――死に絶えた都 地下墓地内
「がっ…」
空を裂く銀の軌跡が、また一つの命を葬る。
普段と違いローブを激しくはためかせ、突然気を失った王女を後ろに庇ったジェイドは、ふっと刃を振って血を払った。
王女を庇ったせいか、随分と手間取ってしまった。
しかし、これだけの『駒』を使うとは――
『王子』
「………」
不意に、覚えのある声に呼ばれ、ローブの青年は、そちらを向いた。
蒼白な少年が、上空を漂っている。
金の髪。青い瞳。
十歳程度の年頃だろうか。
青い眼が、ローブの葬った意思なきダグラスたちの末路をちらり、と掠め見た。
短く、目を伏せ、そして上げる。
切羽詰まった声で、少年は、語りかけた。
『久しぶりだね…王子』
「カイオス・レリュード」
『覚えてて、くれたんだね』
薄く微笑む少年は、目を細めてローブを見下ろす。
その布の合間から、微かに視線が零れた。
値踏みでもするかのようにちらりと見て、ローブの青年は淡々と述べた。
「…なぜ」
『そうだね…。僕は、『死んだ』はず、だよね。けれど、それは…今は聞かないでほしい。というよりも、僕も聞きたいよ。あなたが…どうして『生きて』いるのか。あの崖から落ちて、生きているなんてね。けど、今はそんなことを話してる暇はない。戦いは始まってる。あなたの力も必要なんだ』
「…」
『そこに寝ているのは『妹』だね。僕がシルヴェアにいたときは、まだ、すごく小さかった…。僕のこと、多分覚えてないよね………。
彼女も一緒だったら移動が大変でしょ? 中央王墓に――僕が送るよ』
「転移魔法」
『うん。難しい理論だけど、完成したんだよ。魔族たちのように、空間を操るわけではないけど――人を自由に遠くに『飛ばせる』。さっきティナを助けたのは、この魔法だよ』
少しだけ誇らしげに、少年は語りかけた。
頷き返したジェイドをしっかりと見返して、少年は魔法を唱える。
やがて発光した魔方陣の輝きが、空間ごと、青年と王女を運んでいた。
シェーレン国死に絶えた都。
中央王墓へと。
■
『………』
僕にできるのは、このくらいだ…と。
誰もいない空間にひとり残されて、空に佇んだカイオス・レリュードの亡霊は、呟いた。
そのまま、地に倒れた――何人もの、『ダグラス・セントア・ブルグレア』の死体を、悲しく見遣る。
全ては――自分の『死』が、きっかけだったのかも知れない。
思えば、十五年前――シルヴェア王国に、アクアヴェイル公国王子の代わりとして、送られたときから――。
全てが、始まってしまったのかも知れない。
あの頃の自分は、幼すぎて、見送りに出た父と母の目が潤んでいた理由が、よく分からなかった。
『二度と』会えないこともある、ということを――。
あの頃の、自分は知らなかった。
シルヴェアでの生活が、つらかったわけではない。
いろいろな人物や書物と会えたし、いろいろな面白い話も聞けた。
だが、寂しい気持ちも、確かにあった。
優しい父と、温かい母に、会いたかった。
そして――。
あの日。
やっと、願いが叶う、あの日に――。
命は、散ってしまったのだ。
馬車が、横転したところまでは分かった。
事故が起こったのだとは、分かった。
自分を庇った大人が、息をしなくなったことも――
そして、崩れた馬車の破片が、自分へと凄まじい勢いで飛んできたことも――。
全てが、夢の向こうのような感覚で、カイオス・レリュードの胸の内に残っていた。
それきり何も、彼には分からなくなった。
次に目覚めたとき。
彼は、暗闇の中に居た。
闇の中で、彼は、呆然と辺りを見回した。
透明な壁が、自分と世界を隔てていた。
これが、『死』なのだろうか…。
そう思ったとき――。
『彼が…いた』
ため息混じりに、カイオス・レリュードは吐き出した。
『彼』を通して、カイオス・レリュードは、自分が『生きて』いることを知った。
『彼』を通して――。
色々な世界を知った。
本の中だけでなく。
色々な感情を知った。
温かい『幸福』なものだけでなく…
自分と同じ姿かたちをした、赤い目の少年――七君主の元で、ただ『生きる』――『生かされる』ことの無意味さ。
『外の世界』への憧れと、そこに待っていた『現実』との落差。
それは、カイオス・レリュードが知る、『光の世界』とは程遠い、永遠の暗闇のような日常だった。
着るものも食べるものもなく。
住む所も温かいふれあいもない。
七君主の執拗な追撃。
誰かを巻き込まないために、一つの場所に長くいることすらできなかった。
泥の中を、さまよい続けた。
『生き残る』ための、手段。
そこに――何の容赦も加えられることはなかった。
手を汚すことでしか得られない『生』は、果てしなく重かった。
『…』
透明な壁の向こうで、カイオス・レリュードはただ『居る』しかなかった。
それだけしかできなかった。
壁の向こうの『彼』を、ただ見続けるしかできなかった。
とても、悲しかった。
壁の向こうで、泣くしかなかった。
生きるために、他人を殺した…――そして、生きるために、自分を殺して涙を捨てた『彼』の分も――…。
泣き続けるしかなかった。
『彼』の顔を見ることすらできなかった。
壁の向こうの『彼』に背を向けて、カイオス・レリュードは、肩を震わせていることしかできなかった。
『お願いだから…』
彼女を、殺さないで欲しい、と。
彼は願った。
『彼』が『意思をなくした』時に、自分はあの暗闇の中から、弾き飛ばされてしまった。
取り返しの付かない事態は起こりうる、と。
カイオス・レリュードは知っていた。
よく、知っていた。
『………』
祈るように目を閉じて、彼は空を漂い続けた。
その足は、力なく彷徨った後、一点を目指して進み始めた。
死に絶えた都、中央王墓。
『…』
行かなければならない。
あの日――。
自分が『死んだ』あの日から、全ては始まってしまったのだ。
たとえ、そこに待つ結末が、悲しいものだったとしても。
『見届けなければいけない』
少年は、さまよい続けた。
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