――シェーレン国王都 離宮『王の恵みの庭』
「………」
爽やかな風が、部屋を吹き抜けていった。
抜けるような青い空。
そこに映える木々は、殺人的な太陽の光を和らげ、涼しい木陰を作り出している。
荒涼とした砂漠の中央に咲く、無限のオアシスシェーレン国王都『アクア・ジェラード』。
代々続けられた『絶対王政』。
王と水の巫女により、治められる地は、民への服従を誓う代わりに、『水』に対する絶対的な保証を約束する。
厳しい砂漠の中で生き残るため、人々は、絶対的な階級と規律で厳しく己を縛りつけ、その定めるところに拠って秩序を作り上げていった。
王族は、他国の貴族以上の人間を除き、決してその姿をさらすことなく、聳え立つ王城では、常に民の預かり知らぬところで政治が動いている。
そのくらい、身分には厳しい国だから――。
ミルガウスの左大臣とはいえ、官位を奪われて謹慎中の男に、王宮に入ることは許されなかった。
ティナも、クルスも。
アベルと、その後見的な立場ということでアルフェリアだけは、死に絶えた都の地下王墓『水没』の報告もあって王城への滞在を許されていたが、彼女たちと――意識を失った彼は、王国の離宮である通称『恵みの庭』に建つ建物の一角を使うことになったのだった。
オアシスを伝って水が比較的地表近くに潤っているため、植林の成果もあって、そこだけは砂漠の中で唯一の緑があふれている。
王都から、三時間ほどの距離だろうか。閑散としたその場所に、人気はほとんどない。
王族の避暑地として使われるということで、手入れは行き届いていたが、当然使用人たちが付けられる立場でもない。
しかし、アベルたちの『従者』と言う立場と、彼の容態のあまりの深刻さからの、それでも破格の待遇だった。
(あれから…三日…か)
ティナは、ぎゅっと手を握る。
死に絶えた都中央王墓にて――。
彼女自身は、彼を庇って七君主の魔力を受けた後から、記憶がほとんどなかった。
ただ、何か『過去』をあらわすような、悲しい光景の間を、ずっと漂っていた気がする。
悪夢の間をさまよっていた間、ずっと温かい光が傍にあった。
副船長が魔法を使って、回復を助けてくれていたことは、後でアルフェリアに聞いた。
そのローブの向こうの真実が――誰もが疎む『混血児』だったということも。
それが皆に知れてしまって、特にアベルはかなりショックを受けたらしい。
王都へ続く魔法陣を出して、そのまま遺跡へと姿を消した副船長は、――船に戻ると言い置いていったらしいが――無事に帰り着いているんだろうか。
(………まだ…)
ティナは、ため息をつく。
彼女が目を覚ましたのは、魔方陣によって王都へとたどり着いてから、少しした頃だ。
クルスたちはえらく心配してくれが、身体からは、すっかりとだるさも痛みも消えていて、普段どおりと変わらない状態だった。
副船長の魔法のおかげも、もちろん大きかったのだと思う。
だが、実際彼女の命を助けたのは、七君主に一人で立ち向かい、そして、退けた男――カイオス・レリュードの行動だった。
――ティナ自身が覚えているのは、七君主に貫かれた後、聞き覚えのある声に、自分の『名前』を呼ばれたところまで。
後の事情は、ほとんど仲間たちから聞いた。
そこから――己の意思を取り戻した彼は、満身創痍で戦闘に臨み、七君主を撃退した後、意識を手放した。
当然、アルフェリアたちは、彼の生い立ちや七君主との関係を、知りたがった。
さすがに、今回の一件で口を閉ざしているわけにもいかず、ティナはそのあたりことをかいつまんで皆に伝えた。
当たり障りのないところに止めたが、さすがに聞いたほうの衝撃は大きかったらしい――さすがのアルフェリアも含め一様に唖然としていたが、なるほど、道理でな、と呟いたゼルリア将軍の顔に、それまでの険がなかったのを、ほっとしたように見つめたのを覚えてる。
とりあえず、仲間の疑惑が晴れたが、当のカイオスは、その一連の話に加わることができなかった。
副船長がその大小に関わらず、全ての傷を癒していったので、幸い命に関わる事態にはならなかった。
しかし、積み重なった疲労と、禁術の反動で、常軌を逸するほどの熱がなかなか下がらず、意識も戻らない。
離宮は、王族の避暑地だけあって、手入れは行き届いていたが、まさか他国の『従者』ごときに使用人が付くわけではない。しかも、退けたとはいえ、腐っても七君主。ティナの不死鳥の炎からもしぶとく復活した存在だ。こちらが弱った隙をついて、再びちょっかいをかけてこないとも、限らなかった。
そんな事情から、――まさか、病人の世話をクルスに任せるわけにもいかず――ティナはずっとその傍らに付き添っていた。
青年は、普段の不遜な態度からは想像もできない状態で、眠り続けていた。
信じられないことに――彼の眠った姿を見るのは、旅の中で初めてだった。
宿に泊まるときや、移動中の船の中では部屋は当然別として――野宿をする際にも、大抵は魔封書を使うためか、皆が寝静まった後にどこかに消えてしまう。
ゼルリアに向かう途中にアベルがさらわれた一件からは、様子の分かるぎりぎりの距離で気を常に配っているのも、――夢見の悪さに目を覚ますことの多かった彼女は、知っていた。
それが、これまで彼女が知っている『彼』の姿だった。
こんなのは――知らない。
(………)
さまざまなことが、頭を巡っていく。
相棒は、薪割りや水汲みといった、雑用に時間をとられていて、ティナとはなかなか顔を合わせることもなく――彼女は、ほとんど一人で、風の音を聞きながら、青年と向かいあっていた。
どんな――言葉をかけたらいいんだろうか。
何て――謝ればいいんだろうか。
遺跡で会った少年の言葉が蘇る。
――おねーさんだったら…、もし、七君主に取引を持ちかけられたらどうする? ミルガウスも、世界も、どちらも大切だった。そんなことは痛いくらい分かっていたよ。けれど、どうしようもなかったんだ。
穏やかな言葉。
カイオス・レリュードの『亡霊』。
――自分が不審なことは分かってるし、そんな事情だから、信頼できるひともいなかったよ。その状況で…七君主が、さっきの取り引きを持ちかけてきたんだ。さて…その中で――果たして、七君主を倒すための勢力を集うことが、彼にできたのかな?
(………)
――確かにね。彼は強いよ。戦闘能力だけじゃない。判断力も決断力も、大抵の人よりも遥かにね。それに――。あれだけの謗りを受けながら、平然とできている精神力も、相当のものだと思う。けどね。
――平然としているからといって、別に超人でも何でもないし、何を言われても平気なわけじゃないんだよ。
人殺し、と叫んでしまった瞬間、ちらりと見えた彼の本音。
絞め殺されそうな殺気。
わたしは、全然知らなかったんだな、と彼女は思った。
いろいろな考えが、ぐるぐると頭を巡っていく。
何度目かのため息を付きかけたとき、ふと、目の前の青年が身じろぎをした。
「あ…」
どきり、と心臓が高鳴る。
やがて開かれた視線が、ティナを捕らえていく――。
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