Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
  第三章 小休止〜帰船〜 
* * *
――シェーレン国 貿易港付近



 果てない砂漠のただ中を、一人の青年が歩いていた。
 青銀の髪。
 壁色の瞳。
 ――いつも、その姿を覆い隠していたローブは、死に絶えた都での戦闘の際にダグラスに斬り裂かれ、真実の姿を炎天下の砂漠にさらしている。
 照り付ける太陽を防ぐために、さすがに肌の露出は少ないが、その姿態は、砂の大地を行く人の目に、鮮やかな、完璧な、『彫刻』として焼きついていった。
「………」
 黙々と、足を動かして、目指す先は一つ。
 シェーレンの沿岸に停泊している、海賊船。

――フェイおにいさま〜


 『あの日』の言葉が、最後だった。
 血のつながらない妹が、自分の名を呼んだ、その時は。
 『あの日』で――闇の石板が、砕け散った日で、最後だった。


――十年前 シルヴェア国


「………」
 『彼』が、目を覚ましたとき、全ての状況が動きすぎていた。
 兄と姉が、闇の石板を安置している『鏡の神殿』に入ってしまって、彼は慌ててその後を追いかけた。
 幼い妹が、自分に続いて踏み込もうとしたのを、突き飛ばすように外に追い返して――。
 その、直後だった。
 神殿自体が炎に包まれて、そして、意識が吹っ飛んだ。
「えっと…」
 起き上がって、首を傾げてみる。
 傷は、治っていた。
 だがそれは、『ケガを治してもらった』せいなのか、『混血児の回復力で治るほどの時間が経った』せいなのか、よく分からなかった。
 何日、経ったんだろう…。
 普段と相変わらず、目に覆いをほどこされた状態では、この場所がどこなのか、さえも判然としない。
 辺りに、人のけはいはしないが――。
「…」
 考えていたとき、がちゃりと扉が開いて、誰かが入って来たのが分かった。
 足音の癖。そして、匂い。
 義父王だと、分かる。
「フェイ」
 厳かな声に、父としての温かみを感じたことはない。
 それは、他の――父にとっては、自分よりも『大切』な実子であるはずの、スヴェルやソフィアたちにも、向けられたことがなかった。
 『賢王』となるには、人としての感情を捨てなければいけないらしい。
 そう、理解していた。
「はい、父上」
 父には、いろいろなことを『命じられ』た。
 故郷の村から拾われた後には、『王子』として振舞うこと。
 ――当時は、まだ自在に色を操れなかった――混血児を示す、銀色の髪を単純に『異民族』としての青銀に染めること。
 同じく、藍色の瞳を隠すために、布で目を覆うこと。
 そして、その状態でも、生活に支障なく生活していくための、技術。
 戦闘能力の強化、訓練。
 ――全て。
 彼には、否という理由もなく、黙々とそれに従った。
「あの…」
 父の纏う雰囲気が、いつもとは異なっていることに、彼は気付いた。
 抑えがたい、とまどい、悲しみ、そして怒り。
 普段は決して感じることのできない、深遠の中の感情が、とめどなく自分の目の前に流れてくるようだった。
 父は――感情を乱している。
 それほどまでに、重大なことを携えて、自分と相対している。
 彼には、それが分かった。
 だから、聞いた。
「どうか…なされましたか…」
「スヴェルと、ソフィアは、『死んだ』」
「…え?」
「闇の石板が、砕け散った」
 それは、どういうことなのだろう。
 一瞬、理解できなかった。
 義兄と、義姉が――死んだ?
石板が…砕け散った?
「あの…それは…」
 どういうことなのでしょうか。
 そう、聞く暇さえ、幼い王子に与えられることは無かった。
 氷のような言葉の破片が、次々と突きつけられて、それ以上の声を奪った。
「どういうことなのだ。そなたたちが、神殿の付近に居たのは、問うまい。いつもの子供の戯れ事よ。
――しかし、『神殿に決して入らぬこと』。このことは、徹底的にいい含めてあったはずだ。現に、扉には、厳重な封印が、施されている。ふつう、幼い子供程度に、とけるはずもない」
「………」
「そなたを別にしてだ。フェイ」
「………え」
 父は今、何と仰ったのだろう。
 自分が――鏡の神殿の禁を、解いたのでも、言いたいのだろうか。
「父上…?」
「そなたは、幼い身でありながら、異民族。さらには、天使の力を宿す異端の者。その魔力の潜在的な力、侮れぬという」
「そんな…私…は…」
「その力を持って、石板を砕け散らせたのだろう…」
「そんな、父上!!」
「それ以外、考えられぬ。臣の意見も、一致した」
「…」
 それは、あまりに、一方的な、理不尽な、しかし絶対的な死刑宣告として、彼を襲い、混乱させた。
「その罪、死を持って償うのみ」
「ま…」
 お待ちください。
 それだけの言葉をいう暇さえ、与えられなかった。
 王の言葉を皮切りに、扉が開け放たれて、複数音の足音が乱暴に踏み込んで来たことだけが、はっきりと知れた。
 身柄を拘束されるということ、そして紛れもない極刑への予感。
 その場をどうやって逃げ出したのかは、覚えていない。
 ただ、気が付けば、城を抜けて、街を抜けて、倒れそうになりながら、郊外に――切り立つミルガウスの断崖絶壁にたどり着いていた。
「………」
 何で、こんなことになったのか。
 それだけが、頭を巡っていた。
 彼は、はっきり見ていた。
 鏡の神殿の扉が、『なぜか分からないが』自分がたどり着いたときには、開けられていたこと。
 兄と姉を追って、中に入り、そして――。
 思わず目の覆いをとったその眼前に、広がった光景の全てを。
 その直後に――全ては炎に包まれた。
「なぜ…」
 息が、上がりきっていて、ほとんど何も考えられない。
 ただ一つの言葉を抱きしめながら、彼はとうとう膝をついた。
「なんで…」
 立っていられないほどに、疲労は積み重なっていた。
 何日も、眠り続けていたせいかも知れないし、起き抜けで体力が回復していないせいかも知れない。
 七つという自らの年齢を考えれば、こんなに長い間逃げてきたのが、不思議なほどだった。
「どうして…」
 鼓動だけが、早い。
 どう、申し開きをすべきなのか。
 どう、父に言葉を伝えるべきなのか。
「どう…すれば…」
「死をもって、償えばよいのだ」
「!?」
 背後の声に、背中があわ立った。
 来た、と思った。
 見つけられたのだ。
 シルヴェア近衛兵二万の力を持ってすれば、子供一人の居場所の特定がたやすいことくらい、容易に分かった。
 そして、同時に理解した。
 ――もう、逃げられない。
「父上…」
 上がった息を整えて、彼はすっと立ち上がった。
 身体がふらついて、ともすれば、ぐらりと倒れそうになる。
 背後は崖。
 自分など軽く押し潰せそうなほどの大きさの岩が、豆粒よりも小さく見える高さ。
 突風が、身体を弄ぶ勢いで、吹きつけている。
 ――目を覆う白い布ごしの――眼前には、シルヴェアの屈強な兵士たちの壁。
 そして、その先頭に立つ、ドゥレヴァ。
「覚悟を決めよ。そなたの罪は、確定している」
「………」
 直接、その姿は見えなかった。
 ただ、視界を遮る布越しに、彼はその姿を見つめた。
 落胆も――悲しみもない。
 これが、王の結論なのだと、理解していた。
 自分が、排除されなければならない、『必要性』。
 王は、――どんな、葛藤や暗躍があったのかは知らないが――自分を石板が砕け散った全ての理由として、その存在を消すことに、したらしい。
 そう、受け止めてしまえば、覚悟は不思議と決まった。
「…」
 彼は、息を吸い込む。
 そのとき、感じたのは、脱力感でも、無力感でもなかった。
 絶望ですら、なかった。
 言葉を絶する激情――。
 怒り、だった。
「………」
 王の裁断に対する、遵守の礼を取る代わりに、眼光は、鋭くなり、そこにはっきりとした意思の光を宿す。
 声のない慟哭。
 白い布越しに、はっきりと父王にぶつけてやった。
 この覚悟、届いていようと、いまいと関係がない。
 自らの尊厳を穢される無礼に比べれば、父に対して――王に対して、このような眼光をぶつけることに、罪悪の感情は欠片も浮かばなかった。
「かしこまりました」
 相手を殺す気で、彼は言葉を紡ぎ出した。
 たとえ布越しであっても、少年が放つ、異様な存在感だけは伝わったらしい――大勢の人間がにわかに息を呑む音が、風に混じって聞こえた気がした。
 呼気を整え、はっきりと述べた。
「国王陛下のご裁可、確かに、承りました。この身に降りかかる罪状の不明を嘆こうと、それが王のご意思とあらば覆せぬが道理」
「………」
「しかし、私は、シルヴェアの下す罰によって死ぬのではない!」
 何百の大人たちを前に、彼は宣言を下した。
 悄然とした――動揺の気配が伝わる。
 しかし、臆することなどなかった。
 ――自らが、これから為そうとしていることに比べれば。
 その程度のことなど、どうでもよかった。
「自らの不明は、自らの命で贖いましょう。それが、私の答えです、シルヴェア国王ドゥレヴァ」
「………」
 罪によってではない。
 自分は、罪など犯していない。
 『罪をかけられた』自分自身を嘆いて、自らの生を投げ出そう。
 そう、言い放った直後、彼は背後の崖へと自ら身を投げた。
 どうせ、命を絶たれるのであれば。
 それを訴えてから、いなくなりたかった。
 最後の『決断』を下すのは、自分でありたかった。
 こんな強い思いを、これまで抱いたことはない。
 王宮に迎え入れられ、いろいろな『命令』に従って、王子として、生活して――。
 その中で、始めて自分というものを顕した気がした。
 始めて、父に真っ向から逆らった。
 それは、ひどく気の張ることだったが、ひどく心が軽くなることでもあった。
 最後の時に、一度でもその思いをぶつけられてよかった…。
「………」
 長い長い崖を、真っ逆さまに落ちていくのは、そのまま死へのカウントダウンだった。
 風が渦を巻き、彼を包み込む――飲み込んでいく――。
 果て無き下降の螺旋を描いて――。



――王位継承者になど、断じて、なりませぬ。その子供は――



 遥か昔、『王子』になる直前のこと。
左大臣バティーダの糾弾の声が、微かに彼の記憶をさざめかせた。
 あなたの言ったとおりになったな。
 そう、呟いた。
 予言は、成就した。
 呪いの子は、己の命を散らせることを持って、王国から、消えよう。
「………」
 そして、彼は意識を失っていた…。

* * *
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.