Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 闇の紛れた来訪者 
* * *
――シェーレン国 緑の館



「そういえば、帰って来ないわねえ。クルスのヤツ」
 キルド族の少年が、相棒を連れ出して、丸一日が経つ。
 カイオス・レリュードと二人の食卓を終えて、食後のお茶を飲みながら、彼女は何気なくその名を口にした。
「おにーさんと、何話してるのかしら…」
「…」
 彼女の対面に座ったカイオスは、青い目をティナに向ける。
 キルド族の少年のもたらした霊薬の効果は凄まじく、驚くほどの短期間で、彼は日常生活に支障のないほどに回復していた。
 クルスがそれまでやっていた力仕事――薪割りや水汲みといった類のことを、もの凄くさりげなくこなしてもくれる。
 さりげなさすぎて、ティナは最初本気で小人さんか妖精さんがやってくれているのかと、考えてしまったくらいだ。
 ――それは、さておき。
 ことりとコップを傍らに置いて、ティナは続けた。
「ったく…小さい子が泊まりなんて…不謹慎だわ」
「その『小さい子』を、戦いに連れ回すのは、ありなのか?」
「そーなんだけど」
 彼女は、うーん、と言葉を探す。
 ――意外にも、クルスのいない――カイオス・レリュードと二人の時間は、彼女が思っていたほどには気まずいものではなかった。
 ティナが話しかければ、――淡々とした調子は相変わらずだが――ちゃんと言葉を返してくれる。
 旅に出た当初とは違って、そこには撥ね付けるような調子はない。
 それを感じながら、ティナは続けた。
「何か…クルスって、普通の子供と違う感じじゃない。戦い慣れしてるし、強いし。元々旅してたみたいだったから、そのまま連れて回ってたのよね」
「…」
「全然、家族のこととか、聞いたことなかったから…。今回は、ちょっとびっくりしたっていうか」
「…」
 子供を戦いに連れまわしていた、といえば聞こえは悪すぎるが、それに対するティナの説明も、そう納得のいくものではない。
 何となく、クルスなら連れまわしても大丈夫そうだった…としか彼女にも言えないのだ。
 そんなティナに、カイオスは何か言いたげな視線をよこしている。
 確かに、彼の言いたいことも分かる。
 そんな彼に弁解をする、という意味でもなかったのだが、ティナはふと切り出してみた。
「あ、そうそう。あんた、七君主と戦ったとき、お腹のところに傷があったじゃない。アレ、堕天使の聖堂の時からあったものだって…気付いてたらしいわよ。クルス」
「…そう、なのか」
「うん」
「………」
「ちなみに、アルフェリアは気付いてなかったらしいけど」
 ゼルリアの将軍も気付かないような所作に、なぜ気付くことができるのか。
 考えて見れば、不思議な話だった。
 ティナは首を傾げたが、カイオスはそれ以上に怪訝そうな顔をしている。
 考えるような仕種の後に、ぽつりと呟いた。
「お前…あいつが、取り乱したりしたところ、見たことあるか」
「え? ないけど」
「…十才、だろ」
「そうね」
「普通ではありえない」
「まあ、確かに」
「本当に、奴のことを、何も知らないのか?」
「うーん」
 ティナは考えてみるが、二年も一緒にいたにしては、信じられないほど、彼女はクルスのことを知らなかった。
 ただ、微笑んで傍にいてくれる。
 能天気で、無邪気で。
 けれど確かに、大事なところで彼女を支えてくれる。
 そんな、彼のことを聞こうとは思わなかった。
 それは、自分の『過去』を知らないこととも、関係しているのかも知れない。
 自分のことを話せないのに、相手のことを、根掘り葉掘り聞くことは、彼女にはできなかった。
「…ミルガウス城で、石板のことを尋問したとき」
 ふと、カイオスが切り出した。
「………」
「お前は、面白いくらい取り乱してたのに、あいつは、やけに冷静だった。場慣れしてたか、よほど空気が読めなかったか」
 後者だと、最初は思っていたけどな、とカイオスは結構失礼なことをさらりと断言する。
「だが、違ったみたいだな」
「…」
「それに、気になることがもう一つある」
「え?」
「お前は、ヤツと堕天使の聖堂で出会ったんだろ?」
「うん」
 いつだったか――海賊船で話をしたことだ。
 ティナとクルスの、出会いの話。
 あの時の彼は、アベルに促されてしぶしぶその場に残ったに過ぎず――興味がないようにも見受けられたのに、意外にもちゃんと覚えていた。
「あんな危険な場所に、『印』も持ってない――しかも、意外と洞察力のあるあの子供が、何の目的もなく、みすみす近づくもんかと、思ってな」
「…まあ、言われてみれば」
 ティナは、素直に同意した。
 改めて言葉で指摘されてみれば、もっともなことばかりだ。
 ――だが、最もだからといって、クルス自身のことがそれ以上掘り下げられるわけでもない。
 うーん、とティナは考えた。
 考えた末に、首を傾げる。
「けどねー。それを聞こうとしたところで、なんかうまーく流されるんじゃないかって気がするのよねー、私」
「…」
「つかみどころがないというか、とらえどころがないっていうか。けど、………」
 そう、クルスのことに関しては、これ以上彫り下げようがない。
 だから、彼女は、話をしていて感じた、別のことを口にした。
「意外と、よく見てるのねー」
「…何が」
「いや、クルスのこととか…。全然興味なさそうだったのに」
「…」
 素直に口にすると、相手は多少の沈黙を差し挟んだ。
 視線を逸らした後に、カイオスはぼそりと言った。
「別に、そういうわけでもない。ただ」
「ただ?」
「物事の優先順位がある。それだけだ」
「優先順位…」
 予想外の言葉に、ティナは瞬いた。
 優先、と聞いて、そして彼のこれまでの行動を振り返ってみて彼女は自然と呟いていた。
「石板…」
「…」
「やっぱり、影響が大きいから…?」
「それも、ある」
「それ…も?」
 含みを持たせた言い方に、ティナは首を傾けた。
 問いただすように、視線を向けるが、相手はそれを逸らす。
 旅の途中でも、気まずい時や、話をはぐらかすときには、――おそらくは無意識だろうが――彼は視線を外していた。
 話づらいことなのだろうか。
「…言いにくいこと?」
「そうでもない。だが、憶測を出ない話だ」
「…」
「憶測で、振り回されたくはないだろ」
 短く切った彼の言葉は、それ以上の追求を拒んでいた。
 だから、ティナも素直に口を閉じる。
 何となく降りてしまった沈黙の果てに、ティナはふう、と息をついた。
 クルスはどうしているんだろうか。
 出会ってから――堕天使の聖堂で、彼と行動を共にするようになってから、始めて感じる不安だった。
「………」
 カイオスと二人の時間が、気まずいわけでは決してない。
 けれど、何かが物足りない。
(クルス…)
 呟くように呼ぶ名前は、彼女の中での彼の存在の大きさを――改めて、感じさせた。

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