それは、いつもの『夢』だった。
泣いている少年。
無感動に眺める自分。
辺りは暗く、黒く――彼と自分しかいない。
どこまでも暗い――果てしのない空間。
手を伸ばせば届く距離。
いつもの夢。
だが――『いつも』と違うことが、一つだけ存在した。
『音』が――聞こえる。
自分と少年を隔てていた『壁』が――取り払われている。
すすり泣きの声が、確かにこちらに届いていた。
途切れそうな細い糸。
それが、声に対して感じた印象だった。
なんで、いつも泣いている、と彼は思った。
誰の、何のために、泣いているのか、と。
『君のためだよ…。『カイオス・レリュード』』
胸中で呟いただけの言葉に、答えが返ってきて、カイオス・レリュードは一瞬押し黙った。
少年は泣きじゃくっている。
震える背中は、頼りなく揺れている。
『そして…僕のためでもある。君の『中』から、はじき出されて…さまよって…そのまま、消えてしまうのかと思った。君が血に塗れて戦っているのを見て、そのまま死んでしまうんじゃないかと、思った』
カイオスはただ、立ち尽くしていた。
少年の途切れそうな声は、突き刺さるようにこちらに届いた。
『死ぬのは…とても、つらい。全てが無になって…決してそこから動きはしない。それは――とても、つらくて、冷たくて、悲しいことだ。
僕は、『また』、死んでしまうのが、怖かった。とても。
だから、助かって、嬉しかった…とても…。
泣いているのは…そのためだよ………』
それは、『いま』泣いている理由であって、『いつも』泣いている理由じゃない。
そう思うと、相手からくすりと微笑が漏れた。
そうだね、しゃくりあげる息の間から、返事があった。
『僕が、いつも泣いていたのは、…やっぱり、君のためだよ、『カイオス・レリュード』』
思いがけない返答に、彼は眉をひそめた。
少年は、言葉を続けた。
『君が、生きるために、涙を捨てたから…君の代わりに泣いていたんだ。僕には、そうすることしかできなかった』
奪われるほうも、奪うほうも、同じくらい悲しいことなんだ、と少年は言った。
『もちろん…奪われるほうが、悲しいに決まっている。けれど、それが紙一重で入れ替わることだったら? 奪いたくないのに、奪わなければ、奪われる。相手の命と、自分の命。――『ミルガウス』と『世界』。
どちらも重くて、どちらが正しいかなんて、答えのないものを前に、君はいつも、自分の中にある『何か』を犠牲にして、どちらかを選択をしてきた。
とても…苦しかった。だから…泣いていた
生きるために涙を捨てた――君の分まで』
何者なんだ、と思った。
むしろ、何様だ、と。
ヒトの内面を勝手に知ったような口で、何を言う、と。
『………』
君には、言わなければいけないことがある、と少年は言った。
それは、僕のせいであって、君のせいではないことだけど、とてもとてもつらい内容だ。
『君が七君主を『父』から引き剥がしてくれたお陰で、こうして壁は取り払われた。
僕は、全てを君に伝えなければいけない。それが――僕と、そして君の義務だ。君が『完全な』属性継承者になるためにも。――必要なことだ』
けれどね、と少年は、すぐに続けた。
いまは、まだ早すぎる。
全てを知るのは、時を待ってからだ。
『もうすぐ…目覚めのときだ。僕は――まだ暫く『ここ』にいるから…』
話の中に出てきた、いくつかの言葉。
『父』。『完全な属性継承者』。そして、『全てを伝える』ということ…――。
情報を繋ぎ合わせると、とんでもない仮説が頭を過ぎる。
しかし、それを質そうとしたとき、急激に空間が歪んだ。
なんだ、と思う間もない。
意識が引き上げられるように浮上し、随分と重い瞼を開けた先に――目を刺すような光の渦が、待っていた。
■
意識を取り戻した瞬間、全身を襲った倦怠感と自分の状態に、カイオス・レリュードは胸中で舌打ちした。
指の一本も動かすのが困難な上に――すぐには視界も定まらない。
刺すような光に頭に痛みが走った――むしろ、逆さに吊るされて砂漠の炎天下にさらされているような不快感と、それでいて、身体は氷水にぶち込まれたような悪寒が襲う。
(………)
閉口しながら、辺りの様子が判別できるようになるのを待つ。
とりあえず、こんな状態でそれでも『生きて』いるのだから、安全なところにいるのは間違いがないのだろうが。
(…これが)
属性魔法の反動か、とため息混じりに思った。
水の魔法を使わなかった理由は多くない。
魔族に対しては空間を使う必要があったために、仕方なく禁を解いたが、自分の魔力が――ティナ・カルナウスあたりと違って――属性の魔法を使うのに見合うものではないことくらい、分かっていた。
だから、属性魔法の使用に加えて、二重魔方陣も併用したが、その『反動』が、『コレ』だ。
(どちらにしても)
七君主との戦闘の結果は、どうなったか定かではない。
とりあえず、自分が『生きて』いるというただ一点をもってすれば、どんな形であれ、うまく戦局は収まったのだろう。
しかし、周りの人間には、自分の立場は知れたはずだ。
それが、『どういうこと』を意味するのか。
彼には分かっていた。
もともと『外れた』身の上だ。
それが、旅の同行者たちに完全に知れただけのこと。
彼にとっては、その程度だったので、特に感慨もなかったが――
(…)
あまり、回転しない頭で、そこまでを考えたところだった。
ようやく視界が回復し、辺りの様子が分かる。
「…」
贅を凝らした天井は、砂漠の国の王族の離宮のものだろうか。
そして、景色の片隅にちらりと見えた人影に――彼女の様子に――彼は、微かに目を見開いた。
普段――あきれるほどに元気な女が――小さく身体を震わせて、静かに泣いていた。
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