Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 カイオス・レリュードの亡霊 
* * *
――死に絶えた都 地下墓地


『知ってるよ』
 自らをカイオス・レリュードと名乗った少年は、空中にふわふわ浮かんだまま、手を後ろで組んだ。
 ひょいっと覗き込むようなそぶりで、軽く首を傾ける。
 澄んだ青い眼が、ティナを優しく映していた。
『君たちが、『カイオス』と呼ぶ彼の気持ちを、その真意がどこにあるのかを――…。僕は知ってる――ずっと、彼の中で、彼のことを見てきたから』
「うん」
 どきどきとティナは耳を傾ける。
 何か――祈りにも似た思いを感じながら。
『その前に』
「え」
『一つ聞きたいんだけど』
 期待はずれの切り出しに、ティナは紫欄の目を瞬かせる。
 思いがけず深刻な声音で少年の深い瞳が、ティナの姿を捉えていた。
 じっと全てを――見極めようとするように。
『おねえさんは――『彼』のことを信じている?』
「…」
 ティナは、微かに息を呑んだ。
 きっぱりと、信じている信じていない、といえることではなかった。
 かといって、ウソを言い出すこともできない。
 少年を欺けば、彼は、決して自分も、本当のことを言わないだろう――。
「そうね…」
 言い出す言葉を選んで、ティナは乾いた地下墓地の通路に、視線を当てなく巡らせた。
 少年は待っていた。
 じっと、待っていた。
「出会ったときは――ろくでもないヤツだと思ってた」
 ため息混じりに、ティナは本音を言う。
 二つの闇の石板を持って、ミルガウスに訪れたとき。
 迷い込んだ先で鏡の神殿は燃え盛り、『たまたまその場に居合わせた』あの男は、平然とした顔でティナたちを拘留し、果ては奪われた石板を取り返すため、アレントゥム自由市に赴く羽目になってしまった。
 そして、一旦――彼女は、自身の石板を奪われた。彼に。
「何…考えてるか、分からなかった…」
 そんな彼を追いかけていった先で、アレントゥム自由市の崩壊を目撃した。
 『石板を持ち出さなかったら、そうなっていたのはミルガウスだった』と聞かされた。
 それを聞いて激怒したティナに、彼は自分の隠し持っていた石板を差し出した――。
「七君主の側の人間だと思っていたら、そーでもないみたいだし」
 託された石板を手に、魔王カオスを復活させようとしていた七君主と相対した。
 そのとき聞かされた言葉。
 『彼は僕を裏切った。たくさんの同胞を殺した』と。
「でも…結局、一緒に戦ってくれた…」
 七君主を止めたときから、シェーレン国へと至るまで。
 『意思をなくしてしまう』まで。
 彼は、ただ淡々と石板を探すための手がかりと、そのための戦闘をこなし続けた。
 その真意は、分からなかった。
 ティナは、右大臣サリエルから持ちかけられた話に乗っただけだ。
 石板を見つける旅に、同行しないか、と。
 旅に同行して、カイオス・レリュードの示すままに、戦闘をこなしていった。
 そう、一人魔封書を使い、石板への道を示し続けたのは、カイオスだ。
 そしてそれは、かなり厳しいものだったはずだ。
 魔封書自体が魔力を消耗するのに加え、その道行きを守るため、彼は戦闘のほうも積極的だった。
 気付けたはずなのに、それに気付けなかった。
 シェーレンの砂漠を横断するキルド族のテントで、熱を出した彼を気遣って――拒絶されて…。
 そして、心無い言葉を放ってしまった。
 人殺し、と。
 そこまで思い出して、ティナはきゅっと手に力を込めた。
 こみ上げる思いは、複雑に絡み合っていて、とても言い出せなかった。
「…分からない…」
 逡巡の果てに、彼女は呟く。
 考えることに、疲れてしまった。
 砂漠の照りつける太陽に長時間さらされたときのように、言葉に力はなかった。
「けど…信じたい」
『うん』
 やっと搾り出した言葉は、からからに乾ききった砂漠の砂のようだった。
 そんなティナを見つめる少年の目が、一滴の水のように穏やかに揺れている。
『少し…考えてみて欲しいんだ』
「何を…?」
『おねーさんだったら…、もし、七君主に取引を持ちかけられたらどうする? 
『石板をもってこい。さもなければミルガウスを滅ぼし尽くす』って。
 けれど、石板を持ち出せば、アレントゥムのように――世界中が危険にさらされる。
 おねーさんは、そんなことを言われたら、どちらを選ぶ?』
「………」
 そんなこと、と言いかけて、ティナは言葉を失った。
 どちらも選べるはずがない。
 何回か口を開いて、閉じて。
 結局ティナは、その通りを言葉にした。
「どちらも…選べない…」
『そうだね。どちらも選べるはずがないよね。彼も――『そう』だった』
「………」
『ミルガウスも、世界も、どちらも大切だった。そんなことは痛いくらい分かっていたよ。けれど、どうしようもなかったんだ』
 絶句するティナに、少年の言葉はさらさらと降り注ぐ。
 あきらめきった言葉になんとかすがりたくて、彼女は必死で思いを手繰り寄せた。
「けど…石板を渡す前に、やることが――できることがあったんじゃないの?」
 自分は選べなくても、彼にならできたのではないか。
 何の地位も権力もない自分ではなく、ミルガウス王国の左大臣たるカイオス・レリュードならば。
「左大臣なんだから…。ミルガウスで一致団結して、七君主に対抗するとか――。できることは、いくらでもあったはずよ! さっさとあきらめないで、少しでも抵抗することが、できたはずなのに――!!」
「『出自も名前も分からない異国人』」
 砂漠にひっそりと息づく水のように、さらさらと流れる少年の言葉が、今度こそティナの言葉を止めた。
 目を見開いて、ティナは少年を見つめた。
 悲しいのに、苦しいのに――。
 何も言うことができなかった。
 ただ、何かが胸の中につっかえて、ひどく気分が悪かった。
 『出自も名前も分からない異国人』。
 ずいぶんと、聞きなれてしまった言葉だった。
 聞きなれすぎて、そしてそんな言葉を受ける彼は余りに平然としすぎていて、彼の置かれる立場の危うさを忘れてしまっていた。
 同盟国の将軍であるアルフェリアや、彼を認めているアベルでさえ、そんな風に彼を見ているところはある。
 さらに、少し前に話したことのあるゼルリア将軍サラは、露骨にそれを態度に表していた。
 それを思って。
 ティナは必死で少年を見つめるしかなかった。
 彼は、少し寂しそうに笑った。
『生まれた場所も――名前も、ない。だって、七君主に『つくられた』んだもの。全部本当のことだ。けれど、――そんな事情が周囲に明かせるわけない。かといって、すぐにバレるうそをつくわけにもいかない。実際彼自身は、アクアヴェイルの地を踏んだことが、それまでなかったんだから――』
「…」
『自分が不審なことは分かってるし、そんな事情だから、信頼できるひともいなかったよ。その状況で…七君主が、さっきの取り引きを持ちかけてきたんだ。さて…その中で――果たして、七君主を倒すための勢力を集うことが、彼にできたのかな?』
 投げかけてはいるものの、すでに答えは明白だった。
 ティナは首を力なく振った。
 頷いた少年の瞳も、また暗く沈んでいた。
『ご名答』
「…」
『確かにね。彼は強いよ。戦闘能力だけじゃない。判断力も決断力も、大抵の人よりも遥かにね。それに――。あれだけの謗りを受けながら、平然とできている精神力も、相当のものだと思う。けどね。
 ――平然としているからといって、別に超人でも何でもないし、何を言われても平気なわけじゃないんだよ』
 淡々とした少年の言葉は、ティナの中にある何かを、しっとりと流していった。
 そう――何か、カイオス・レリュードに対して持っていた、絶対的な『何か』。
 それが、やんわりと溶かされていく。
『おねーさんはさっき、『彼が何を考えてるのか』分かるのか、僕に聞いたよね。分かるよ。だって、僕は彼の『中』にいるんだもの。だけどやっぱり全てを話すことはできない。それは、彼に悪いから。だから――僕からいえるのは、このくらいだ。ただ、もう一つだけ言わせてもらうと、彼は、自分が守るべき王女を、『まったく信用していない人間』に託すことはしない』
「…」
『ルーラ国で別行動したとき』
 ぱちぱちと瞬いたティナに、少年は、いたずらっぽく笑って答えた。
『彼は、君たちを信用してるよ。けど、信頼していいのかどうかは――。おねーさんと一緒。彼だって、『分からない』』
 ようやくにこっと笑い返したティナは、ふっと息をつく。
「うん」
『後は、彼に直接聞いたらいいよ』
 答えた少年はくすりと笑った。
 その顔が――
『!?』
 はっとこわばった。

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