「っ…」
開いた視界は、薄暗い。
夢と現の狭間を彷徨っている感覚。
(………)
ぼんやりと、ティナはまどろみに身をゆだねていた。
もう少しだけ。
思う気持ちが、再び瞼を閉じさせていく。
いまは、シェーレン。
小休止をしていて、いつの間にか…。
(ちょうどよく…陰が…見つかったから…)
休んでいたところだった気がする。
「………」
乾燥した空気を吸い込んで、彼女は体勢を変えて、まどろみをむさぼった。
悪夢から解放された、穏やかな時間に、ふと、何か別の『音』が入り込んできた。
(………?)
高く、澄んだ、旋律。
歌、だ。
(女の…声?)
誰のものだろう。
繊細で、それでいて芯の通った声。
物悲しさが、そこに交じり、細い糸が絡み合うかのごとく、情緒とリズムが折り重なっていく。
――光の速さで会いに来て。夢の強さで抱きしめて…。愛しているのはただひとり…。
「………」
一体、誰なんだろう。
それが確かめたくて、ふと、ティナは身を起こした。
その瞬間だった。
旋律は途切れたように途絶え、真夏の日差しが彼女の目を焼いていた。
■
肌にまとわる砂漠の熱気にため息をついて、ティナは身を起こした。
隣りにはアベルが暑苦しそうにしながらも、すやすやと寝入っている。
一刻も早く、先行するアルフェリアたちに追いつかなければならなかったが、太陽の照りつく昼間に砂漠を横断することは、さすがに――特にアベルには――負担が大きすぎた。
ちょっとした岩場を見つけて、小休止しようといい、――そして、疲れもあってか眠ってしまっていたらしい。
こんな暑いなかでよく眠れたものだ、と。
ティナはため息をついた。
まどろみから覚めてしまえば、何かしらの徒労感が、身体を重く這いずっている。
その理由が何なのか、彼女には分かっていた。
――寝覚めの悪い夢だった。
(最近…多いわね…)
ため息混じりに、そう思う。 それに。
「………」
(あの歌は…?)
一体誰が歌っていたのだろうか。
額を拭った腕に、べったりと汗の跡が滲む。
ため息混じりに、彼女は思い出していた。
あの『歌』は、夢ではない。
寝ぼけていたことは事実だが、夢でないことだけは妙に確信を持っていえた。
では、一体。
澄んだ、高い女の声。
あれ――誰の、声だ?
(アベルは、寝てるし…)
三人で旅をしている手前、こうなると、考えられる可能性としては、岩を背にしてじっと辺りを見張っている青年しかいなかったが。
「副船長」
ティナは、少し離れたところにいた男に、軽く声をかけた。
(でもまあ…まさかね)
だって、性別からして違うはず。
胸中では思いながら、彼女はローブの青年へと身体を向けた。
一歩影から出ると、とたんに照りつける太陽に文字通り『焼けつくされる』ような感覚を味わわされるが、岩の作る影は、それを幾分か和らげる。
だからだろうか。
汗をかいている様子も、疲れた様子も見せない。
そんな、『絵画』のような人間に、彼女は思い切って話しかけた。
「もしかして――さっきうなされてたの…起こしてくれた?」
「………」
さすがに『さっき歌を歌っていなかったか』、とは聞けなかった。
だから、代わりにそう聞いた。
夢の向こうから引き上げられるような感覚。
聞こえた声。
もしも、起こされたのだと仮定して、これも、考えられる可能性といえば、彼くらいしかいない。
しかし。
「………」
そんな彼女に対して、向こうからは何の反応もなかった。
男にしては意外に細いからだは、何も聞いていないかのように、そこに『在る』。
明らかに流されたのに、そこに一欠けらの悪意もないからだろうか――。
その静寂は、思ったほど気まずくはなかった。
「何でさ…。…聞いていい? 何で、あんた旅について来たの?」
独り言のような言葉が、さやさやと砂が流れる大地を渡っていく。
ローブは、微かに首を傾けたようだった。
ティナは、続けた。
「船じゃ、さんざん力試しなんてするわ、魔法も剣も、反則的に強いわ…。何にも興味ないようで、ルーラのお姫様助けに行くわ…」
海賊なのに、なんなわけ?
と。
気楽に紡ぐ声は、相手に届いたのだろうか。
長い静寂は、やはり淡々と過ぎていった。
淡々としすぎていて、彼女には、その間はそんなに苦しくはなかった。
ただ、その長い空白の時間の果てに、すっと立ち上がった。
「くだんないこと、聞いちゃったわね。さ、そろそろアベル起こして行きましょ」
「――がある」
「え?」
「確かめたいことがある」
「…」
突然、返答がきて、ティナはぱちぱちと瞬く。
首をかしげて、半端に立ちかけていた体を、岩陰に戻した。
ふうん、と呟く。
「確かめたいこと?」
「ああ。――ただ、それだけだ」
「ロイドたちに関係あること?」
「…」
違う、と。
否定する言葉は、やはり淡々としている。
感情を、根こそぎどこかにおいてきてしまった声だ。
「じゃあ、何よ」
「――」
ローブは、黙ってしまった。
そんなに答えにくいことなのかな、と思って、彼女は話題を変える。
「そういえば…、ロイドとは、長い付き合いなの?」
「…」
「いや、何か、別に気になったっていうか…」
そんな深い意味はないんだけど、と。
言ってまた暫く待つ。
とことん、会話のペースがつかめない男だ。
影のようだ。そこにいるのか、いないのか、分からない。
だが、決してその沈黙は不愉快じゃない。
(いや…)
むしろ、風ね。
何者からも解き放たれたような、自由な。
「…」
膝を抱えなおして待っていると、またぽつりと返事が来た。
淡々とした声だった。
「長くはない」
「そうなの?」
「二年ほど」
「へえ」
じゃあさ、と。
相手を覗き込むように首を傾けて。
ティナは続けた。
うだるような太陽が、二人を照らしていた。
「それまで、何してたのよ」
「――」
その言葉を発して始めて。
「あ…」
相手が、微かに揺れた。
硬直の時間だった。
それを、一瞬でひそめたものの、もうローブからの返答のけはいは、全くといっていいほどなかった。
「………」
はじめて、気まずいと思った。
今度こそティナは立ち上がる。
「さて…。まあ、話しててもなんだし。そろそろ行こうか」
アベルー? いつまで寝てんのよー。
そう、あえて声を上げて、ティナはその気まずさを飲み込んで、また黙々と足を動かしていくことに、没頭していく。
――…おねえさん………。
「あれ?」
その最中で、ふと彼女は振り返った。
熱砂の砂漠の陽炎が、ゆらゆらと揺れているが…。
(誰か…今、呼ばなかった?)
ティナさん、何してるんですか〜? と、アベルが呼ぶ声がする。
無言の副船長も待っている。
「あ、ごめん」
そんな彼らに軽く返事をしながら、彼女は先を急いでいった。
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