――シェーレン『死に絶えた都』???
「っ…」
ひんやりと――そして、どこか湿った空気を感じ、アルフェリアはふと目を開けた。
ぼんやりとした視界に、無骨な岩肌が映る。
「………」
腹の辺りが、随分と重い。
そりゃそーだ、まともに入ったからな、と。
ぼんやりと考えて、――はっとアルフェリアは目を見開いた。
そうだ、やたらと反則的に強かったカイオス・レリュードに一発当てられて――
「クルス」
どうなったんだ。
あの傷は、致命傷だ。
ばっと起き上がって、彼は素早く辺りを見回した。
「………」
一方の壁には、がっちりとはめられた鉄格子。
そして、その壁のもう一方――。
視線を投じた先に、ぐったりと投げ出された少年の姿がある。
呼吸は――規則正しい。
(生きてるか…)
それどころか、ケガをした様子も消えている。
どのくらい気絶していたのかは分からないが、そんな短時間で治る怪我ではない。
おそらく、誰かが『わざわざ』手当てした――それも、瀕死の傷をあそこまで完璧に。
「…副船長でも来たのか…?」
回復呪文といえば、いやでもあの根暗な男が浮かんでくる。
しかし、もし彼がここに来たならば、――こうして自分たちが岩の牢に転がっている意味が分からない。
味方が来たわけではないのだ。
(じゃあ…)
味方ではないとしたら、敵か。
しかし、だとしたら何のために、わざわざ敵が自分たちの傷を癒すのだ?
「………」
眠りこける少年は、すやすやと寝入っている。
よだれに交じって世界の料理の数々が、寝言で飛び出している。
幸せなことだ。
その反対側――何とか、抜け出せないか、とその鉄の檻に近づいた彼は、そこで見知った人影を見た。
見た瞬間、鼓動がはねた。
「…カイオス・レリュード」
ごつごつとした岩に佇むように、彼は立っていた。
見張りなのだろうか。
死んだような目は、いつもの静かな意思を全く感じさせない。
ただ、佇んでいた。
(――『見れば分かる』、か)
副船長が、そう言っていた。
キルド族のテントにいたティナが、襲われた直後。
『七君主』による幻惑の術をほのめかした彼の言葉を、アルフェリアは鵜呑みにしなかった。
裏切った可能性もある――そういった彼に対し、副船長が言った言葉。
(確かに、みりゃ分かる)
裏切る裏切らないどころか、本気で、操られているようにしか見えない。
(あの男が…)
珍しいものを見た気分だった。
――捕らわれた身で、そんな悠長なことを言っていられる場合ではないのだが。
「何だよ、左大臣。いいザマだな」
挑発的に声を掛けてみる。
反応はない。
まるで、それこそ副船長を相手にしているときのように、彼は何ひとつ身動きすらしなかった。
構わずアルフェリアは続ける。
なんだかんだで、言いたいことは溜まっていた。
「てめー、三ヶ月で石版集めるとかほざいて、結局『そっち』側かよ。そうやって、裏切るんだな。アクアヴェイル人かミルガウスの味方なのかもはっきりしねえ。石版は持ち出す…――半端なてめーらしいよ」
先ほどの戦いで気圧されたのが、悔しかったのもある。
腹を割って、話す機会がなかった分、もうとめどなく出てくる言葉は、容赦がなかった。
「何とか…言い返してみろよ…。何とか、言ってみろっつってんだよ!!」
しかし。
「………」
相手は、本当に何も聞こえないないかのようだった。
まともに聞いていたら、間違いなく激昂ものだったが――。
彼は、まるで微風が吹きぬけたかのような顔で、変わらず立っていた。
一方で、言うだけ言い切ると、アルフェリアは口を閉ざす。
「…ちっ」
舌打ちをして、改めて現状を見遣った。
なんだかんだ言って、鉄の檻に閉じ込められたこの現状。
どうしようもない徒労感だけが、湧き立ってくる。
そこに。
「………」
微かな足音を聞きつけて、アルフェリアは耳を済ませた。
岩肌を伝って、ここまで響く音。
それが、だんだんと迫り、やがてカイオスと同じような影が、眼前に現れる。
「目覚めたか」
その男を見た瞬間、もの凄まじい違和感が、アルフェリアを襲った。
何から、何まで。
並ぶ二人のアクアヴェイル人は、そっくりな出で立ちだった。
金の髪。青い瞳――。
だが、一方は、死んだように無反応。そして、もう一方は、にやにやとした目に付く優越の表情を惜しげなく撒き散らし、こちらを見下すように睥睨している。
腹に据えかねる視線だった。
シェーレンで邂逅したときや、砂漠でやりあったときは、戦闘の最中ということもあって、ここまでは気にならなかった。
改めてそれを感じると、迎える視線も自然に鋭くなる。
牢の中と外。
二つの視線が、しばし、相対した。
「…ふん…いいザマだな」
「あんた、誰だよ」
「お前に教える義理などない」
小憎らしげに鼻を鳴らす。
その態度もまた、彼を煮えたぎらせた。
思わず立ち上がり、真っ向からその視線を見返す。
音さえ立ててぶつかりそうな眼光の応酬が、二人の間をしばし行き交った。
「お前達は、生かしておいてやる」
見合うことしばし。
じっとこちらの目を覗き込んだ金髪が、その自信を揺らがすことのないままに、居丈高に告げる。
「あ?」
「そのために、そこのガキのケガも治してやった。七君主さまの温情だ」
「七君主…」
アルフェリアの視線が、険しくなる。
これも、副船長の示唆したとおりだったが、やはり、バックにいたのは、七君主だったらしい。
アレントゥム自由市を吹き飛ばした張本人――。
ろくでもないのが、関わってしまったものだ。
しかし、だとするとこの左大臣との関係は――?
「今から、七君主さまのすばらしいショーが始まる。お前達は、生き証人だ」
「…」
考えるアルフェリアを傍に、男はどこまでも尊大だった。
「不死鳥を操る娘が、あと少しで到着する。そうすれば――」
そのときこそ、本当の『悲劇』が起こるのだ。
そして、再び七君主による魔王の復活も行われるだろう…!!
「な…!!」
その、言葉に。
恭しげに陶酔した男が、述べる言葉に。
アルフェリアは思わず息を呑んでいた。
不死鳥を操る娘――ティナが、こちらに向かっている!?
それを――自分たちのときと同じように、ヤツら二人がかりで待ち伏せるつもりか。
(分が、悪すぎる)
戦力的なことを考えれば、ティナだけでなく副船長も向かっている可能性は高い。だが、同時に戦闘においては完全にお荷物のアベルもいることだろう。
そんな状態で、空間を操るこの男と、やたら反則的に強いカイオス・レリュードを相手に迎えろというのか。
「………」
血走った目で見据えた相手は、余裕の表情を崩そうとしなかった。
やがて、カイオスを引き連れて、再び通路の奥に消える。
「…くそ!!」
やがて、取り残された岩牢の中で、アルフェリアは毒づくと、思い切り拳を大地に突きたてた。
鈍い音とともに、無力な現状だけが、硬い手の甲に跳ね返ってきた。
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