Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 小休止〜過去を知る者の涙〜 
* * *
――シェーレン国 港町



「………」
 砂漠の太陽は、白い砂浜に、容赦なく照り付けて、そのきらめきを空に散らせていた。
 人気のない海辺に、佇む影が一つ。
 殺人的な暑さから身を守るため、マントを身に着けたその者の髪は銀。
 布越しに覗く瞳の藍が、亡羊と寄せては引く波を見つめていた。
「…」
 薄い唇が開き、そこから旋律が零れ出る。
 とめどなく寄せる波だけが聞いていた。
 混血児の謳う歌。

――光の速さで会いに来て。夢の………

「…」
 歌は、不自然に途切れた。
 ふと視線を上げたその先には、――いつの間に湧いたのか、十数人の屈強な男たちが彼の周りを取り巻いていた。
「へへ…とんだ…珍品がいたもんだぜ…」
「変な海賊に、いちゃもんつけられてから、稼ぎが少なくなっちまってなあ…」
「………」
 下卑た笑いを浮かべながら、包囲を狭める野郎どもをちらりと見て、副船長は、その会話からロイドが『成敗』した荒くれ者どもだと見当をつけた。
 真っ当な村人が襲えなくなってしまったので、真っ当ではないモノに目をつけたらしい。
 『混血児』。
 自分の容姿を、ごまかしていないことに、彼は今さら気付いた。
 いつもは、碧の色に変えてある瞳は、今は元のままの藍色。
 隠し様がない。
 まあ、相手にとっては、いい値で売れるのだろう。
 だが。
「…」
 藍の瞳が細まった刹那、ちらりとした光が、ちかちかと砂漠の光を反射した。
 きらめく――幾筋もの光の筋が、正に獲物に手をかけようとする男たちを、一瞬撫ぜた。
 撫ぜた後――そこには、崩れ落ちた死体の山が築かれていた。
 一瞬の技術だった。
「…」
 温度を失った瞳でその末路を見遣り、彼は指の先で頬に散った血のりを払う。
 言葉はなく、視線だけが動いた。
 今の攻防――とはいえないほどの一方的な殺人行為を――物陰からそっと見守っている影。
 それが誰なのか、彼には分かっていた。
 分かっていて、あえて殺した。
 彼が言う言葉を分かっていて――
「フェイ」
 自分の名を呼びながら、近づいてきた大柄な影は、場の惨劇を受け止めると、困ったように髪を掻いた。
「ロイド」
 相手を呼ぶ自分の声は、いつもの通りに淡々として、自身の耳に跳ね返ってきた。


(うわ…)
 惨劇を目の当たりにして、ロイドは思わず呻いた。
 別に、死体に対して怖気づいたのではない。
 その技術――鋼糸と呼ばれる、難易度の高い暗殺術を使った相手の心情を汲み取って、ため息の出る思いだった。
 殺人行為で、一番報われないのは、もちろん命を落とした本人だ。
 だが、それと同じくらい、破壊は加害者の心をも侵害する。
 つまり、ローブの青年は、自身にそういう負の感情を跳ね返したい気分だということにもなる。
 オレ…ちゃんとこいつ、船に連れて帰れるのか?
 彼はちょっと心配になりつつ、さりげなく言った。
「ちょっと…やりすぎだぞ?」
「やらなきゃ、連れて行かれてた」
「うーん、それも困るんだけどな〜」
「…」
「けど、殺したのは、『連れて行かれそうになったから』、じゃなかったろ?」
 どこまでも穏やかに、ロイドは述べる。
 自身でも、馴染みのある感覚だ。
 海に出るずっと以前――。
 自らの内に住み付いた憎しみをすすぐため、彼は何のかかわりもない賊を、何十人も――ひょっとしたら、何百人も――惨殺した時期があった。
 突き上げる衝動。
 翻弄される自分。
 理由は分かっていた。
 自分の『親友』を殺した、『暗殺者』と呼ばれるヤツらが、憎い。
 だから、荒くれ者どもを見ると、片っ端から剣を抜いて、斬っていった。
 しかし同時に、それが単に自らの憎しみを、通りすがりに他人に発散していることだということも、ちゃんと分かっていた。
 分かっていたのに、止められなかった。
 そんな、苦い実感。
 ロイドもまた、自身の破壊行為に、自分自身を蝕ませていたことがあった。
 つらい境遇から浮かびあがって来れたのは、今の仲間たちのお陰に過ぎない。
「ちゃんと、弔ってやろーぜ」
「…」
 相手の返事を聞かずに、彼は遺体の傍に屈みこみ、驚きに見開かれる――何が起こったのか、理解できず、中途半端に下卑た笑みを浮かべている――そんな目を、次々と閉じていった。
「…甘い男(ヤツ)」
「そっかー」
 はき捨てるように零れた言葉を、ロイドは温かく笑って受け取った。
 相手は、そんな彼の気遣いに気付いていないかのような調子で続けた。
「こいつらのために、泣く人間なんていないだろう」
「だから、せめて命を奪ったヤツが、泣いてやらないとな」
「涙なんて、持ってない」
「…『混血児』だから、か?」
 ロイドは、あえてその言葉を使った。
 副船長の言葉が、止まった。
 虚を突かれたような間があって、やがて返事が返された。
「そう。混血児だから。『人間』じゃないから」
「だから、涙なんて持ってないって? ウソだな」
 死人たちを埋める穴を探して、ロイドは視線を辺りへと転じた。
 海と陸の境界――ちょうど、やわらかそうな地面を見つけて、彼はそこへと移動する。
 懐から、財宝を掘るときに使う、切削の道具を取り出して、土をいじり始めた。
「ウソだよ。オレちゃんと知ってるからな。お前がちゃんと泣けるって。じいさんが病気で死んだとき――お前、ちゃんと、泣いてただろ」
「………」
 移動したロイドから取り残されて、じっと視線だけをよこす副船長へと、彼は声を高めて言った。
 フリードという名の、初代副船長が亡くなったのは、ロイドたちが崩壊するアレントゥムへと向かおうとする、三ヶ月ほど前のことだった。
 屈強な身体を持っていた老人も、天命には勝てなかった。
 風邪をこじらせて、眠るように息を引き取ったのは――今日のように青い空が綺麗な日のことだった。
 その間を埋める形で、現在の副船長がその役職を継いだ。
 それまでは、名前で呼ぶことが多かった彼のことを、みんな『副船長』と役職で呼ぶようになった。
 そうしないと――『役職』を与えて、何とか繋ぎとめておかないと――彼は、そのままどこかに消えてしまいそうな状態だった。
 海賊船にたどり着いた時には、満足に喋ることもできなかった彼が、はにかむような笑顔を見せるまでに回復していた矢先――船を襲った不幸は、再び彼から、言葉と表情を奪った。
(じいさん…)
 ロイドは、故人を呼ぶ。
 あんたが逝っちまってから、何かおかしいんだ、フェイのヤツ。
 その違和感を拭い去れないまま、アレントゥムの崩壊に立会い、彼の義妹に会い――せっかく出会えた家族だからと、旅に同行させたのは、今となってはよかったのかどうか。
(自信…なくなっちまうよ)
 ロイドにしては、かなり弱気の言葉だった。
 そのくらい、途方に暮れていた。
「………」
 言葉は途切れて、彼は無心で穴を掘る。
 他人のために掘る穴は、なかなかその深さを増そうとしない。
(暑いなー)
 ふうっと息をついて、じりじりと肌を焼く太陽の光にため息をついたとき、ロイドは自分の傍らにかがみ込んだ影を視界の端に止めた。
「…フェイ」
「………」
 ロイドと同じようにしゃがみこんだ副船長は、黙って、彼の作業に加わる。
「………」
 そんな部下に言葉をかけることをせず、ロイドもまた無言で作業の続きに戻っていった。
 暫く、全意識を穴掘りに傾ける。
 一人で掘るより二人で掘る穴は、驚くほどの速度で深さを増していった。

「ふー」
 やっと、死人が入るくらいの深さになったとき、既にあたりは暮れかけていた。
 斜めに目を焼く赤い太陽の光は、砂浜の色も紅色に染め上げている。
「よし、埋めてやろうぜ」
「…」
 ロイドの言葉に、副船長は無言で従った。
 人気のない砂浜の片隅に、死者を葬ってやり、簡単な石を立てて、ロイドは手を合わせる。
「ごめんな」
 それはどこか、副船長の代わりに謝っているようにも聞こえた。
 傍らで立ち尽くしたローブの青年は、膝をついたロイドを淡々と見続けている。
 ふと、口を割った。
「妹――だった、子に」
「…」
「正体がばれて…一人で、船に帰ってたとき」
 それは、言葉というよりも、呟きに近かった。
 ロイドは、耳だけで聞いていた。
 暮れかけた砂漠の冷気が、風となって、二人の間を不意に吹き抜けていった。
「昔のことを、思い出していた」
「………」
 そうか、とロイドもまた呟いた。
 首筋を撫ぜた風は、意外にも冷たかった。
「昔――シルヴェアの城にいて、『王子』だったとき。石板が砕け散って、犯人だと言われた」
 藍色の瞳が、墓標となった石を映して、赤い色に輝いている。
 幻想的な色彩の中で、瞬きが数回、零れ落ちた。
「予言…されてた、ことだった」
 崖から落ちていく最中、耳にこだました左大臣バティーダ・ホーウェルンの糾弾の声。

 ――王位継承者になど、断じて、なりませぬ。その子供は――。

「死に呪われた子」
「…死」
「そう、予言されてた…らしい。それでも、ドゥレヴァは反対を押し切って王位継承者にしたけど」
 王国に不幸をもたらす、破滅の異民族。
 王子になってからは、厳重に隠されたその予言の内容は。
 当時、彼には、よく分からない言葉だった。
 分かったのは、王宮を飛び出した後だった。
 自らに襲い掛かる『死』は、果てがなく、またそれに巻き込まれる人も、数知れなかった。
 自分にも、相手にも、――死をもたらし続ける運命(さだめ)にあると。
「じいさんが死んだのは、自分の予言のせいかも知れないって?」
 ロイドは、視線を上げた。
 夕日の逆光になって、相手の表情は見えない。
「…分からない」
 ただ、そう答えが降って来た。
「けど…シルヴェアが『そう』なったのは、それのせいかも知れない」
「…」
「ありえないくらいの、断定口調で断罪されたから」
 周囲には露見しないように、ドゥレヴァは、彼を無理に裁いて全てを闇に葬ろうとしたのかも知れなかった。
 『死に呪われた子』を、王位継承者とした、己の失策を隠すため。
 ――だが、全て推測の域を出ない話だ。
 しかし、それでも。
「だから…あの子の傍には、やっぱりいない方がいいんじゃないかって、ずっと考えてた」
「…そうかい」
「…そう」
 つまり、とロイドはやっと相手の心中に見当をつけた。
 妹に正体がばれた後、撥ね付けられた拒絶の言葉に、どう折り合いをつけるのか。
 ずっと悩んでいたんだろう。
 意外に、そういうところに弱さのある人間だった。
 ――境遇を考えれば、むしろ当然かもしれない。
 ロイドたちと始めて会った頃の副船長は、本当に『人間』としての感情を、全て失いかけていた。
 どんな目に遭ってきたのかは――聞くまでもなく分かった。
 『混血児』としての彼の、悲惨な運命。
 そんな彼が持つ、――おそらく――唯一の、穏やかな記憶。
 その妹に、拒絶された事実。
「じゃあ…ちょっと寂しいかもしれないけど、仕方ないな」
「…」
 ロイドは、よっと立ち上がる。
 傍らで俯いた副船長に、軽く微笑みかけた。
「けど、オレたちも寂しいよ。お前が船に帰ってきてくれないと」
「…」
「大丈夫だって。お前が、『死に呪われて』ようと、なんだろうと。オレたちそんなの跳ね返せるのばっかだしな!」
 朗らかに笑うと、副船長の藍の目が、始めてこちらを見つめ返した。
 綺麗な目だなーと思う。
 ロイドはにっと歯を見せた。
「よし、帰るぞ。ジェーンの飯、食おうぜ」
「………」
 砂漠の風は、涼を孕んで吹き抜けていく。
 眠りゆく砂浜を、船に向かって、二つの影が歩いていった。

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