「!?」
はっと、反応したのは、ダグラスだった。
姿の見えない物陰から、こちらを伺う声の主を睨みつけるように見つめて、
「…一旦ひいてやる」
呟いて、カイオスとともに虚空へと消えていった。
無関係な人間に、目撃されることは避けたのか。
「………」
それをおとなしく見送って、ティナは傍らのローブを見た。
「だいじょうぶ…?」
「…」
「ごめん、今まで」
微かに頷いたローブは、すっと立ち上がる。
目線で追って、一応小さくティナは尋ねてみた。
「回復魔法…いる?」
「必要ない」
「そっか」
「王女は」
「えっと…ごめん、テントで一人………」
「――」
その、ティナの言葉を聞くと、ジェイドはさっとローブを翻して歩いていってしまう。
剣に裂かれたローブが、すれすれに翻る乾いた熱砂――その、地面に落ちる血の染みの跡を、唇をかみ締めて見ながら、ティナはその背を見送った。
そして、すれ違うように、人影が現れる――。
(―え?)
一瞬、どきりとした。
その面影は、ティナの良く知る少年と、酷似していた。
(クルス?)
「うわー、えらい血やなー」
大丈夫なんかいな、と。
そう呟きながら現れた少年は、ティナとそう変わらない年に見える。
茶色の髪、そして、黒い瞳。
(違う…)
キルド族の語調。
しかし、彼らとは明らかに違う色彩に、ティナは目を瞬かせた。
声からすると、先ほどの戦いに声を掛けた人間なのだろうが――。
「えっと…誰?」
「おねーさん、初めましてやなー。護衛の人やろ? めっちゃ強い護衛雇ってたんは、知ってたんやけど今まで、あいさつできへんかって」
「まあ、二百人の隊列だし、ね」
「何してたん? あのおにーさん、えらいケガしてはったけど」
「…まあ、ちょっとあってね」
「魔物に襲われたんかいな」
――この様子だと、先ほどの戦いの詳細までは、見られていなかったらしい。
物音が聞かれただけだったか――。
「まあ、そんなこところよ」
「砂漠の魔物は、容赦ないねんな」
肩を竦めた少年は、おどけた仕種で傍の木にもたれかかる。
南国の実を吊り下げた乾いた幹が、ぎしりと微かに揺れた。
「そういえば、知ってるか?」
「なに?」
「死に絶えた都の噂」
「っ…」
死に絶えた都――その名を聞いた瞬間、血が沸き立つような思いがした。
――凍りつくような、思いも。
「あそこが、なに?」
「最近な、あそこの宝を狙って忍び込む、ろくでもないにーちゃんからの情報なんやけど」
意味深に笑って、彼は瞳を閉じる。
さやさやと風が吹いた。
照り返しの太陽の光が、濃い葉の影を地面に揺らめかせていた。
「あの都――まあ、成り行きからして、よくないやんか。それが最近輪をかけて、あぶなくってなあ…。変な結界…みたいなんが働いて、ヒトを惑わすらしいで」
「…」
「護衛の兄ちゃんらも、隊を抜けてそこにいきはったんやろ? よう分からんけど、急な用事みたいやったそうやな…。けど、無事にいけるかどうか…」
「そう」
『変な結界』。
七君主の力――。
まあ、アルフェリアとクルスは、大丈夫だろうが…――
「七君主といえば…アレントゥムのときはすごかったな」
少年は、話の続きでさらりと話題を変えた。
すんなりと頷きかけたティナは、はっと目を見開く。
アレントゥムの時は…すごかった…?
「えっ………と」
「せやけど、ねーちゃんもすごかったわ。あんなヤツ、ぶっとばすんやもんなー」
どきん、と心臓が高鳴った。
何で、知ってる…?
「光と闇の陵墓…。そこに現れた不死鳥の光の奇跡は」
彼女の良く知る相棒に似た、底知れない少年は、さらさらと語り聞かせた。
縛られたように動けないティナの耳に、それはさらさらと入ってきた。
砂漠の砂が、風に吹かれていくように。
「オレらキルド族だって、見てた。けど、オレはそん中でも、特等席や」
「…」
「クルスに伝えといてくれる? キルド族の『ナナシ』が会いたがってる、て。『約束』果たしに…いくから、て」
キルド族の『ナナシ』。
「…」
「じゃあな」
動けないティナの前から、少年は去っていった。
その背が砂漠の蜃気楼に紛れた頃、やって彼女は息をつく。
「なんなの…」
こんなときに、また。
気が散るようなことを、知りたくはなかった。
だが、そう――。
今は、目の前のことだけを考えよう。
「キルド族のナナシ」
その名を刻み込むように、ティナはゆっくりとかみ締めた。
それを最後に、意識を切り替える。
「さって…」
今から、どうしよう。
キルド族の隊列のまとめ役に会って、護衛の契約にケリをつけて、それから――
「一刻も早く」
砂漠の国、死に絶えた都に行かなければ。
そして――
「………」
ティナは拳をにぎりしめた。
温度のない瞳を。
自分を殺そうと、剣を向けた無私の瞳を。
無理やり頭から締め出した。
「待ってなさいよ…」
七君主。
今度こそ、自分の力で決着をつけて、やる。
「…」
すっと視線を上げると、もう彼女は迷わなかった。
そのまま、歩いていく砂漠の上には、ぽっかりと抜けた雲ひとつない青空が、なみなみと横たわっていた。
その先へ。
続いていく、その先へ――。
『死に絶えた都』への道を、見据えながら、彼女はすっと息を吸い込んだ。
あふれ出る、とめどない不安を――夢の『情景』を押し込めて。
握り締めた拳は、もう震えてはいなかった。
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