――死に絶えた都 中央王墓
「何なんだ…あいつの…腹」
「…」
ダグラスたちの猛攻を切り抜けて、何とかたどり着いた中央王墓。
アルフェリアとクルスは、肝心なところで、先に進めないでいた。
ティナま姿を見つめたはいいが、七君主の差し金か、再び空間を裂いて現れた、意思のないダグラスたちに手間どられ、合流するにできないでする。
ティナは、カイオス・レリュードと討ちあっている。
鋼の音が鋭く響く。
傍目には、ティナの方が劣勢に見えた。
さすがに、カイオスの剣は正確かつ鋭い。
次々と急所を選んで、攻め込んでいく。
だが――。
「………」
アルフェリアは、目を細めた。
カイオス・レリュードの剣戟は自分がし合わせたときにも感じた鋭さはあったが、勢いがなかった。
原因はすぐに分かった。
明らかだった。
男の方は深手を負っている。
深い傷だ。
腹部を染み出た血液がぬらし、力を込めるたびにそのしぶきがあたりに飛び散っている。
あれではさすがに勢いも鈍るだろう――というよりも、立って剣を使っていること自体が、とんでもないような状態だ。
『意思をなくして』操られているために、何とか戦いを続けていられるのだろうが。
(何でだ…)
アルフェリアは首を傾げた。
自分がつけた傷ではない。
悔しいことに、遺跡の入り口で手合わせたときには、彼に剣を掠らせることもできなかった。
かといって、自分が見ない間に、ティナがつけた傷でもないだろう――。
深手を負いながらの戦いであってもなお、隙を決して見せることはない。
カイオス・レリュードの動きは、どこまでも洗練されていた。
ティナ程度の腕で、彼に傷が付けられるはずがない。
一体どこで…
「あんな傷…負ったんだ…」
「…たぶん、堕天使の聖堂の時からあの傷はあったんだよ」
「何?」
思いがけないところから、その疑問に対する答えが発せられて、ゼルリアの将軍は、目を見開いた。
自分と同じく、ダグラスたちの猛攻を凌ぎながら、クルスが黒い瞳を細めている。
真剣な眼差しは、ティナと剣を合わせるカイオス・レリュードに注がれていた。
腹部からの出血は、動くほどに激しさを増し、赤い水滴を地面に散らせている。
あれでは、幾時もしないうちに、倒れてしまうだろう――そんな予感さえ感じさせた。
「聖堂の近くの村で合流したときには、ちょっと動きがおかしかったから…たぶん、その時には、ケガしてたはずだよ」
「…」
ウソだろ、と言いかけて、アルフェリアはその言葉を飲み込んだ。
それにしては、クルスの言葉は確信を持った響きがあった。
だとすれば、彼はあの傷を負った身体で、堕天使の聖堂に駆けつけた、ということになるが――
(気付かなかったぞ…)
ここで、いぶかしむべきは、そんなそぶりを見せないほどの自制心にすぐれたカイオス・レリュードか、それとも、ゼルリア将軍の目をさえ欺く自制心を見破った、クルスという少年の意外なる洞察力か――。
「………」
そういえば、とアルフェリアは思い起こした。
堕天使の聖堂で、聖地の番人を相手に戦ったとき。
カイオスは魔法を微かに出し惜しむような仕種をしてみせた。
明らかに、不自然に彼の動きは静止した。
それがきっかけで、アルフェリアはカイオスへの疑念に、確信めいたものを持ったのだった。
しかしそれが、あの傷による集中力の乱れだったとするならば――
「………」
(気付かなかった…)
改めて思って、アルフェリアは眉をひそめた。
左大臣への疑念で彼を見る目が曇っていたのか、はたまた、そこまでにカイオスの態度が平然としていたからか…――
「!」
『ダグラス』の一人が、剣を振りかぶってアルフェリアの進路を塞いだ。
一瞬で斬り下げて、将軍はふう、と息をつく。
多勢に無勢では、考えに気をとられること自体が、命を縮める結果となる。
未だに尽きぬ敵の数は、ティナへの援護へと駆けつけることすら、できない状況だった。
踊りかかるダグラスたちを前に、アルフェリアは唇を噛んで応戦するしかない。
その一方で、出ない疑問への消化不良のような心地の悪さが、彼の動きを微かに鈍らせる。
真偽を問うには、カイオス・レリュードに直接ただせばいい。それには、予定通りに『元凶』を倒してしまえばいいのだが、そんなことができる状況でもなかった。
カイオスと打ち合うティナは、いつ斬られてもおかしくない。
一方で、カイオス・レリュード自身も、いつまで立っているか、計れない状況だった。
意思をなくした以上、倒れるまで戦うのだろうが、そのときは、おそらく限りなく近い。
「…」
(『元凶』さえ…)
どうにかなれば。
「………」
状況の打破を図り、視線を巡らせる将軍は、ふと戦いを見守る七君主に目を留めた。
目を留めた瞬間、彼は気付いた。
こちらを――否、ティナを差すように掲げられた指先が、――淡く、発光している。
(まさか)
思う間もなかった。
クルスも気付いて何か言いかけるが、それよりも一瞬はやい。
――!!
混戦の中で、狙いを定めた七君主は、その魔力の光線をためらいなく打ち込んだ。
先には、紫欄の目を持った少女。
だが、攻防で手一杯のティナには、避けることも、逃げることもできはしない。
――死ネ…。
「くそ…」
「ティナ!」
二人が動くよりも、意思あるダグラスが笑うよりも。
早く。
弾かれた死の閃光はまっすぐに彼女の心臓に打ち込まれていった。
――僕ヲ…吹キトバシテクレタ オ礼ダヨ…。
そのとき、場に一瞬の光が差し、展開した魔方陣の中から、ローブの青年と眠る王女が吐き出される。
クルスは一瞬目を見開いた。
自分たちよりも、ローブの青年の方が、カイオスらに近い。
間に合うかも、知れない!
だが、アルフェリアは同時に眉をひそめていた。
あの距離であっても、副船長の速さをもってしても、絶対にあの攻撃を防ぐことには、間に合わない。
「!」
何対もの視線がなす統べなく立ち尽くす中。
硬直の一瞬。
誰もが信じられないことに――。
ティナと打ち合っていたカイオス・レリュードの身体が、そのとき微かにかしいだ。
それは、腹部の傷を庇っての、一瞬の動作の誤差が生んだ『偶然』だった。
その偶然の合間に、――彼の身体は、ちょうど七君主の魔力を受ける位置に、倒れこんでいた。
ティナを――あたかも、庇うように。
死んだ、と誰もが思った。
あれを受ければ、助からない、と。
「ダメ!!」
空を激しく切り裂いた悲鳴が、全ての時を止めた。
「!!!」
全員の目が見開かれる。
カイオスの予想外の『偶然』までをも見越していたように――。
ティナの身体が躍り出ていた。
それは、青年を突き飛ばすような形で、魔力の波動をその身に受け止めていた。
ぱっと。
目の覚めるような真紅の血が、砂漠の空気に散る。
花弁がはらはらと散っていくように。
美しい乱舞の中で。
一瞬跳ね上がった身体は、衝撃に硬直すると、力を失ったように崩れ落ちた。
倒れ行く身体を追うように舞う、彼女の長い髪が、さらさらとした動きで、それを見守る人間たちの目に鮮やかに焼きついていった。
全てが、不気味なほどに、ゆっくりと流れていった。
崩れ落ちた女の身体は、だが、地に叩きつけられることはなかった。
「…」
自分の見た『夢』を変えるのに、ためらいはなかった。
ただ、身体は勝手に動いていた。
自身を突き抜けた衝撃は、ひたすらに大きく、次に灼熱がじわりと全身を支配していく。
姿勢を崩していたせいか、わずかに急所を外れた攻撃は、左腕を吹き飛ばす勢いで、肩につき立っていった。
「………」
赤い目が、微笑んでいる。
自分を『貫けた』のだから、さぞや歪んだ笑みに支配されているだろうと思っても、もうそれすら見ることはできなかった。
暗くなっていく視界のなかで、眠るように彼女は意識を手放していく。
『死んでいく』というのは、こんな感覚なのだろうか――。
地面に叩きつけられる感触の代わりに、誰かの手が、自分を抱きとめていた。
それが、『誰』なのかさえ、彼女には分からない。
ただそれは、とても温かく、とても心地よい安らぎを感じさせた。
妾将軍の宝の海域――冷たい海に放り出されたときに感じた、包み込むようなぬくもり。
「………」
無意識に口角が上がっていた。
水の底に沈んでいく意識の最後の一片が、かろうじてその言葉を聞き取っていた。
愕然としたような――悄然としたような、だが確かに、彼女のよく知っている声を――
「ティナ」
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