――シェーレン国『王の離宮』
「あ、ティナー」
「クルス」
「今、アルフェリアが来たんだよ!」
「うん」
部屋を後にして、ため息をついたところだった。
駆け寄ってきた少年に、やはり気の抜けた笑いを彼女は向けた。
「…ティナ? 何か、元気ない?」
「そんなことは、ないんだけど」
「うー」
まさか、七君主の毒が残っていて、身体がおかしくなったんじゃ、と心配されて、ティナはさらりと否定した。
身体の調子は良好。
むしろ、問題なのは。
「ちょっと…ひっかかることが、あってねー」
「アルフェリアとカイオスのこと?」
「うーん」
厳密に言えば、うわごとで彼が呟いた『マリア』のこともざっくりと尾を引いていたので、気がかりの種は、それだけとも言い切れないところがあるのだが。
「さしあたって、そうね。アルフェリア、何を話しに来たのかしらねー」
「うー。二人とも、仲良くすれば、いいのにね」
「…」
仲良く、と聞いたところで、ティナはちょっと言葉を切った。
以前、ゼルリアの赤竜サラに聞いたことを思い出す。
『それが立場ってものだ』と。
彼女は、そう語った。
「そうね…ミルガウスの左大臣と、ゼルリアの将軍だもんね」
「………」
「アルフェリアが来たときにね。カイオス、起きたのよね。それまで寝てたのに」
「…けど、オレやティナが部屋に入っても、いっつもそのまま寝てるよね」
「うん」
つまり、カイオス・レリュードにとっては、アルフェリアと自分たちでは、接し方が多少なりとも違うということなのだ。
「うまく…収まればいいんだけどね」
「そうだね」
二人して廊下を歩きながら、彼女はふと、思い起こす。
そういえば、相棒とゆっくり話をするのも、久しぶりな気がした。
その、相棒といえば。
――クルスに伝えといてくれる? キルド族の『ナナシ』が会いたがってる、て。『約束』果たしに…いくから、て。
「…ナナシって…」
「う?」
「知ってる?」
こちらを見上げた相棒に、彼女は何気なく切り出した。
キルド族の隊商で会った少年。
自民族第一の、キルド族に紛れて、彼は『異色』の容姿を持っていた。
「キルド族のナナシが会いたがってる、て。『約束』を果たすとかどうとか…」
「キルド族の…ナナシ」
「うん」
思いがけず、繰り返したクルスの調子が低かったので、ティナは慌てて話題を変えようとした。
そのくらい――少年は、深刻な表情をしていた。
「…ありがとう、ティナ」
こちらを見返した彼の表情は、明るいというよりも、どこか穏やかだった。
何も知らない少年の無邪気さではない。
全てをくるみ込むような、深遠。
(…)
信じられないことに、そのときティナの身体に走ったのは、ぞくりとした寒気だった。
相棒の黒い瞳が、飲み込みそうなほどに、深く、底知れなかった。
――怖い、とすら。
本気で、感じた。
「…ま、まあ…そんな感じらしいから」
「うん」
それにしても、アルフェリアは何を言いに来たのかな、と話題を戻して、クルスはいつもの調子でにゃははと笑う。
その仕種にほっとしながらも、ティナの胸中に落ち込んだ、相棒に対する一点の違和感は、いつまでも消えることなく、ひそやかに息づいていた。
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