――シェーレン国『死に絶えた都』
「ふー、やっと、見えてきたね〜」
「ちょっと、早めに着いたか」
「だね!」
悠久に続くとも思われる砂の波を越えて、クルスとアルフェリア、二人がシェーレン国『死に絶えた都』に到着したのは、カイオス・レリュードの『離反』から、仲間たちの元を離れて単独行動をすること一日半ほど経った頃だった。
砂塵にまみれた視界の果てに、微かに見える陰影がだんだんと迫り、そこに佇む無言の廃墟が、やがて白々とした太陽の下に忽然と姿を現す。
シェーレン国、『死に絶えた都』。
砂漠の乾ききった風に、全てが風化し崩れていく砂上の楼閣は、痛々しい音を上げながら、寂しく歴史の流れに取り残されている。
昔は、絶対的な繁栄を誇った水の都の成れの果て。
傲慢な王家の非道な行いは、結局、自らの首を絞める結果になってしまった。
『死に絶えた都』。
かつての王者たちの亡霊が棲みつく、穢れきった亡者の巣窟――。
「あれ…」
ふと、その廃墟の只中に、自分の良く知った人物を見て、クルスはふと首を傾げた。
陽に輝く金の髪。
そして、その青い眼は――
「カイオス!」
高い少年の声が、砂漠の風を渡る。
金の髪を風になびかせた男は――だが、まるで死んだような目でこちらを亡羊と見つめると、やがて、たっと地を蹴った。
「!?」
足場の悪い砂の地面をものともせず、凄まじい速度で肉薄したカイオスの剣が、クルスを正面から捕らえていた。
「な…」
抜刀しかけたアルフェリアの制止も、間に合わない。
(速い…っっ)
ゼルリアの将軍は、唇を噛んだ。
どんな剣だよおい。
妾将軍の宝の海域の底、海底神殿で見た彼の剣は、こんなにでたらめなものではなかった。
形振り構わず本気――そういうことなのだろうか。
(ウソだろ…)
この自分が、動きで圧倒されるなんて。
「うわ…っ」
その彼の眼前を、少年の体が吹っ飛ばされていく。
空気に散る赤い血に、アルフェリアは舌打ちした。
だが、
「くそ…」
その安否を見る間も与えられず、第二撃が今度は彼のほうに向けられる。
速さと――技の剣。
反則に近い――何でもありの、でたらめな強さを持った。
「っ…」
がきりと、かみ合い、彼はその目を覗き込んだ。
全ての感情を、意思を捨て去った目は、全く次の動きを読ませない。
力では、互角。
ただ、空を切る剣速は、――悔しいことに――明らかに、あちらの方が勝っていた。
ぎりぎりと拮抗する刃を弾き、脇を狙って回り込む。
その動きにすぐさま反応したカイオス・レリュードは、鋭い角度からの蹴りを放ってきた。
膝を狙った一撃を、すっと避けて交わす。
全意識を集中し、間を置かない追撃をさらにかわすと、微かにバランスを崩したその懐に飛び込んだ――
「――っ」
そのとき。
「ふ…はは」
そのときだった。
「なに…!!」
カイオス・レリュードの相手だけで精一杯だった彼の意識に、微かな殺気が紛れこんできた。
背後――全くの、死角から。
(ちっ…!!)
その声には覚えがある。
ハナにつく偉そうな口調は、ルーラ国堕天使の聖堂に向かう前、王都レイシャーゼを目指していた彼らの元に現れた、カイオス・レリュード『そっくり』の男のものだった。
ヤツは、不可思議な術を使った。
空間を、渡る――
(やべえ…!)
眼前の男に掛かりきりだった意識を全投入し、彼はぎりぎりでその場に踏みとどまる。
バランスを崩したカイオスをやり過ごし、背後から一撃を浴びせようとした男の剣を、間一髪で凌いでいた。
「ほう」
「っ…」
後ろも見ずに、不意打ちを凌いだアルフェリアを見て、その耳元で『ダグラス』が薄く笑う。
「なかなかやるな」
「うっせえよ!」
がきりとその刃を弾き、寸分入れず再び向かってきたカイオスの一撃をもかろうじて捌く。
一旦距離をとって、すばやく汗を拭った。
さすがに、息が上がっていた。
(何なんだよ…)
二人がかりでは、流石に分が悪い。
(あれを…どうやって元に戻せって?)
無理だろ、とあっさりとこぼしながらも、彼の目は、砂漠に倒れた少年の姿を素早くさらう。
「………」
地面にしみこむ血の多さ。
早く、手当てしなければ、助からない…。
(ち…)
再び、目を戻したとき。
彼は、はっとそれを見開いた。
「やべっ」
クルスに気を取られていたのが悪かった。
一人――いない。
(どこだ!)
必死に周囲を探る。
その、注意がそれた一瞬を狙って、
「――!!」
ど、っと。
鈍い衝撃が腹を突き抜けた。
「な…」
金の髪が、視界を覆っている。
そこから覗くのは意思のない青い瞳――
「ち…くしょ…」
防御どころか、反応すらできなかった。
一体、どんな速さだ。
そう、悪態をついたのが最後、彼の意識は暗闇のなかに、沈むように消えていった。
■
どさり、と。
地に投げ出された男の体を、金髪の男はやはり意思のない目で睥睨していた。
「ふん…」
そんな彼の背後から、空間を操っていたダグラスが現れる。
まとわる砂を煩わしそうに払ったダグラスは、もう一度ふん、と嘲りの息をついて、一人こぼした。
「あっけないものだな」
完全に意識のない男の体を、つま先で蹴り転がす。
剣で切り下げられた少年の方へは、視線だけを向けた。
「地下牢へ運んでおけ。手当てもな」
七君主は、ヤツラを殺せとは言わなかった。
ただ生かして捕らえよ、と。
そういっただけだった。
(どんなお考えなのか…)
ダグラスは首を傾げるが、答えは出てこない。
まあ、いい。
あの方のなさることに、間違いはないのだから。
「おい」
ふと、傍らの失敗作が行動に動いていないのに気付き、彼は声を上げた。
見遣った先の男の顔は、表情を浮かべないままにも、汗が幾筋も流れている。
(ち…)
七君主から授かった幻惑の術は、対象を『最大限の戦闘能力で戦う』風に仕向けている。
つまり、それだけ消耗も激しいのだ。
それでなくとも、幻惑の術にかかってしまうほどに元から消耗していた彼の体力ならば、なおさらにキツいものがあるだろう。
だが、ダグラスは、それだけではないことを見抜いた。
いくら体力が削られようと、いくら、生命が犯されようと。
七君主――ひいては、その命を受けた自分の言うことであれば、自分の命が尽きるまで従うのが、幻惑の術の利点だ。
だが、動けないほどに消耗しているのではないにも関わらず、カイオスは、すぐには動こうとしなかった。
動こうとしないまま――意思のない目で、じっと砂漠に倒れた二人を見つめていた。
「おい!!」
いらいらとダグラスは叫ぶ。
失敗作が、何をためらっているのか。
空気を響かせた怒声を聞いて、やがて彼は動いた。
二人を抱え上げ、黙って地下に連れて行く。
「まったく…」
それを見送って、彼はいらいらとツメを噛んだ。
些細なことだが、気に入らなかった。
すぐに動かなかったことは――幻惑の効果が、多少でも薄れていることでも示すのか、それとも…。
「………」
術は、それをかけたダグラス、もしくはそれを授けた大元の存在である七君主を倒すか、術をかけられた本人がそれを跳ね返さなければならない。
自分や七君主がそんな無様なことになるはずはなかったし、失敗作が術を跳ね返せるほどの体力を取り戻さないよう、二日間休ませてない。
不可能だ。
彼は、そう結論付けた。
さっきの命に対する逡巡は、術のほころびではない。何かの間違いだ、と。
「………」
さて、と。
ダグラスはひとり、砂漠の彼方を見る。
命令どおり、二人の身柄は確保した。
七君主さまに、報告を行わなければ…。
「ふふ…」
ああ、私は、あなたのお役に立てた。
その、一念が頬を高揚させていく。
ダグラスは、浮かんでくる笑みを隠せないまま、七君主のいる君臨の間へと空間を開いた。
|