――???
暗闇の中で、二つの容貌が、見詰め合っていた。
それは、鏡像が向き合っているような光景ですらあった。
金の髪。
整った顔立ち。
ただ、向き合う瞳の色だけが――対照的に輝いている。
一方は、限りない狂気を秘めた歓喜の赫。
一方は、いっぱいにまで見開かれた、絶望の青。
――イヤ、ダトハ言ワセナイヨ。『ミルガウスノ左大臣殿』?
幼い子供の狂喜を宿した声は、闇の中で深々と溶けていく。
ミルガウスの石板を持ち出せ。
さもなくば、この国が滅ぶ、と。
その突拍子もない言葉のすべてを、『彼』は撥ね付けることが出来なかった。
他愛もなく紡がれる現実味のない言葉の全てが、本気の脅しであることを、『彼』は十分すぎるほどに知っていた。
自分を――追いかけ、殺そうとし続けた七君主。
その執念の前に、『彼』はすでに何人もの犠牲を出していた。
阻止することができずに――。
「………」
感情は拒否しても、理性はその結果を知っていた。
結果、七君主の言葉に従った自分の行動の果てに――
国境守備隊とアレントゥム自由市は、壊滅した。
――どうすることもできず。
立ち尽くすしかない。
全ては、起こってしまった。
止めようもなく。
――あんた………
その耳に、女の声が入り込んできた。
『彼』は、視線を上げた。
紫欄の瞳があった。
剣をつがえ、放心したようにこちらを見据えている。
芯のある意思に裏打ちされた目は、怒りと、それ以上の戸惑いを宿していた。
女が、その目をして対峙していたときのことを彼は、覚えていた。
アレントゥム自由市崩壊の瞬間。
その直前に、七君主の命で、『彼』は女と刃を交えた。
彼女の持った石板を、持ち出し、光と闇の陵墓まで来たところを、追いかけてきた彼女と戦闘になった。
持ち出した石板を意思あるダグラスに託し、女と対峙したときには、特に何の感慨も抱かなかった。
適当に相手をして、さっさとダグラスらに合流するつもりだった。
だが、見据えた女の視線は、必死に言葉を投げかけてきた。
どうして裏切るようなことをしたのか、と。
必死に食いついてきた。
その愚直さが、哀れだったのかも知れない。
ダグラス・セントア・ブルグレアの妄執を語り、自らの生い立ちめいた事柄を明かそうと思ったのは。
自分でも理解に苦しむことだった。
ただ、それを聞いて紡がれた女の言葉は、『彼』の思考を確かに、止めた。
『 』
■
その刃が、――ダグラスの命に従い、地を蹴ったカイオス・レリュードの刃が――身体に達しようとしたとき、ティナは全ての意識を投げ出した。
避けられないタイミング。
全てが、『終わる』のだと、覚悟した。
しかし、直後に訪れたのは、深い浮遊感。
包まれるような魔力の波動。
身体が貫かれる感覚の代わりに――、目の前を通りすぎていく、いくつもの、『光景』――。
(私…は………)
身体が空中に投げ出されてしまったような感覚だった。
全ての緊張の糸が解ける。
来るはずの衝撃も、それがもたらす『死』の恐怖さえも。
その浮遊の最中には、感じることがなかった。
全てが解き放たれた空間で、ティナは夢を見た。
それは、堕天使の聖堂で見た、かつての悪夢だった。
(わたしと…カイオス………)
二人の人間が、打ち合っている。
四方は壁。
岩に覆われた人口的な広場。
そこにいるのは三人。
自分と、彼と、そして七君主。
(剣を…打ち合ってる………)
金髪の青年と自分とが、鋼を削らせて命をやりとりしていた。
ひどく実感として薄いが、光景は確かに動いていた。
一撃、一撃、重く急所に潜り込んでくる正確な斬撃。
そして、それを見守るかのように佇む、七君主。
(どうして…)
こんなことになっているんだろう。
剣戟が火花を散らして交じり合う。
明らかに自分が劣勢だ。
だが、相手も決め手に欠けている。
何か――なぜか、動きがぎこちない。
(どうして…)
考えるが、そのときから白濁した眠りの中に引きずり込まれていくような感覚で、それ以上踏み込むことができない。
ただ、戦いはそのまま進み、そして――ふと戦いを見守る七君主が、すっと自らの手を上げた。
(あ…)
その先に、魔力が集中する。
一瞬で現れたその小さな塊は、だが属性継承者の感覚から、鉄を貫通するほどの威力を持ったものだとすぐに想像がついた。
それが――ためらいもなく、放たれる。
指先を離れ、そして、自分たちの方に。
(あ…)
ただ、ティナは見ているしかない。
剣をさばくだけで精一杯だった。
一直線に自分を狙うその軌跡を、ただ見ているしかなかった。
(死ぬ…)
他人事のようにティナは悟る。
動きを制限された身体に、光泉が食い込む――その、直前。
ぐらり、と眼前の人物の体制が崩れた。
故意ではない。
すべては、偶然だった。
(え)
はっとティナは、目を見開く。
ちょうど自分と魔力との間に割り込むように倒れかけた青年の身体に、その死の閃光は深々と衝き立っていた。
吹き出す血。
まるで、何かできの悪い歌劇のように、それは展開した。
紛れもなく――心臓に突き立った七君主の毒牙は、その生命を縫いとめていた。
死の世界へと。
呆然と見つめるティナの手が、真紅に染まっている。
身体に感じる死の重さ。
その全てが。
ティナを支配していた。
呆然とした感覚の中で、彼女の目が見開かれる。
――そして。
「あ…」
少女の感情が、爆発しかけたそのせつな。
――…!!
何か、上から引っ張られていくような感覚を覚えた。
それは、いつか味わったことのある感覚だった。
はっと正気に戻るティナの意識は、急激に浮上していく。
やがて目を開けたときには、目の前には石の壁――。
激しい動悸と流れる汗が、わずらわしい。
気を落ち着けるために、彼女は一旦目を閉じた。
「夢…」
なぜ…どうして、自分は『ここ』にいる? どうして、こんなところに転がっている?
「どうしたんだっけ…」
しばらく、夢と現実をさまよっていた視線が、はっと見開かれる。
慌てて飛び起きると、周囲を見回した。
そう――自分は、ダグラスやカイオスと戦っていたはずだ。
アベルを人質に取られ、副船長がやられて――そして。
「わたし…どうなったの…?」
敵はおろか、味方もいない。
だからといって、自分であの死地を何とか切り抜けたとも思えない。
一体誰が、助けてくれた?
『目が覚めた?』
「!?」
そんな彼女に突然声が降って来て、冗談抜きにティナは飛び上がった。
慌てて、周囲を見回す。
背後も、左右も。
だが、けはいは愚か、何者の姿もそこにはなかった。
「な…」
『上だよ』
少年の声だった。
クルスのような開放的な語調ではなく、どこか内にこもった、だが優しい響きをもった理性的な声音。
「え?」
はっと見上げた先に、金髪の少年の身体が透けている。
――死に絶えた都は、今だ天に召されることのないかつての王家の亡霊たちが、人知れずさまよっているという。
それをとっさに思い出して、顔を思い切りひきつらせたティナは、次の瞬間再び目を見開くことになる。
『この姿でははじめまして、だね。ティナ』
「な…」
何で幽霊が自分の名前を知っている?
半開きにした口は、答えを求めてさまようが、必死に張り巡らされる思考は、一つの現実を改めて突きつける。
滅びた王家の幽霊が、金髪のはずがない。
「えっと…」
『僕は、カイオス・レリュード』
呆けた視線で見上げる少女をにっこりと見下ろして、十歳ほどの少年の姿をした『幽霊』は、青い瞳をティナに向け、意味深に微笑んだ。
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