「えっと…副船長さん、ここは?」
「地下墓地への入り口」
荒れ果てた大地には、風とそれに吹き上げられた砂塵があぶれている。
崩れた石の合間を縫って、たどり着いた『死に絶えた都』のさらに果て。
長く歩いた果てに、ぽつぽつと石碑のようなものたちが立ち並ぶ、その中心で、海賊の副船長は足を止めた。
「…」
先ほどのやりとりの時に、感じた気まずさがまだ尾をひいていて、アベルは気安く言葉をかけられない。
ここが、『墓地』らしいのは、分かる。
明らかに人工的な切り口を見せて埋もれる石の群に、刻まれた古い文字。
風化して、何が書いてあるのかはよく分からないが、多分身分の高い人間たちの墓標だろう。
普通の人間たちなどは、砂に『還される』だけで、墓などないと――よくて、街から離れた共同墓地にまとめて埋められるだけだと――確か、前左大臣のバティーダあたりに、アベルは聞いた気がした。
だとしたら、曲りなりに町の『内部』にある墓地は、王たちのものなのだろう、とは分かる。
だが――彼女に分かるのは、そこまでだった。
この荒れ果てた墓に来て、彼は一体何がしたいのだろう。
『地下』の墓地とは…。
「分かりません…」
唇を尖らせて、小さく呟いたアベルの眼前で、ローブの青年は、すっと足を上げると突然、墓石を蹴り上げた。
「!?」
思わず身を竦ませた王女の目の前を、がらがらと石が転がっていく。
ぱちぱちと、彼女は瞬いた。
「な…」
(まさか、今ので、キレたんですか!?)
何て、キレやすいんだろう。
砂漠の熱にいらいらしているんだろうか。
それとも、ケガが痛むのか? 血は止まったように見えたのだが…。
だが、それにしても、どうして、突然――。
「…」
凍りついたアベルの前で、彼は次々に墓石を蹴飛ばしていく。
尋常な数ではない。
転がる石――その、十数個の全てを彼は、てきとーに転がしているようにみえた。
だが、単なる発散行為ではない。
それにしては、楽しそうでもなんでもない。
だからといって、『何がしたいのか』は不明なままで。
どきどきしながら、待っていると、彼は、最後の石を転がした後、すっとこちらに近づいてきた。
(な…なんなんです?)
なぞの行動に、身を硬くするアベルに、ローブの向こうから、淡々とした声が漏れた。
「下がって」
「え? は、はい」
「ケガをする」
(ケガって…)
そろそろと後退したアベルが、十分な距離をとったところで、青年は、すっと手を広げた。
さらりと魔力が舞い上がり、強大な円陣が乾いた砂塵に舞い降りる。
「――悠久なる砂漠の民の 穢れなき大いなる覇者よ」
びゅう、と風が吹いた。
魔力のきらめきを灯した、涼やかな風だった。
「歴代の王の軌跡と その雄大なる紋章の力に導かれ…」
(あ…)
その景色を見ながら、アベルは目をこしこしとこすった。
(あの図形って…)
無造作に副船長が蹴り転がした石の、その全体の形に、彼女は微かに見覚えがあった。
確か――とっても退屈な世界史の勉強をしたのときに、時の左大臣にして、アベルの教育係だったバティーダ・ホーウェルンから聞かされた覚えがある。
――よろしいですかな? ――さま。死に絶えた都の墓は、本当は、地下にあるんですよ?
――どうして、地下なんですか?
――その方が、涼しいからでしょう。
――そうなんですか?
――そうです。王様たちの、秘密の別荘なんです。だから、ふつうの人たちに見つからないように、特別なおまじないをかけて、入り口を隠してあるんですよ。
――おまじない?
――そう、王家の系図と、紋章に関わるおまじないです。
(王家の系図と、紋章に関わるおまじない…)
目の前の副船長の行動が、アベルはやっと理解できた。
王の即位の順に、墓石を紋章の形に並べて――
(代々伝わる秘密の言葉を唱えたら――)
地下への扉は、開かれる。
だが――。
なぜ、それを海賊の副船長が、それを当然のように知っている?
(どうして…?)
その答えが、見つかる前に、彼の両手にたまった魔力が、柔らかな軌跡を描いて、飛び出した。
紡がれていく、呪文に添って。
石の一つに光が飛び移り、残像を残して次に移る。
おそらく――王の即位した順に――地を辿り、描かれ行く紋章は、始めの石に宿った光が消えない間に、最後の石にたどり着いた。環の始まりと終わりが結実し、完成した魔方陣は、まばゆい光に包まれ、アベルは思わず、目をそむけた。
「…!!」
光があふれたのは、一瞬。
次に目を開けたとき、アベルの前には、並んだ石の中心にぽっかりと開いた、大きな穴が佇んでいた。
ひゅうひゅうと風が吹き込む暗い通路へと導く、石の階段が導いている。
聖なる王者たちの、『秘密の別荘』――地下墓地へと。
「…」
息をするのを忘れていて、苦しくなって、アベルは慌てて吸い込んだ。
砂が入ってきて、気分が悪かった。
だが、それ以上に、不気味だった。
(どうして…)
海賊が、『王の系図』と、『紋章』――のみでなく、その扉を開く『おまじない』まで知っているのか?
アベルですら、その『おまじないの言葉』をバティーダから聞くことなかった。
肝心なものは覚えたがらないくせに、こんなところだけ知りたがる王女に対し、老人は穏やかに諫める言葉を呟いた。
――それは、いけません。――さま。その言葉は、軽々しく言ってはいけないのです。そうですね…将来、王様となるくらい、責任と覚悟を持った人ではないと、伝えてはいけないのです。
「将来…」
王様になるくらいの、…?
「副船長さん?」
階段を降りかけていたローブの青年の、その細い背中に向かって、アベルは呟いた。
微かに動きを止めた、能面的な顔に、訴えるように言葉を投げかける。
「どうして…あなたが、これを…」
「じーさんが」
「…」
「俺の船の前の副船長が、知ってた」
「それは…」
今ここで、アベルの疑念を納得させるには、あまりに的外れな答えだった。
少なくとも、彼女自身はそう感じた。
「それは…!!」
強く、言い出そうとしたそのとき、突然ローブの青年の背中が、それと分かるほど緊張を帯びた。
同時に、彼女自身の中で、何かがはじける『音』がした。
何か――自分が自分である『何か』が、弾ける、音。
(あ…)
それは、以前にも感じたことがあった。
アレントゥム自由市。
街が崩壊する『直前』だった、という。
彼女自身は覚えていないが、目を閉じる直前に感じた感覚に似ていた。
「…」
崩れ落ちるそのわずかな合間に、彼女の目に、ローブに踊りかかっていく、きらめく幾筋もの金の髪が見えた。
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