Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 一人目の来訪者 
* * *
 始めて、その男と出会ったのは、ミルガウス王国建国から、間もなく。
 希代の『賢王』ドゥレヴァの『粛正』が、行われ尽くし、その狂気の手が、周辺諸国への理不尽な干渉戦争となって現れていた頃。
 妾将軍の建国した初代セドリアから、時を経ること約百年。
 影となり日向となり、ミルガウスと共に歩んできたゼルリアに対して、あまりに理不尽な言いがかりがつけられ、最大の同盟国同士の間で、不必要な争いが行われてしまうこととなっていた。
 曰く。
 『ゼルリア国王は、その拝玉に際し、通常の後継者の決闘を完全に果たしたと認められない。よって、我がミルガウスが、ゼルリアの民に代わって制裁を加える』――。
 そんな、誰しも唖然となる宣戦布告をたたきつけたミルガウス王国の戦線が、迎え撃つゼルリアの騎馬隊に疲弊していた戦争末期の時期――。
戦争を『穏便に』収束させるため、病床にあった左大臣バティーダ・ホーウェルンの代弁者として、アルフェリアの元を訪れたのが最初だった。



「アクアヴェイル人が使者だと?」
 ゼルリア・ミルガウス戦線の最前線、アクアヴェイル人がミルガウスの方面から遣わされた、と聞いて、アルフェリアは最初耳を疑った。
 犠牲を出すのも、アホらしい戦争だったが、相手はミルガウスだ。
 往年の大国としての相手の戦力には、覚悟していたほどの力はなく、疑問を感じざるを得ない状況はあったが、手を抜ける相手ではない。
 叩き潰すでもなく、叩き潰されるでもなく。
 陸と海の戦線は、二年間持ち続けた。
 むしろ、考えなしに戦力を投入するミルガウスの方が、疲弊しているように見えた。
 それは、海戦を担当しているベアトリクスの海軍の見解も同様であるようだった。
 世界一の大国は、かつての同盟国『ゼルリア』のみならず、南のルーラや海を越えたアクアヴェイルにも手を出して、自暴自棄の自殺行為をしているとしか思えない。
 このままいけば、近いうちにあちらの方が参ってしまうのではないか。
 その予想を裏付けるように、使者の知らせが入った。
 和睦の申し入れだと、アルフェリアは思い込んだ。
 しかし、来訪者の容貌に思わず眉をひそめた。
 アクアヴェイル人が――ミルガウスの使者だと?
「なんだ…ミルガウスは、とうとうアクアヴェイルを抱き込んだのか?」
「いえ…それが、ミルガウス国内で正式に次期『左大臣』の拝命を受けた、正真正銘の『ミルガウス』の使者で…」
「………」
 アルフェリアは、部下の言葉に考え込んだ。
 いろいろな可能性が浮かんだ。
 最も強い思いは、『ミルガウスはとうとうイカれたか?』という、失礼極まりない想像だったが…。
「とにかく会おう」
 彼は、息をついて、『使者』を待たせた陣に入った。
 そこで目を射抜いたのは、まず鮮やかに光を弾く黄金の髪の色。
(マジでアクアヴェイル人かよ…)
 そして、髪の色以上にゼルリアの将軍を射抜いたのは、物音に面を上げた男の、眼光の青だった。
 その場に、縫いとめられた錯覚がした。
 一瞬…の、出来事だったが。
「お初にお目にかかります」
 耳に響いた声は、音楽的な優美ささえ湛えていた。
 不自然に完璧な、ミルガウス語の発音。
 それを放つ面影は、――驚いたことに、少年の影さえうかがわせる若い――若すぎる、青年だった。
「…待たせて、申し訳ない」
 型どおりの言葉を型どおりに吐くのに、アルフェリアは苦労した。
 相手は、自身がミルガウス左大臣バティーダ・ホーウェルンの使者で、『カイオス・レリュード』だと名乗った。
 形式的なやりとりを経て、アルフェリアは短く切り出した。
「単刀直入に言う。――来訪の目的は」
「…」
 相手は、多少の沈黙を挟んだ。
 ためらいではなく、場の空気を沈めたのだと、アルフェリアは感じた。
 何を言い出す気だ。
 軽く構えた彼の覚悟は、次の言葉に完全に吹き散らされた。
 アクアヴェイル人の容貌をした青年は、さりげないほどに自然な口調で、決定的な宣言を静かに、下した。
「ミルガウスは――アクアヴェイルと休戦協定を結びました」


(あれから――二年、か)
 自分が訪ねて来た、と聞いて、それを迎えた男と相対しながら、アルフェリアは何となく思い出していた。
 絶望的と言われていた、無謀な対外戦争。
 それを、取りやめるための使者として、アルフェリアの隊を訪れた青年は、今、彼を射抜いている時のような、静かな、決然とした眼光を湛えて、アクアヴェイルとミルガウスの休戦を伝えた。
 しかし、そんな情報は、ゼルリア将軍である自分の元に届いていなかった。
 その場ではなんとも言葉をはぐらかして、アクアヴェイル人の使者を別の部隊でもてなす采配を調えた直後、慌てて首都デライザーグに馬を飛ばすと、半日後に返答が寄せられた。
 『そんな情報は、もたらされていない。至急、諜報部隊に確認させる』と。
 ゼルリアの諜報部は何をしていたんだといえばそれまでだったが、逆に、ミルガウスの秘密外交が、それほどに狡猾だったとも言い換えうる。
 アクアヴェイルとミルガウスが休戦した以上、ミルガウスにとっては、世界最強の海軍とタメを張る水の国の憂いがなくなり、対ゼルリア戦に戦力を割くことが出来る。
 さらに、ミルガウスという、余分な敵をなくしたアクアヴェイルが、ゼルリアとの全面戦争に踏み切ったら――ゼルリアとしては、挟み込まれた状態で強大な二国を同時に相手取る愚を、取れるはずもない。
 可能性は、考えられたはずだった。
 ミルガウスが、戦争を穏便に終わらせるためには、ゼルリアが『穏便に終わらせざるを得ない』状況を作り出す必要性があった。
 アクアヴェイルへの取引は、予想しえたはずだった。
 なのに、ゼルリアは油断していた。
 ミルガウスが、降参するのは時間の問題。
 そう、信じ切っていたところがあったし、アクアヴェイルが休戦に応じる可能性も、低く見積もりすぎていた。
(…)
 あのときほど悔しかったことはない。
 結局、以後の恒久的な平和を約束することや、ミルガウスが国境線を侵したことに対するそれなりの補償金を約束して、一方的過ぎた戦争は、一方的すぎるほどあっけなく終わった。
 それ以来、引っかかっていた。
 アクアヴェイルとどうしてそんな協定が結び得たのか。
 『不自然に』完璧すぎるミルガウス語。
 疲弊したミルガウスの現状。
 そして、名前も出自も知れない、新たなるミルガウスの『左大臣』。
 そのときから――。
 彼は、無意識に見つめていた。
 『外れた者』。
 いつか――『裏切り得る者』だ、と。

 だから、石板を持ち出したのが彼だ、と知れたとき、本気で許せなかった。
 やはり、アクアヴェイル人の手先かと思った。
 だから、怒りをあらわにした自分に、平然と『三ヶ月で石板を集めてみせる』といった時には呆然とした。
 その真意が知れなかった。
 だから、ティナから彼の生い立ちを聞いたときには、――顔には、決して出さなかったが――愕然とした。
 まさか、と思った。
 同時に、だからか、と思った。
 確かにそんな『生い立ち』を、周囲に漏らすわけにはいかない。
 仮に、自分が言われても、信じられなかっただろう。
 今回の一件にかち合うまでは。
 彼が、『七君主につくられた』存在である、などと。



「用件は」
「…」
 面を合わせて向き合う相手は、ずいぶんと、やつれたように見受けた。
 眼光だけはいつものままだが、全体的に今にも倒れそうにさえ見える。
 それでも、こちらと向き合う様は、決してその弱さを感じさせなかった。
 気迫というより、意地だろうか。
(これが)
 ミルガウスの左大臣か、と思った。
 特に意味を持たせた独白ではなかったが、自身の浮かべた言葉に、自身で苦笑する。
 立場を持ち出すまでもない。
 あれほど、アクアヴェイルの手先だと疑っていた人間に対して、決して隙は見せないだろう。
「…とりあえずな」
 アルフェリアは、短く言葉を切って、自分の来訪の目的を伝えた。
 シェーレンの王城に滞在し、アベルとともに、死に絶えた都のことについて、報告していること。
 石板を探すという目的で、シェーレン国を訪れたこと。
 そして、それに対するシェーレン国の返答。
「…」
 アベルはほとんど『ミルガウスの代表』として、その場にいるだけ、実務的なことは全てアルフェリアが担っていて、進行状態はこんなところだ。
 そう、手短に、二三分で話を切ったところで、ゼルリアの将軍は、相手の様子が微かに変化していることに気付いた。
 訝しげに――眉をひそめている。
 話に不明な点でも抱いたか、それとも、何か別にいいたいことでもあるのだろうか。
「何だよ」
 率直にそう聞くと、相手は瞬いた。
 明らかに、表情が汲んで取れる。
 訝しげな――意外そうな、表情。
 虚をつかれた感じだろうか。
 感情をあまり表現しない男のそんな様子に、逆にこちらが意外だった。
 投げかけた言葉に対して、すぐに返答はなく、相手はためらった後に、ぼそりと言った。
「今回のことを、質しに来たんじゃないのか」
「…」
 『今回のこと』と聞いて、浮かぶのは、一つだけだ。
 七君主の接触。
 そして、それに操られてティナたちに剣を向けたこと。
「ティナから軽く聞いた」
 それだけ言うと、相手はさらに眉をひそめる。
 ならば、なぜと。暗に問うていた。
 ならば、なぜそれを、糾弾しないのか。
 直接本人に、コトの次第を詳しく聞きに来たのではないのか。
「…」
 アルフェリアは、ちょっと黙り込んだ。
 話は長くなりそうだったが、これ以上相手に負担をかけるのも気の毒な気がする。
 思わずそう思ってしまうほど、相手の消耗は見て取れた。
 こちらと向き合う態度は何とか騙せても、容態の悪さは隠しようがない。
「まあ…ちょっとお前横になった方がいいんじゃねーの?」
「…」
「顔…土気色だぞ」
 真剣に、淡々と伝えると、カイオス・レリュードは微かに驚いた顔をした。
 声に出しては何も言わないが、こちらの気遣いが意外なようだった。
「…」
 短い時間、逡巡した後で、悪い、と呟いて彼は横になる。
 ほとんど倒れ込むように身を横たえて、腕で顔を覆った後に、彼は大きく息をついた。
 表情の見えない顔には、汗がびっしりと張り付いていた。
(限界だったか)
 と、思うだけにして、アルフェリアは話を戻した。
 感情をあまり入れず、淡々と切り出した。
「海賊船で話したの、覚えてるか」
「…」
「あの時、オレはお前に、『アクアヴェイルの手先で、ミルガウスに取り入って内部から混乱させようとしてるのか』って言ったよな」
 妾将軍の海域に向かう最中のことだった。
 そのときのやりとりで、直接的な答えは何も得られなかった。
 ただ、『石板を持ち出したのがカイオス・レリュードである』ことだけが、確定的なこととして、本人の口から語られただけだった。
 相手の話したアクアヴェイル語に翻弄されて――話をはぐらかされたのだと思った。
 疑惑は中途半端に深いままだった。
 だが、全てを聞いてしまえば、あのときの対応にも、そこそこ納得がいく。
 それ以外に、言いようもなかっただろう。
 仮にあのとき、七君主を持ち出されていたとしても――はっきりいって信じられた話ではなかったし、かといって、それを抜きにして『内通者』の可能性を否定してみせるのも、困難な話だ。
 『石板を三ヶ月で集める』、といったような、先の展望のことに終始させるのが、精一杯だったろう。
 ――そう、あの時のことを回想しながら、将軍は続けた。
「とりあえず、今回のことで、あんたはアクアヴェイルの手先ってわけじゃないと分かった。七君主とヤり合ったってことは、ヤツとの関係も切れてるんだろう。――とすれば、とりあえずオレの懸念は晴れたから、別にどうということもない」
「…剣を向けた」
「操らなければ、『剣を向けるように仕向けられなかった』。つまり、その時点であちらと決別していた、ということだな」
「………」
 カイオス・レリュードは何か言いかけたが、すぐには反論する気力も言葉もないようだった。
 結局言葉は流れて、沈黙が落ちる。
 何で、とアルフェリアは思った。
 何で――そこまで距離を取りたがるんだろう。
 正体が不明なら不明なときで、明るみに出たら、明るみに出たときで。
 彼は、自らの立場を理由に、一歩引いた距離を取っているように見受けた。
 なぜ、と思う。
 声なく見つめるその先で、相手がやっと言葉を紡いだ。
「…七君主と決別したとしても…。今回は、運良く退けられたとしても――あれが滅びた保証はない。また――狙われたら…」
「…」
(なるほど…な)
 彼は、胸中そう思った。
 腕で覆われた相手の表情を、伺うことはできなかった。
 しかし、アルフェリアは、その言葉に納得した。
 一つ、疑問が解消すると、驚くほどいろいろなことも同時に解けた気がした。
 魔の大君主、七君主。
 『それ』が接触する可能性――これは、いつ何時でも――おそらく、現在のこの時でさえも――彼を蝕んでいるのだろう。
 つまり、彼の傍にいることそのものが、そのまま、彼の傍にいる人間たちが七君主と接触する可能性を大きくしている、ということになる。
 それは即ち、命に関わる危険に、周囲を絶えず巻き込み続けているということだ。
「また、狙われたら――今回みたいに、ティナが――他のオレたちが死に掛けるかも知れないって?」
「…」
「けどよ、…どーせ、石版が見つかるまでは、イヤでもつるまなきゃなんねーんだから、どーせなら、協力したほうがよくね?」
「………」
 カイオスの青い眼が、始めてちらりと覗いた。
 そこには、普段の淡々とした理性だけでなく――こちらの真意を伺うような色が、微かに見え隠れしていた。
 アルフェリアは、澄まして続ける。
「石板や七君主みたいなのには、百人の人間が群がるよりも、属性継承者が五人でかかったほうが、効果的だ。これは、これまでの旅でも実証できてるんじゃねーの? 石板…――今まで…妾将軍の海域と、堕天使の聖堂とで二つ…だったか? 集めてきたけど、一人で立ち向かうよりも、五人の人間が共闘するほうが、効率がいい、だろ? あんたの疑惑が晴れた以上は――七君主も退けるその戦力は、何よりもありがたい」
「………」
 言葉の代わりに、視線だけがアルフェリアを射抜いている。
本心を図っているかのような、眼差しだった。
 それを受けて、ゼルリアの将軍は微かに笑う。
 相手は、あくまで『正体が知れた以上は関係を絶つ』ものだと思い込んでいたらしいが、こちらの立場ははっきりと伝えてやった。
 後は、どう受け取るか、だろう。
 しかし、その答えを聞く前に、彼は再び口を割った。
「まあ…しかし、あんたすげえな。石板――七君主がちょっかいかけてこなかったら、本当に三ヶ月でなんとかなってたんじゃねーの」
「………」
「二年前だったか…ゼルリアとの和平交渉しに来たときも思ったけど、すっげえ計算してるよな。お前が言ったとおりにコトが運ぶ」
「………だぞ」
「あ?」
「あれ、口からでまかせだぞ」
 ぼそりと呟かれた相手の言葉が、よく分からなかった。
 思わず聞き返したアルフェリアに、もう一度、カイオスは告げる。
「『三ヶ月』。――口から、出任せ」
「…マジ」
「賭けたからには――一応、全力でやったけどな」
「………」
 ゼルリアの将軍は、まともに黙り込んだ。
 いろいろと考えを巡らせた末に、おそるおそる尋ねる。
「一応…聞くんだが――お前、七君主とヤり合った時、勝算とか、あったのか?」
「あったら、それまでにとっくにカタしてる」
「…二重魔方陣は」
「まさか、成功するとは」
「………」
 すごいことを聞いた気がした。
 オレ、とりあえず今生きててよかったなー、と気の抜けたように思った。
「なんつーか…お前とは、一回、ハラを割ってよーく話さなきゃなんねー気がしてきた」
「…」
「ティナから、一応聞いてるが、本人の口からホントのところを聞きたいしな」
「………」
 てわけで、全快したら飲もーぜ、と言い置いて、彼は席を立った。
 返事はない。視線だけが、ちらりと動く。
「なんつーか、おごれよ。お宅の王女さま、ばっちり護衛しててやるから」
 それから、と。
 扉に手をかける直前で、アルフェリアは振り返った。
 相手は、視線だけで、こちらを見ていた。
 少し笑って、アルフェリアは言った。
「疑ったことは――あやまらねーよ。けど、言い過ぎたとこもあった。悪かった」
「………」
 今度こそ背を向けて扉をくぐる直前に、相手からの返事がやっと彼の耳に届いた。
 最初に言っておくが、酒、強いからな、と。
「望むところだ」
 軽く笑って、アルフェリアは扉を閉じた。
 それまで相手に対して持っていた、後ろ暗い疑いは、不思議とすっかり消えていた。

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