――死に絶えた都 地下中央王墓
「………」
水を打ったように、静かな静寂が、全てのものの動きを、凍りつかせていた。
いろいろなことが、一度に起こりすぎた。
襲いかかっていたダグラスたちも、片腕を失った意思あるダグラスも。
赤い目の七君主も。
空間から光とともに現れた、眠るアベルとそのそばに立つローブの青年も。
アルフェリアも、クルスも。
肩から血を流して気を失ったティナと、――そして、彼女を抱きとめたカイオス・レリュードも。
全ての人間が、時の経つのを忘れたように、呆然と突っ立っていた。
奇妙な瞬間だった。
互いに断絶された混戦の中で、七君主はティナを狙って魔法を放った。
だが、『偶然』倒れこんだカイオス・レリュードが、その攻撃の前に、庇うように躍り出る形になってしまった。
魔族の死の攻撃は、カイオスの命を奪おうしていた。
誰の目にも、そう捕らえられた。
だが。
――誰もが予想し得ない動きで、彼を救ったのはティナだった。
まるで、カイオスの『偶然』の動きまでをも予測していたかのように――。
彼を庇って七君主の攻撃を受けた彼女は、そのまま倒れこんだ。
その彼女を抱きとめたのは、カイオス・レリュードだった。
血を吹いた彼女を見て、一瞬動きを硬直させた彼は、次の瞬間剣を捨てて、彼女へと手を伸ばしていた。
ティナの決死の行動が、七君主の呪縛をも弾くきっかけを与えたのか…。
「………」
いろいろなことが、一度に起こりすぎていた。
誰もが、状況を把握するのに、時間を必要とした。
硬直の、瞬間だった。
その空白のときから、最初に抜け出したのは、狂気の目をした七君主だった。
かっと目を見開いた魔族の長は、ひび割れた声で恫喝した。
――トドメダ…コレデ、本当ニ、死ネ…!!
ぱっと魔力の光が膨れ上がる。
「!?」
はっと我に返るアルフェリアとクルスの前で、ローブの裾が翻る。
「空高き天の楽園に、舞い降りし風の一欠けら!!」
ティナとカイオスと、七君主の魔力の間に滑り込み、すっと手を掲げた。
ぱん、とガラスが割れるような音が響いて、結界がその攻撃を相殺する。
そこに踊りかかったのが、片腕のダグラスだった。
「この…よくも、オレの腕を!!」
「…」
怒りに染まった剣撃は凄まじく、魔法の制御に集中していたローブは避けることができない。
すんでのところでアルフェリアの剣が、割って入ったが、その勢いを殺し切ることができなかった。
青年は、体をかわした。
だが、蛇のように絡みつく剣の先が、そのローブの端を確かに、捉えていた。
「!」
ローブが跳ね上がり、ふわりと上空に弾かれる。
「あ…」
アルフェリアとクルス。
二人の声が、重なった。
舞い上がる風にさらわれて、結われた髪が躍り上がる。
長くうねる、銀の波。
銀の髪と藍色の瞳――混血児の証。
「ふん…どんな顔を隠しているかと思えば…。半端者か」
嘲笑したダグラスが、剣を構えなおす。
それを静かに見据えた瞳は、彫刻のように、生きていることを感じさせない。
布の向こうから現れたのは、神話の中に出てくる人物のような、静かな存在感と絶対の調和を感じさせる、二十代半ばの青年だった。
細身の身体は、完璧な均整を保ち、中性的な顔は、見るものをひきつけながらも目を背けさせるような雰囲気を持っていた。
肩に降りかかった銀色の長い髪も。
透き通るような白い肌も。
深く染められた藍の瞳も。
ほっそりとした、体躯も。
全てが、調和の最高点に達しすぎているような。
泰然とした威厳と、今にも消え入りそうな儚さが、一つの器に同居していた。
「おい…」
「…混血児…」
予想外の展開に、アルフェリアは息を詰める。
なぜ、混血児がゼルリア王国王義弟である、ロイドの海賊船で副船長をしていたのかは知らないが、――そして、なぜ旅について来たのかも定かではないが――動きにくい布を取らなかった理由は、はっきりと示された。
銀の髪と藍の瞳。
第一次天地大戦において、その惨事の原因を作った存在として、神に見放され地上に追放になった誉れ高き天界の覇者、天使たち。
彼らは地上を彷徨う中で、『青銀の髪』を持つ一族と契約を交わし、その身に宿ることで不浄なる地上で生きながらえようとした。
だがその後、『混血児』たちは、背信の天使たちを宿した『不吉』の象徴として弾圧を受けていくことになる…――
その、迫害から逃れる術か――混血児たちは、普段その容姿の『色』を変えることができるが、魔法を使えば、それは解けてしまう。
混血児である姉を持つアルフェリアは、そのことをよく知っていた。
容姿の『色』を変えるのは、意外と魔力を消費することなのだ。
集中力が乱れたりすれば、簡単に術は解けてしまう。
魔物の多い海で、もしくは強力な魔物との戦闘が予想される石板を探す旅において。
だからこそ、おそらく副船長も普段からかたくなにローブをかぶり続けたのだろうが。
「お前…」
「何する気!?」
おずおずと切り出したアルフェリアに対し、焦ったように声を上げたのは、クルスだ。
少年は、代表的な人々の反応に漏れず、その瞳を嫌悪に染め上げていた。
混血児が、状況が再び硬直したのを確認した後に、自分の相棒の傍らに膝をついたのを見て、鋭く声を上げた。
一方で、ジェイドはティナの具合を一目見ると、短く言った。
「…毒だ」
「何!?」
「え…」
ジェイドは、藍の瞳をちらりとカイオス・レリュードに向ける。
腹から血を流し、青ざめた顔をした青年は、じっと彼女の傷の具合を見ていた。
状態だけを見ると、死にかけたティナと大差ない状態だ。
七君主の呪縛を、自力で跳ね返したのが、不思議なくらいだ。
やがて、視線を上げると、彼はぼそりと聞いた。
その目には、普段の理性の光が、確かに宿っていた。
「治せるのか」
「七君主の毒だからな…」
意識を失ったティナは、肩から出血しながら、微かに震えている。
呼吸が荒く、汗がじっとりと流れていた。
「ある程度はともかく…完全に解毒はできない。体力を回復して…乗り切ることを祈るしかない」
「…」
カイオス・レリュードは小さく頷いた。
ごく、自然な動きで彼女を地に下ろすと、すっと立ち上がる。
「おい…」
アルフェリアは、思わず声を掛けていた。
彼女が倒れかけた瞬間に、自身の意思を取り戻したカイオス・レリュードは、この時始めてアルフェリアを見た。
一瞬だけ、視線を重ねると、すぐに別の方へとそれを投じる。
敵は、動きを止めていた。
幾多もの、ダグラス・セントア・ブルグレアは、その視線の全てを、『裏切り者』に注いでいた。
「手を出すな」
短く言ったカイオスは、そのまま歩き出す。
一見危なげなく地を渡る足元に、赤い血が散っていった。
「…」
「そんな…だって、カイオスだって、すごいケガで…」
「よせ」
驚いたように、身体を乗り出すクルスを、アルフェリアが止める。
「やめとけ」
「なんで…」
アルフェリアを見上げたクルスは、次の言葉を飲み込んだ。
カイオスを見るゼルリアの将軍の目は、なんともいえない感情を浮かべていた。
「てめーを庇って女が倒れたんだぞ?」
好きにさせとけよ、と。
半ば投げ出したように、彼は息をついた。
クルスは、まだ何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。
あきらめたように、その背を見送ると、気をつけてね、といった。
返事はなかったが、クルスとしては十分だったらしく、ジェイドの治癒魔法を受ける相棒の傍らにかがみ込む。
「…」
アルフェリアもまた、ティナの様子に気を配りながらも、周囲のダグラスたちへの牽制を忘れなかった。
ティナへとつきっきりの副船長とクルスは、戦力にならないし、眠るアベルもいる。
もしも、カイオス・レリュードの戦いへの妨げになるのならば、その憂いくらいは取り除いてもいいだろう。
それにしても。
(すげー目だったな…)
あれが、ヤツの本性か、と。
ゼルリアの守りの要、四竜の一角は、汗ばんだ手を握りなおした。
視線が一瞬、絡んだ瞬間――。
絞め殺されそうな殺気を感じた。
どす黒い怒り。憎悪。
全ての負の感情が、平静な目の奥にたぎり猛っていた。
あれは、七君主云々、というより、自身へ向けられたもののように感じた。
ティナを傷つけたことへの。
「………」
よくもまあ、あれだけありありと感情を見せたもんだな、と半ば感心する思いで彼は目を細めた。
それだけ、思いが激しかったのか、それとも取り繕う余裕もなかったのか。
驚くべきことに、彼の視線を受け止めた瞬間、アルフェリアが感じたのは、恐怖だった。
心臓をわしづかみにされた感覚。
自分が『殺されるかも知れない』ぎりぎりの不安。
久しく、――将軍になる前から、久しく感じていなかった感覚だ。
大したものだと思う。
それだけの気迫があれば、七君主を撃退できそうな予感さえする。
一方で、戦闘するには、あまりに不利な状態に、軽い懸念は残った。
いずれにしても…
(死ぬまで…やるだろうな)
そのことだけは、容易に分かった。
それでいて、アルフェリアの中には、彼の暴挙を止めようという気は起こらない。
己から『手を出すな』といっておいて、もしも、七君主に敗れるのであれば、それまでだった、ということ。
もっともそのときは――ティナの命をも危うくなることになるが。
――見届けてやるか、と。
細めた目の中にその背中を映して、アルフェリアは腕を組んだ。
ヤツが倒れるのが先か、ティナが毒に負けるのが先か――はたまた、七君主を倒してみせるのか。
「…」
(やって…みせろよ)
全てを見据え、見極めようとする目の中で、剣を構えたその姿が、たっと地を蹴って、駆け出した。
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