「しっかし…」
死に絶えた都の地下牢。
今だすやすやと眠りこけるクルスを尻目に、アルフェリアはぽりぽりと頬をかいた。
ダグラスたちが行ってしまって、どのくらい経ったのだろうか。
身体の感覚だと、そんなに時間を経た感じではなかったが、心境からすると、もう一日も二日も過ぎたように感じた。
座り込んで、地下牢の鉄格子に触れる。
ひんやりとした感触。
剣を取り上げられた現状では、どうしようもない。
「…」
どうしようもなければ、あてなく考えを巡らせることしかないようで。
(そういや…)
あの、カイオス・レリュードだが。
(アクアヴェイルの、内通者じゃ…ねえのか?)
ルーラ国で、彼とよく似た男が接触していたときには、まだ『裏切る可能性がある』ことくらいしか分からなかった。
アクアヴェイル公国の手先として、ミルガウスを内側から瓦解するため。
彼は、石版を持ち出したのだろう、と。
そう考えていた。
だが、落ち着いてよく考えてみれば、彼の後ろにいるのは、どうやらアレントゥム自由市を滅ぼした張本人である『七君主』と呼ばれる存在であるようで――。
(どうなってんだ…)
考えても、答えは出てこない。
それこそ、ティナに全てを聞くのか、本人に質すしかないのだろうが。
果ては、アクアヴェイルの背後に、七君主でも憑いているのか、という邪推までも浮かんだが、それはさすがに取り消した。
まったく、人間関係の糸が整理されない。
「………」
口に手を当てて考えていると、傍らでうーん、と声がした。
「お?」
「うー? …なんか、腹のあたりがむずがゆいよぅ」
こしこしと目をこすりながら起きたのは、茶髪の少年クルスだ。
漆黒の瞳をこちらに向け、きょとんとしている。
眠りの名残でとろんとした目をこちらに向け、首を傾げた。
「おはようー。朝ごはんはー?」
「今それどころじゃねーんだよ」
「う?」
「お前の相棒が、殺されかけてるかも知れねー」
「へ?」
寝ぼけた頭が、うにゅ? と傾げられて、そのまま五秒。
「え!!」
飛び上がったクルスは、つかみかからんばかりの勢いで、アルフェリアに詰め寄った。
「どういうこと!?」
「どーしたもこーしたも…」
少なくとも分かってることは、と彼は低く告げる。
「オレたちには何もわからねーし、何もできないってことさ」
「そんな、のんびりしてられないよ! ここ、出なきゃ!」
「剣が無え。――それに、さすがに鉄は斬れねーな」
「………」
クルスは、考え込んでいるようだった。
やがて、うん、と何か納得するように頷くと、離れて、と告げた。
「あん?」
「オリから離れて…危ないよ」
「ああ…」
いつもの少年にはない、剣幕だ。
さすがに相棒の命が絡んでいると、その瞳に宿った光は真剣そのものだった。
「天を貫く怒りの雷動よ、この一時我が剣となりて、立ちはだかる愚かな者を打ち倒せ!!」
少年の声とともに、展開する光の魔方陣。
それは、凄まじい速度で収束し、矢の速さで空間へと解き放たれた。
「ライトニング・ブラスト!!!」
かっと、閃光が満ちる――
■
「な………!!」
「何なんですか!?」
「…」
『その瞬間』、目を覆ったのは、意思あるダグラスと王女アベル。
剣がティナの身体を突き刺そうとした刹那――
その身体へ潜り込もうと、切っ先が空を切り裂いた、その瞬間…
まばゆい光が、辺りに満ちた。
何の前触れもなかった。
ダグラスでも、副船長でも――カイオス・レリュードでもない。
呪文の詠唱も、魔力の発動さえも。
そこには、何の前触れもなかった。
全てが白き光に浸されたのは一瞬、太陽が降臨したのかとも思える瞬間を過ぎた後には、ウソのように、そこには『何も』なかった。
ただ、むなしく空間を掠ったカイオス・レリュードの剣先だけが、うなりを上げて振り下ろされただけだった。
「ティ…ティナ…さ………」
王女のかすれた声が砂塵に混じる。
そこには、彼女だけが――ウソのように、いなかった。
「く…目が…!!」
あまりのまばゆさに一瞬気を取られたところを、
「空高き、天の楽園に…」
中性的な声音が鋭く割って入った。
アベルをつかむダグラスの腕ごと、その先を吹き飛ばす。
「ぎ…ぎゃあああああ!!」
「きゃ…」
傷口から血を吹いて悲鳴を上げるダグラス。
一方で戒めから自由になったアベルは、軽くたたらを踏む。
――その腕を。
「…走れ」
「副船長さん…」
ローブの青年がつかんで、たっと駆け出した。
「くそ…。追え!!」
傷口を庇いながら、ダグラスが吼える。
だが、カイオス・レリュードは動かなかった。
光を失った瞳はそのまま、彼はただ砂塵の中に立っていた。
その隙に、副船長の魔法が発動する。
「空高き、天の楽園に、舞い降りし風の、一欠けら。囁く自由の、踊り子よ。汝が翼、貸し与えん…」
空間転移、と口ずさむや否や、その足元に光の魔方陣が出現する。
風が包むように二人の姿を押し隠し、花がほころぶように魔力がほどけた後には、その姿は消えている。
「くそ!!」
だん、と地を叩き、ダグラスは激した。
命令の通りに動かなかった、カイオス・レリュードにも。
自分の片腕を吹き飛ばして逃げたローブの青年にも。
そして、忽然と消えたティナ・カルナウスにも――。
何もかもが、予定外だった。
それは、何より彼をいらだたせた。
(何が…起こった…!!)
自分の血が点々と地面に伝う。
ローブの青年の出血も、どす黒く地面にしみこんでいる。
だが、ティナ・カルナウスのものと思われる血の跡は、そのどこにも見受けられなかった。
しくじった――。
要は、そういうことなのだ。
「…!!」
忌々しかった。
はらわたが、煮えたぎるようだった。
その全てを奥歯の一本にこめ、ダグラスは声もなく呻いた。
(くそ…)
傷は浅くない。
痛みで目がかすむ。
一旦…退くしかないのか。
「くそ…」
こんなところまで来て。
ここまで、追い詰めておいて。
また、まんまと逃げられたというのか…!!
「くそ!!!!!」
ダグラスは、吼える。
その叫びは、ただ深々と、砂塵に吸い込まれていくだけだった。
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