――???
漆黒の闇が、足元に広がっていた。
いつもの、『夢』か。
彼は、ため息混じりにそう思う。
この夢の時は、いつも壁越しに見ていた少年も決して出ては来ない。
一人きりの空間。
立ち尽くすその足を、不意に誰かがつかむ。
「………」
言葉をなくして相手を見つめ続けるのは、自分か、それとも自らの足をつかんだ、物言わぬ『死人』か。
(ダグラス・セントア・ブルグレア…)
幾人もの――幾十人もの、自分が手にかけた人間たちが、空虚な目をこちらに向けて、彼の足首をつかんでいた。
命を消した、そのときの表情で。
暗く――赤い闇の中で。
「………」
おびただしい、血液の匂いに交じり、微かに音が響いてきた。
誰かが、泣いている声がする。
聞き覚えがある。
あれは、アレントゥム自由市が七君主の手によって、崩壊した直後――。
崩壊した街を歩く中、半身を失って地面に転がっていた少女が上げていた、今わの際の、慟哭だった。
ダグラスたちだけでない――いろいろな人間が、横たわっていた。
国境守護隊の人間たち。
アレントゥムの人々。
そして――。
その全てが、限りなく――命のない瞳を空中に投げ打って、一心に彼を見つめていた。
「…」
彼は、微かに目を細める。
自分が『殺した』人間たちを、じっと見返す。
夢で問われ続ける、自らが犯した罪の償いの行方。
その方法を見つけることすら出来ず、屍だけが増えていく。
何度もいいかけて、そしてそのたびに口をつぐんだ『言い訳』の代わりに、彼は今日もたった一つの言葉を、噛みしめるように、呟くように、囁いた。
「…――すまない」
■
「………え?」
ティナは、どきりとして、口元を押さえた。
日もとっぷりと暮れた頃――食事を下げに、部屋を訪れた彼女だったが、食事の後眠ってしまったらしいカイオス・レリュードがなにやらうなされている様子なのを見て、驚いて足を止めた。
熱が再び上がっているのだろうか。
柳眉はひそめられ、額には汗の粒が浮かんでいる。
(…)
また、属性の反動がぶり返したのだろうか。
思わず手を触れかけたその動きが、相手の言葉で止まった。
「…――すまない」
(え…)
謝っている。
一体――誰に?
(…)
彼女は、手をひっこめた。
触れてはいけないような――近づきすぎることで、彼の内面に立ち入り過ぎてしまいかねない――かといって、そのまま立ち去るのは、後味が悪いような――。
そんな、中途半端な心地だった。
「…」
私、何がしたいのかな。
そう、自問してみても、答えは出ない。
ただ、彼女は彼の傍らに腰掛けて、ふっと軽い息をついた。
自分に苦笑しているような調子だった。
「まったく…」
彼の様子を見守りながら、いつの間にか彼女も、眠りの中に引き込まれていった――。
「…ん」
ふと、何かのけはいを感じて、ティナは身を起こした。
あたりは――闇。
傍らには、寝息を立てるカイオス・レリュードがいる。
あのまま部屋に止まっていて――いつの間にか、夜半を過ぎていたらしい。
深々とした闇が、砂漠の夜を伝えている。
全てを闇に取り込んでいきそうな――。
緑に囲まれたこの屋敷でも、当然に夜はよく冷える。
「………」
さすがに、こんな時間に、男性の寝室にいるのは不謹慎すぎる。
そう思って、立ち上がろうとしたティナの脳裏に、とある言葉が――なぜか偶然――過ぎ去っていった。
――しかし、おねーさんら、よくこんなけったいな館にいるな〜。
「………」
ティナは、自分が血の気が引いていくのが分かった。
ヤバイ。
この館は、やばいんだった。
――女の霊が…時々、出るそうなんや…
(………)
ティナは、真剣に考えた。
私、この時間に、こんな暗い廊下を一人で自室に戻ることができるんだろうか。
ひんやりとした冷気と、不気味な陰影。
真っ暗な闇に取り残されて、彼女はたった一人。
今までは、クルスがいたからよかったのだが…。
不意に、とんとん、と肩を後ろから叩かれる。
考えに没頭していたティナは、それをうんざりと払った。
(あ、魔法で明かりを出してみれば、いいのかな…)
とんとん、と再び叩かれる。
彼女は眉をひそめた。
うっとおしい。
誰なんだ、一体。
(誰…)
そのとき。
「………」
彼女は、今最も気付きたくないが最も気付かなければいけない重大な違和感に、やっとこの時気付いた。
この館には、今自分とカイオスの二人しかいない。
その彼は、正に目の前で、安らかに寝息を立てている。
とすると。
私の肩を叩いたの…誰?
「………」
彼女は、ぎこちない動きで、振り返る。
見たくないのに、見たい。
永遠の葛藤の末の、勇気ある行動だった。
――こんばんはぁ〜。
「………」
勇気ある行動の末に、彼女が見たモノは。
――最近、騒がしいから、ちょっと出てきてみました〜。
「な…」
ふわふわと宙を漂う、それは正に。
――はじめまして〜。
「な…な…ななななな」
彼女はわなわなと震えた。
足がなくて、半透明で、空中に浮かぶ、そのモノの正体は。
(ゆ、幽霊…)
その瞬間。
「ぎゃーーーーーー!!!」
夜の砂漠の片隅で、一人の少女の絶叫が、夜のしじまを裂いて、星空に吸い込まれていった。
|