「カイオス…レリュード?」
ティナは、乾いた口をかろうじて動かした。
胸に過ぎった驚愕が大きすぎて、言葉を飲み込んでしまったかのようだった。
何かいいたいのに、何も出てこない。
彼女の紫欄の瞳に映っているのは、だが確かに金の髪と青い瞳を持つ――小柄な姿の少年だった。
「あの…えっと…」
『ティナが夢の中でうなされていたから、現実へ帰ってくる手助けをしたんだ。大丈夫だった?』
「う…うん」
こくりと頷くと、透けた体がすうっと下って自分の目線の高さに来る。
あわせて高さを変えた彼女の瞳の前で、にこっと少年は笑った。
邪気のない笑みだった。
『さっきも――『彼』がティナを殺そうとしたから、僕がとっさに魔法を使ったんだよ。ここに連れて来たんだ。間に合ってよかった』
「彼…」
『うん。君たちが『カイオス・レリュード』と呼んでる彼、だよ』
「あなた…彼とは、どんな関係なの?」
わけが分からない。
ぱちぱちと瞬いて、ティナは言葉少なに聞いた。
少年は一体『誰』で、カイオスとはどんな関係なのか。
そもそも、透けているって一体。
「幽霊…じゃ、ないの?」
『幽霊…か。そうかといわれれば、そうだね。十年前に僕は『死んだ』から。そして、父は――』
「………」
少年は、ふっとまつげを落として、悲しそうな顔をした。
彼のいう『父』とは、『ダグラス・セントア・ブルグレア』のことなのだろうか。
アクアヴェイルの希代の賢臣、だった。
息子の死で、彼は精神を病んで、遁走した。
それから、七君主をその身に宿し――世界の破滅を願って、その手下とするべく幾人もの『分身』を作り出した。ティナたちと行動を共にしている――そして、今はその意思をなくし七君主の手の中でティナを殺そうとしている――『カイオス・レリュード』は、その一人だ。
『カイオス・レリュード』という名も、ミルガウスの左大臣となるにあたって名乗るようになった偽名らしいが。
『僕は、ずっと、『彼』の中にいた。君たちが『カイオス・レリュード』と呼ぶ『彼』の中に』
「そう…なの? 死んだ、『本物』なの…? あんた」
本物という言葉が、ふさわしいかどうか、ティナには分からなかった。
少年は、十年前に命を落とした人間なのだろうか。
だから、身体が透けているのだろうか。
しかし、ティナたちの知る『カイオス』の中にいた、とは一体…。
『全てを話すことはできないけど――。僕は、正真正銘、ダグラス・セントア・ブルグレアの息子だよ。シルヴェアに人質に行ったこともある。そして、『一旦命を落とした』。それからはずっと――、僕は、『彼』の中にいた。『彼』の一部だったんだ。だけど、『彼』は、いま七君主に精神を支配されてしまっている。だから、『彼』の中に、僕のいる余地がなくなってしまった。それで、身体を追い出されて、こうしてさまよっているってわけ』
「き、消えたりしないの…?」
『今のところは大丈夫だけど、今からのことは分からないな』
「…ほんとに…あいつと同一人物…?」
冷然とした青年の『中にいた』とは思えないほど、少年には険がなかった。
無邪気な笑顔と、やわらかい雰囲気。
そこには、氷のような鋭さや冷たさはまったくなく、むしろ、全てを包み込む生命の源――水のような優しさを感じた。
ダグラス・セントア・ブルグレアの一人息子。
その若さでアクアヴェイル国の正統な王位継承者を差し置いて、人質にと望まれたほどの、卓越した頭脳の持ち主…。
「あんた…じゃあ、いろんなこと知ってるんだ」
『一度覚えたことは、大体忘れないね』
「…」
にこっと笑った少年の言葉は、とんでもない自慢だったが不思議と嫌味ではなかった。
どこか恥ずかしげで、どこか誇らしげだった。
「じゃあ…たとえば、ここはどこで、石版がどこにあるか、分かるわけ?」
『…』
ふっと幽霊は笑った。
金の髪がさらりと揺れる。
首を傾けた少年は、こくんと頷いた。
『ここは、死に絶えた都の地下墓地だよ。石版は、この地下の中央王墓にある』
「地下墓地…」
『おねえさん、知ってる? 『ここ』にはね。水があるんだ』
「へ?」
『シェーレンの死に絶えた都は…水が涸れて滅びたといわれてる。けど、実際には、水は地下に逃げただけなんだよ。地下の奥底で――水脈は生きてる。ときどきこだまのような音がするのは、そのせいなんだ。その音を、まるで人間が吼えているようだと――人々は王家の人間の呪いといった』
「へえ…。じゃあ、王家の人たちは、どうしたの?」
死に絶えた都の王家の人々は、呪いにより、水のなくなる地から去ることができなかった。
だが、水は地下に逃げただけと少年は言う。
水が涸れたという伝説が食い違うなら、王家の最後にも食い違いが出てきそうなものだが…
『うん、それはね。僕にもわからない』
「…」
『実際…王家の人々は、どうなったのかな…。そこまで文献を調べることはできなかった。その前に…僕は死んじゃったから』
「あ…」
悲しそうに目を伏せた子供を、ティナはどきりとして見つめた。
しまったと思う。
思いは無意識に口を動かし、彼女は慌てて紡いでいた。
「あの…それはそうと、さっきあんた、カイオスの――あいつの中にいた、って言ったじゃない?」
『うん』
「じゃあ…」
ティナにとって、それを言うのは、少し勇気がいることだった。
「あんた、彼の気持ちが…――彼の『意図』が、分かるの?」
『………』
少年は、即答しなかった。
ただ、穏やかな瞳が、少し思案するように間を置いた。
『そうだね』
と、少年は言った。
『僕は、『彼』のことを知っている。『彼』の中で、『彼』をずっと見てきたから』
「………」
『おねえさんは、知りたいんだね』
せっかくだから、少し歩きながら、お話しようか。
そう呟いて、少年はふわふわと漂いながら、先を目指した。
それを半歩遅れて歩きながら、ティナはその話に耳を傾けた。
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