのは、しかし、がきりという耳障りな鋼の音。
「何!?」
 意思あるダグラスの、焦った叫び。
 空間を渡った彼の剣は、ティナの微かに上空。
 見えない『風』の壁に、阻まれていた。
「狙われているのに、放っておくわけないだろ」
 一旦剣を退き、淡々とつきはなすローブの呟きに、ダグラスは、血走った目をそちらに向ける。
「つまり――お前を殺して術を解く必要がある、ということか」
「やってみな」
 それを皮切りに、金の髪をたなびかせた二人の青年。
 その姿が、残像を残して細身の体に叩きつけられていった。
 一方で、構えを変えた副船長は、そのまま流れるように横に避ける。
 舞うような動き。
 カイオス・レリュードと、意思あるダグラス。
 二者の攻撃をたおやかな動きで紙一重に流し、そのまま距離をとる。
 だが、追いすがるダグラスの残像は、まるで獲物に群がる獣のごとく、二人がかりで退路を塞ぎ、その動きをせきとめた。
「…」
 さすがのローブも、二手から同時に仕掛けられては、なす術がなかった。
 くりだされた剣が、その身体を掠り、鮮血が布に滲む。
 それでもかたくなに邪魔な布を取ろうとはせず――そんな、隙も暇もなかったのだが――、彼は防戦一方になりながらも何とか二つの凶器をさばいていった。
「はは…っははは!! 死ね!!」
 狂ったダグラスの声が、砂漠の風を渡り、座り込んだティナにも届く。
 全てをその紫欄の目に映しながら、ティナには、なにもできなかった。
 ――できないでいた。
「あ…」
(わたしは――)
 一体、何をしているんだろう。
 戦ってる…。
(副船長…)
 一対二。
 さすがの彼といえども、次々に襲い来る二つの影に、体力的にも技術的にも、防ぎ切れないものがあるらしい。
 得意の魔法すら、使える状態ではない。さらに、彼は自分を取り巻く風の結界を操っているのだ。
 何とか今は持ちこたえているが、遠からず、消耗しその刃の餌食になってしまうだろう――
「…」
 そんなことは、分かっていた。
 分かっていてもなお。
 加勢しなければいけない、しなければ、見殺しにしてしまうと分かっていてもなお――。
 ティナには、どうすることもできなかった。
 心臓だけが早く、全身をどくどくと駆け回っている。
 だが、投げ出された四肢は、どうしても動こうとしなかった。
(なんで…)
 こんなに、気力がなえてしまっているのか。
 自分でも、どうすることもできない――深い、深い闇。
 それが手足を戒めていて、呼吸すら億劫になっていくようで――
(わたし…)
 また、何もできないのか。
 アレントゥムを見殺しにしたときのように。
 あのときに感じた、大きな衝撃――そして、脱力感。
 そして、そのとき――今と同様――目の前に立ちはだかった男。
 闇の石版をミルガウスから持ち出し、しかし自らアレントゥムにティナたちとともに赴いて――そして、街を滅ぼした七君主に加勢しながらも、結局最後はティナたちとともに、それに敵対した魔の『分身』。
 石版を奪ったカイオスを追って、光と闇の陵墓で邂逅したのち、アレントゥムが滅びたのち――
 あの時も、彼は、淡々としていた。
 まるで、街のことなど――どうでもいい、というように。
(どうでも…いい?)
 どうでもいいのだろうか。
 アレントゥムと同じように。
 自分のことなんて。
 だから、何のためらいもなく、――自分を殺すことができるのだろうか。
(…)
 鼓動が早まる。
 手足から力が抜ける。
 だが、あきらめたように瞼を閉じた彼女の中で、何か別の声が囁いた。
(――本当に?)
 本当に、そうなのだろうか?
 本当に、彼は、『現在』ティナを殺そうとしているのか?
 だったら、どうして、七君主はわざわざ『彼』を操る必要があった?
(どうして――)
 彼は、『操られる』必要があったのだろう――?
 アレントゥムの一件が終わったのち、七君主が、彼に対して働きかけていたかも知れない。
 その、疑惑はあった。
 ルーラ国の首都に向かう道中。
 単身で彼がミルガウス方面へと向かっている最中。
 ティナたちの前に現れたダグラスは、そうほのめかした。
 七君主が、カイオスを探している、と。
 カイオスが、石版を盗んだ『原因』が、再び蘇ったのか――その、疑念の前に、カイオスが再び裏切るのではないか。
 その、疑惑が仲間たちの間に――ティナに、あった。
 そして、その疑惑の真偽をただすことができないまま、『現在』、彼は操られている。
 もしも、身を翻すのならば、そのまま仲間たちに溶け込んでいるふりをしていた方が、ずっとたやすくコトは運んでいたはずなのに――。
どうして、彼は、『操られる』必要が、あったのか?
(………)
 その、可能性に考えが及んだとき、微かな光がティナの目によぎった。
 それが何なのか、自分でもよく分からない。
 ただ、操られて自分に剣を向けた『彼』の行動が、彼自身の意思によるものではないかも知れない――その可能性を、見ただけだ。
 たった、それだけのこと。
 けれど、さきほどまでの息苦しさは、もう彼女の中にはなかった。
「…――命の灯よりもなお赫く………」
 眼前で、副船長が戦っている。
 動きがこころなし鈍い。
 そのスピードを殺しているローブを、そこまでして、しつこくまとっているなんて、とティナはちらりと思う。
 脱いじゃえばいいのに。
 その一方で、布にはしる赤い筋の多さに、彼女は唇を噛んだ。
 よろめく足で地を踏みしめて、すっと前を見据える。
 おどりかかるように剣を振るう、意思あるダグラスと、――そして、『カイオス・レリュード』を。
「………」
 その無私の瞳を見て、彼女は大きく息を吸い込んだ。
 まったく――はっきりさせるなら、はっきりさせなさいよ。
 意地でも正気に戻して、問い質してやる。
 不吉な『夢』の光景を締め出して、彼女は澄んだ声を上げた。
「逸る血よりも なお熱く」
 意思あるダグラスが、はっとしたようにこちらを見た。
 その隙を逃さず、
「…!」
「…っく」
 ガキリとかみ合った刃を全身で弾き飛ばし、ローブの青年が体制を整える。
 ティナを取り巻く風の結界が解かれ、ふわりと髪をなでていく魔力の残り香に身をゆだねながら、彼女は凛と前を向いて、魔力を練り上げていった。
 四属性『火』に祝福された者の歌。
 聖なる呪の旋律を――
「戦う気になったか」
「まあね」
 ぼそりと呟いたローブの青年の言葉を汲み取って、彼女は口の端で、くすりと笑った。
 そして、小さく付け加える。
「おまたせ」
 ざっと体制を組みなおし、対峙したティナたちに対して、そちらも一旦退いたダグラスたちが、鋭い視線を放ってこちらを睨め付けていた。
「ち…」
「これで、二対二ね」
 悠然と言葉を放ったティナに、ダグラスは忌々しげな視線を向ける。
 勢力を互角にして、再び切って落とされようとする、戦局。
 その緊張の糸が切り裂かれる瞬間――
「あんたら――何してんの?」
 キルド族の語調が、砂漠の風に乗って、彼女たちの間に流れてきた。

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