Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 熱砂に揺れる狂気 
* * *
――死に絶えた都 地下墓地内



「がっ…」
 空を裂く銀の軌跡が、また一つの命を葬る。
 普段と違いローブを激しくはためかせ、突然気を失った王女を後ろに庇ったジェイドは、ふっと刃を振って血を払った。
 王女を庇ったせいか、随分と手間取ってしまった。
 しかし、これだけの『駒』を使うとは――

『王子』

「………」
 不意に、覚えのある声に呼ばれ、ローブの青年は、そちらを向いた。
 蒼白な少年が、上空を漂っている。
 金の髪。青い瞳。
 十歳程度の年頃だろうか。
 青い眼が、ローブの葬った意思なきダグラスたちの末路をちらり、と掠め見た。
 短く、目を伏せ、そして上げる。
 切羽詰まった声で、少年は、語りかけた。

『久しぶりだね…王子』

「カイオス・レリュード」

『覚えてて、くれたんだね』

 薄く微笑む少年は、目を細めてローブを見下ろす。
 その布の合間から、微かに視線が零れた。
 値踏みでもするかのようにちらりと見て、ローブの青年は淡々と述べた。

「…なぜ」

『そうだね…。僕は、『死んだ』はず、だよね。けれど、それは…今は聞かないでほしい。というよりも、僕も聞きたいよ。あなたが…どうして『生きて』いるのか。あの崖から落ちて、生きているなんてね。けど、今はそんなことを話してる暇はない。戦いは始まってる。あなたの力も必要なんだ』

「…」

『そこに寝ているのは『妹』だね。僕がシルヴェアにいたときは、まだ、すごく小さかった…。僕のこと、多分覚えてないよね………。
彼女も一緒だったら移動が大変でしょ? 中央王墓に――僕が送るよ』

「転移魔法」

『うん。難しい理論だけど、完成したんだよ。魔族たちのように、空間を操るわけではないけど――人を自由に遠くに『飛ばせる』。さっきティナを助けたのは、この魔法だよ』

 少しだけ誇らしげに、少年は語りかけた。
 頷き返したジェイドをしっかりと見返して、少年は魔法を唱える。
 やがて発光した魔方陣の輝きが、空間ごと、青年と王女を運んでいた。
 シェーレン国死に絶えた都。
 中央王墓へと。


『………』

 僕にできるのは、このくらいだ…と。
 誰もいない空間にひとり残されて、空に佇んだカイオス・レリュードの亡霊は、呟いた。
 そのまま、地に倒れた――何人もの、『ダグラス・セントア・ブルグレア』の死体を、悲しく見遣る。

 全ては――自分の『死』が、きっかけだったのかも知れない。
 思えば、十五年前――シルヴェア王国に、アクアヴェイル公国王子の代わりとして、送られたときから――。
 全てが、始まってしまったのかも知れない。
 あの頃の自分は、幼すぎて、見送りに出た父と母の目が潤んでいた理由が、よく分からなかった。
 『二度と』会えないこともある、ということを――。
 あの頃の、自分は知らなかった。
 シルヴェアでの生活が、つらかったわけではない。
 いろいろな人物や書物と会えたし、いろいろな面白い話も聞けた。
 だが、寂しい気持ちも、確かにあった。
 優しい父と、温かい母に、会いたかった。
 そして――。
 あの日。
 やっと、願いが叶う、あの日に――。
 命は、散ってしまったのだ。
 馬車が、横転したところまでは分かった。
 事故が起こったのだとは、分かった。
 自分を庇った大人が、息をしなくなったことも――
 そして、崩れた馬車の破片が、自分へと凄まじい勢いで飛んできたことも――。



 全てが、夢の向こうのような感覚で、カイオス・レリュードの胸の内に残っていた。
 それきり何も、彼には分からなくなった。
 次に目覚めたとき。
 彼は、暗闇の中に居た。
 闇の中で、彼は、呆然と辺りを見回した。
 透明な壁が、自分と世界を隔てていた。
 これが、『死』なのだろうか…。
 そう思ったとき――。

『彼が…いた』

 ため息混じりに、カイオス・レリュードは吐き出した。
 『彼』を通して、カイオス・レリュードは、自分が『生きて』いることを知った。
 『彼』を通して――。
 色々な世界を知った。
 本の中だけでなく。
 色々な感情を知った。
 温かい『幸福』なものだけでなく…



 自分と同じ姿かたちをした、赤い目の少年――七君主の元で、ただ『生きる』――『生かされる』ことの無意味さ。
 『外の世界』への憧れと、そこに待っていた『現実』との落差。
 それは、カイオス・レリュードが知る、『光の世界』とは程遠い、永遠の暗闇のような日常だった。
 着るものも食べるものもなく。
 住む所も温かいふれあいもない。
 七君主の執拗な追撃。
 誰かを巻き込まないために、一つの場所に長くいることすらできなかった。
 泥の中を、さまよい続けた。
 『生き残る』ための、手段。
 そこに――何の容赦も加えられることはなかった。
 手を汚すことでしか得られない『生』は、果てしなく重かった。

『…』

 透明な壁の向こうで、カイオス・レリュードはただ『居る』しかなかった。
 それだけしかできなかった。
 壁の向こうの『彼』を、ただ見続けるしかできなかった。
 とても、悲しかった。
 壁の向こうで、泣くしかなかった。
 生きるために、他人を殺した…――そして、生きるために、自分を殺して涙を捨てた『彼』の分も――…。
 泣き続けるしかなかった。
 『彼』の顔を見ることすらできなかった。
 壁の向こうの『彼』に背を向けて、カイオス・レリュードは、肩を震わせていることしかできなかった。

『お願いだから…』

 彼女を、殺さないで欲しい、と。
 彼は願った。
 『彼』が『意思をなくした』時に、自分はあの暗闇の中から、弾き飛ばされてしまった。
 取り返しの付かない事態は起こりうる、と。
 カイオス・レリュードは知っていた。
 よく、知っていた。

『………』

 祈るように目を閉じて、彼は空を漂い続けた。
 その足は、力なく彷徨った後、一点を目指して進み始めた。
 死に絶えた都、中央王墓。

『…』

 行かなければならない。
 あの日――。
 自分が『死んだ』あの日から、全ては始まってしまったのだ。
 たとえ、そこに待つ結末が、悲しいものだったとしても。

『見届けなければいけない』

 少年は、さまよい続けた。

* * *
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