Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 人ならざる来訪者 
* * *
――シェーレン国 王の恵みの庭



「…あ」
 日の光の傾きかけた、ある日の夕方のことだった。
 いつものようにご飯を手にして扉を開けたティナは、驚きに目を見開いた。
 ――キルド族にしては、異色の容姿を持つ少年が、『迷惑料』の代わりにクルスを伴ってどこかへと去ってしまった後。
 一応もらった薬を、意識の朦朧としたカイオス・レリュードに飲ませてみたのだが。
「起き上がって、大丈夫なの?」
「………」
 確かに、今朝方は起き上がることも困難な状態にあったはずの青年は、目を覚ましただけでなく、上半身をベッドの上に起こしていた。
 自身も釈然としない表情をして、入ってきたティナを迎え入れる。
「…お前」
 こちらを見た瞳は、夢と現をさまようような調子ではなく、はっきりとティナを映していた。
 顔色も、大分マシになっている。
 本当に、すごい回復ぶりだ。
「何か、盛ったのか?」
「何で、そういう思考回路になるのよ」
 開口一番の物騒な邪推に、ティナは思わず半眼になる。
 相手もまた、眉をひそめて、言葉を返す。
「毒をもって毒を制したとしか、思えない」
「まあ…うーん、確かに、出所がはっきりしない薬だったけど…」
「そんなの、飲ませたのか」
「うん。まあ、モノは試しに。これ以上悪くなることはないかなと思って」
「………」
「冗談よ。とにかく、結果的にいい感じで回復したから、いいんじゃない?」
「お前な…」
 微妙な表情をしたカイオスの傍まで歩み寄って、持ってきたご飯を机に置くと、彼女は何気なく彼の額に触れてみた。
 相手は、微かに身じろぎしたが、特に逆らわない。
 ティナはそんな彼の様子には気付かず、手のひらに伝わるひんやりとした感触を確かめる。
「ほんとに、下がってる…」
「…おい」
「ああ、ごめん」
 ずっと、付き添っていたので、ちょっと距離感に無頓着になってしまっていたらしい。
 慌てて手をどけて、彼女はやっと微笑んだ。
「よかったわね…。薬、効いたんだ」
「薬…なのか。本当に」
「えっと…キルド族の子が…」
「キルド族」
「…」
 カイオスは、怪訝そうに首を傾げた。
 ティナは、事情をかいつまんで、話す。
 キルド族の少年が訪ねて来て、クルスと一緒に去ってしまったこと。
 そして、その代わりに置いていった『薬』のこと――。
「…」
 彼は、ちょっと考え込んだ後、ぼそりと呟いた。
「じゃあ、今…ここにはお前しかいないのか」
「まあ、そうね」
 言ってから、彼女は気付いた。
 確かに、二人きりだ。
(ま、まあ大丈夫よね…)
 彼には、『マリア』がいる、はずだ。
 万一にも、間違いなんて、起こらない。
 ティナは気を取り直して、さりげなく話題を変えた。
「ところで…そんなに気になるんだったら…薬、実際に見てみる?」
「…」
 自分はそんな知識はないが、カイオスならば、知っているかもしれない。
 頷いた相手の反応を見て、彼女は一旦台所へ戻ると、残った薬草を持って再び部屋へと戻った。
 戻った瞬間――相手は、まともに顔色を変えた。
「…それ」
「え、うん、これ」
「いくら積んだんだ?」
「えっと…タダで、おいていったけど…」
「タダ…」
「………」
 信じられない、といった表情で、彼はティナの持ってきた薬に見入っている。
 普段は、起伏がほとんどない彼のあからさまな反応に、ティナの方も驚いた。
 そんなに、高価なものなのだろうか。
 気になったので、彼女は素直に聞いた。
「ちなみに…相場で、どのくらいするの?」
「相場…か。多分」
 カイオスはごく真面目に言った。
「それを売っ払えば、俺が、五年――いや、十年は遊んで暮らせるな」
「…それって」
 ティナはちょっと目を見開いた。
 『彼』が、というのは、もちろん、世界の頂点に君臨するミルガウス王国の、百官の長たる左大臣が、ということだろう。
 こんな少量の薬が、彼の年収十年分?
「私じゃ…たぶん、一生かかっても、稼げない額なのかも知れないのよね」
「…ああ」
 どんな『迷惑料』だというのだろう。
 ティナは眩暈がしそうになった。
「そりゃ…確かに、属性魔法の反動も、治まるわけね…」
「………」
「ちなみに、何て名前の薬なの…?」
「エリクシール草」
「…!?」
 その名を聞いて、ティナもまた息を呑んだ。
 どの魔術書にも必ず触れられている、伝説の薬――それは、いかなる傷も治し、死の淵にある者さえも、一瞬で蘇らせるという。
 千年に一度、月食の日に花をつけるという、霊樹ユグドラシルの実を煎じて、清涼な精霊の光に何十年もさらしてやっとできるとか、できないとか。
 本に載っているのは、大概がその記述のみで、薬草の姿絵などは、あくまで『想像図』に過ぎないことが多いのだが。
「これ…が、そうなの?」
「ああ。ミルガウスの秘蔵の図書に書かれてあったのと一緒の絵姿だから、間違いないと思うぞ」
「………」
 自分の手にあるのが、その『伝説』の草だと分かると、何かすごいものを押し頂いている気になってくる。
 というか、それを何で一介のキルド族が手に入れることができるのだろうか。
「クルスのお兄さんって言ってたけど…そんなに、偉い子だったのかな?」
「…クルスの」
「ああ、うん」
「ということは、それを置いていったやつは、生粋のキルド族じゃないのか」
「そうね。容姿の色が普通のキルド族と違ってた…」
「………」
 それを聞いて、カイオスは少し考えるような素振りを見せた。
 ティナもティナで、ちょっと言葉を失う。
 クルスの兄と名乗るキルド族の少年が現れて、驚いたことには、驚いた。
 しかし、彼が置いていった薬は、『驚く』レベルの話じゃない。
 一体、彼は――彼らは、『何者』なんだろう。
「あいつ、何者なんだ」
 思っていたことは、相手も同じだったらしい。
 自分に対しての問いかけに、しかし、ティナは答えることができなかった。
「えっとね、実は、よく知らないの」
「…」
「最近…意外に彼のことを知らなかったなってことに、気付いたりして」
「それでいいのか、お前ら」
「うーん、まあ、今までは困らなかったし…」
 ティナは微かに苦笑した。
「前に、海賊船でもちらっと話したことあるけど――私、自分の記憶がないから…。私の方から、そういうこと詮索するのって、何かできなくて」
「…」
「まあ、その内聞いてみるわよ」
 ぱたぱたと手を振って、ティナは軽く笑った。
「それより、口に合わないかも知れないけど、ちゃんとご飯食べてね」
「…」
 相手の返事を聞かずに、ティナは言葉だけを残して彼に背を向けた。
 一つ胸のつっかえが降りたような――ほっとした、気持ちだった。

* * *
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