――?年前 ???
「本当に、いいんだね?」
「ああ」
床に描かれた壮大な魔方陣。
禍々しさを感じさせながら、どす黒く立ち込めた魔力が、広大な部屋の中で螺旋を描いて立ち昇っている。
禁呪を示すその紋様は、かつて彼が――ダグラス・セントア・ブルグレアが学んだ白の学院でも、最重要機密とされていたものだった。
理由は簡単だった。
その術の行使が、世界を混沌へと突き落とす可能性を、多分に秘めていたために――。
何人たりとも、使うことを許されなかった。
絶対遵守の禁忌術。
「始めての人間だよ、君は。七君主を召喚するなんて…ね」
「天使や神などは――当てにはならない。彼らは理(ことわり)の中に生き、理の中に全ての事象を押し込めようとする」
「違いない…」
金色の髪をはためかせたダグラス・セントア・ブルグレアは、三十を半ばに差し掛かった、世界の三賢者にしては、若すぎる面持ちを、悲しげにゆがめた。
全ては、自己満足のためだ。
魔族を召喚したこと。
その為に――生贄として、妻の命を犠牲にしたこと。
「で? 回りくどいおしゃべりはここまでにしようか。君は、どうして僕を召喚したの? そのために最愛の人まで、捧げて…さ」
「お前に、わが身をやろう。それでお前はこの世界に対して、干渉が可能になる。その代わり…」
「その代わり?」
彼の願いに応じて現れた、赤い目の少年はまるで、彼の必死の決意をもあざ笑うかのように、超然とダグラスを見据えていた。
彼は、ふと迷う。
本当に、己の願いをかなえていいものだろうか。
そのために、世界を混乱に陥れて、いいのだろうか…。
「ああもう…ここまで来てそんなに悩んじゃってさ。大丈夫。僕たち魔族は、『約束』したことは、破らない。君も…よぅく知っているでしょ?」
「…ああ、そうだな…」
「さあ…早く言ってしまいなよ…。どうせ、そこに倒れて死んでる『子供』に関係したことなんだろ?」
包み込むように優しく紡がれる言葉が、暗闇の奈落につながっていくようだった。
ダグラスは、それでも逡巡した。
七君主が指し示した、自身の息子を見た。
アクアヴェイル国王子の身代わりに、息子がシルヴェア国に人質に行かされて、四年。
その大役を無事に果たし終え、自分と妻が待つ故国に帰郷するという知らせの届いたその夕方に――。
息子が死んだ、と知らされた。
遺体が運ばれるまでに、三日かかった。
記憶の最後にあったよりも、随分と立派に――大きくなった息子は、決して笑うことも、喋ることもしなかった。
「………」
「まだ悩んでるの? ダグラス・セントア・ブルグレア…」
「私は…」
世界最高峰の智を結集した白の学院で主席を保持し、アクアヴェイル国の柱といわれ、果ては世界三大賢者と讃えられた。
だが、そんな称号など、『息子の死』という災厄の前では、なす術なく崩れ落ちていった。
「私は…」
「君には、使命があるんだよ。大丈夫…僕には、分かってる。君の持つ『属性』を、きちんと受け継いでくれる『器』を確保しておかないと…」
「私は…」
決して、私利私欲の――息子の死に悲しむ父の利己的な思いだけで、コトに及んだわけではない、と。
ダグラスは思いをかみ締めた。
そのためだけに、自分は間違いを犯そうとしているわけではないのだ、と。
「分かってる…大丈夫。ちゃんと君の『願い』はかなえてあげる。さあ、言うんだ。ダグラス・セントア・ブルグレア。愚かしい神の理に遠慮することはない。
君は、君の思いを貫き通してしまえばいい…」
「私は…!!」
自己満足のためだけに、コトに及んだのではない。
いくらそう言い聞かせても、紛れもない罪悪の念の前には、それも吹き飛んでしまった。
そのとき彼の口を動かしたのは、それでも、『来るところまで来てしまった』ぎりぎりの状態にあって、次々に沸き起こる、果てのない葛藤から逃れるためだった。
「頼む…七君主。わが息子カイオス・レリュードを」
ついに、頭を垂れて、ダグラスは搾り出した。
膝をつき、地にひれ伏す。
懺悔のような彼の叫びを、赤い目の少年は嘲るように受け入れた。
最後の言葉を――祈るような、契約の言葉を。
「私の身など――世界など、どうなってもいい。カイオスを…生き返らせてくれ」と。
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