泣いて喚いて叫び倒すよりは性に合った死に方を選ぶ。
そんな女だろうと、そんな印象は持っていた。
■
――???
『どうして…こんなこと…』
殺せ、殺せと声が轟く闇の中、大きく目を見開いた女の声が、高く澄んで響いていった。
『じゃあ…その、七君主の手下として――この時のために、ずっと、あの国に取り入ってたの?』
アレントゥム自由市の廃墟を眼前に据えた彼女は、声高に言った。
剣を突きつけた状態の、絶対的に不利な状況で、臆することなく彼女は自分を見返した。
それは、記憶の一端に過ぎなかった。
彼にとって。
――忘れられない記憶の、ほんの一端に、過ぎなかった。
『世界一の大国のてっぺんに、取り入って、ふんぞりかえって、あたしらみたいなのが石版持ってくるのをずっと待ち伏せしていたっていうの!?』
彼女の声は、耳障りだった。
とても――聞き続けているのが、とても、つらいほどに。
『七君主の手先だとか、作られた分身が云々とか、そんなことはどうでもいーのよ!! あんたは!! あんた自身は!! こんなことどーとも思わないの!? こんなことになってもまだ、七君主だとか、石版渡して世界をどーするとか、言えるわけ!?』
どうにもできないことがある。
抗えないものがある。
『ミルガウスがよければ、他の国はどうでもよかった? アレントゥムにも、あんたが思ってるみたいに、自分の国を思ってる人間がいるはずだ、って…――理不尽に犠牲にされる筋合いなんて無いって…、そんなことも、わからなかったの!?』
そうではない、とは言い切れなかった。
所詮、ミルガウスと世界。
七君主側と、『そうでない』側。
どちらも選べなかった――そのどちらにも、属することができない自分だ。
『取り入った国に情がわくのは勝手だけど、だからって、それでみんなが納得するとは思わないで。どーせ、あんたにとっては、目の前のものがこわれなきゃ、ミルガウスだろうが、なんだろうが、どうでもよかったんだろうけど…――』
そんな中で、彼女は彼に言葉をかけ続けた。
どこにも、属すことのできない、自分に。
憐れなほどに、必死の視線で、語りかけてきた。
『…そんなに、あたしらが信用できないの?』
いつの間にか、『殺せ』と叫ぶ声は、頭の中から閉め出されていた。
見合う女は、紫欄の瞳を震わせていた。
不安と、必死な思いにはさまれて。
すがるような、瞳で。
『――信じて、いいのよね?』
「…」
否、と答えたあのときの彼に、彼女は人殺しと投げつけた。
違いない。
そう思っていても、こみ上げた怒りを抑えることができなかった。
自らの行動の結果、生まれた悲劇に、言い訳や開き直りをするつもりはなかった。
疲労や熱の苛立ちも、あったのかもしれない。
おそらくは、口を滑らせただけの発言に、――普段ならば、受け流すことのできたはずの発言に――感情を抑えきることができなかった。
「………」
今は、言葉なく彼女をただ見つめ続けるだけだ。
自分の失言に、色を失った顔で、彼女はそれでもこちらを見据えていた。
初めての人間だった。
あそこまでまっすぐに、質そうとした女は。
『裏切り者』だと。
信用に値しない人間だと決め付けることなく、ひたむきに質そうとした女は。
こちらを見る紫欄の目は、始めて会ったときと同じように、ためらいなく彼を射抜いていた。
始めて邂逅したはずなのに、奇妙な既視感を持ったことを、彼はよく覚えていた。
泣いて喚いて叫び倒すよりは性に合った死に方を選ぶ。
そんな女だろうと、そんな印象は持っていた。
どこかで出会ったことのあるような――それは、奇妙な感覚だった。
「………」
殺せ、と叫ぶ声は、もはや聞こえない。
永遠とも思われる時間、二つの視線は見つめ合っていた。
ふと、その均衡が崩れたと思ったとき、彼女の身体はこちらに向かって駆け出していた。
「…」
『ダメ…!!』
よろよろと、踏み出すほっそりとした女の身体は、すり抜けるように自分の傍を駆け抜けていく。
ふと、視線が絡んだ。
自分を捕らえた彼女の瞳は、微笑んだようにも、みえた。
曇りのない、綺麗で神秘的な瞳だった。
『――』
何か、言いかける。
ほころびた口が、言葉を放つ直前に。
「!?」
ぱっと、鮮血が散った。
それは、突然の光景だった。
今まで彼がいた場所に、代わりに身を投げた少女は、その身体を黒い魔力に蝕まれ、瞳から光をなくしていった。
暗闇の中を力なく崩れ落ちていくその姿は、何度も見た『死』の情景と重なった。
七君主の元から逃げ出した後、執拗な『追っ手』――意思のないダグラスたちに対し、自身が生きるために、刃を振り下ろしたとき。
寄る辺ない放浪の中で、その襲撃に巻き込まれて命を散らせた女もいた。
ミルガウスに辿りついた後には、『賢王の粛正』の名の下に、無実の罪で断頭される人々を。
無謀な戦争で、巻き添えになった人々を。
そして。
石板を持ち出したことによって、何も知らないまま、生贄とされていった、国境守備隊や、アレントゥム自由市の人々――。
赤い情景の記憶は、鮮烈に彼の意識を揺り動かした。
いつも、自分のすぐそばにあったもの。
いつも、紙一重で自分の傍を過ぎていったもの。
生の終焉。
強烈な『終わり』の予感が、力なく倒れていく女の姿に重なった。
「…」
思わず踏み出した一歩を、凄まじい力が押さえつける。
それは、殺せと命じる声の主が放つ、強力な『呪』の力だった。
「!!」
全身が、悲鳴を上げる。
だが、構わなかった。
彼は、それを全力で撥ね付けた。
まどろむような、泥をかきわけるような感触の中で、必死に手を伸ばす。
水の中を進むような、感覚だった。
先が見えるようで、見えない。
すぐにつかめるようで、つかめない。
全ての力を込めて、『彼』は手を伸ばした。
全身の血が沸き立つような、そんな感覚が襲う。
倒れかけた女の身体へと、確かに指が触れた。
それは、現(うつつ)の体温で、重くのしかかってくる。
暗闇は溶け落ちるように消え、はっきりとした景色が、目の前に広がった。
「っ…」
唇をかみ締める。
攻撃を受けた彼女は、ぐったりと目を閉じて、そのまま覚めない眠りに入っていくようにも見えた。
確かに、触れたその身体を、しっかりと抱きとめた。
血の匂いと、重力。
砂漠の乾燥した空気。
同時に、凄まじい激痛と疲労、熱を感じて体が崩れた。
まともに身体を支えることができず、視界がぐらつき意識が遠のく。
膝をつく。
自身の状態を把握しながらも、視線は、吸い込まれるように、女へと注がれていた。
彼女は、一見、死んでしまったかのようにも見えた。
肩口から流れる血。
乱れた髪。
青ざめた顔は、血の気がまったく感じられない。
上がる息を整えながら、無意識に紡いでいた。
自分へと語りかけ続けた女の、その名前。
自分を――庇って倒れた女の、その名前を。
「ティナ」と。
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