Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  終章 館に蠢くものの影 
* * *
――シェーレン国 王城



「…」
 砂漠の国の、贅を凝らした王宮の廊下を歩きながら、アルフェリアは周囲に注意を向けていた。
 シェーレンの国家保護指定遺跡――死に絶えた都の崩壊について、説明を行うために、アベルと共に、王城に厄介になるようになってから、一週間――彼らを常に、『妙な気配』が監視している。
 そう、ただ、こちらの動向を息をひそめてうかがっているような――そんな、味の悪い視線が、感じられて仕方がなかった。
 今も。
(…)
 ゼルリアの将軍は、その胸中の懸念を面の皮一枚で受け止めて、平然と歩を進めていた。
 こちらに対して、それと分かる監視を続けるのは、余程、力を侮られているのか、それとも何か別に意図するところでもあるのか…。
「どっちかね…」
 数日前に、水の館に赴いて、カイオス・レリュードと話をした際に、アベルのことは任せろといってしまった手前、王女に危害が加わるような事態はなんとしても避けておかなければならない。
 同盟国の関係もあるうえに、メンツもかかっている。
 あの男にだけは、侮られたくない。
 『敵』でないと分かった今では、その思いのほうが強かった。
「…」
 アルフェリアは、歩調を変えずに、シェーレンの内情について思考を巡らせる。
 シェーレン国――。
 枯渇した大地に息づく人々の、水の恵みに頼るしかない、砂の国。
 国を統べるのは、水の巫女と呼ばれる魔術師と、彼女に加護を与えられた女王。
 過酷な砂漠の環境の下で生まれた、絶対秩序は、彼らを神格化し、限られたものにしかその姿をさらすことのない、特権階級を形成していた。
 一応、他国の賓客である、アルフェリアやアベルは、その姿を見る機会がある。
 それでも、たまに同伴を許される晩餐の席で、遠目にちらりと伺う程度だったが。
 『現在』は謹慎中のカイオス・レリュードも、自身の即位式の折などにあったことのあるはずだった。
 だが、それはあくまでも『ミルガウスの左大臣』だったから、こそ。
 一応『謹慎中』の今は、王宮に入ることすら、許されていない身の上だ。
(今度…あいつに、話をしに行ってみるか)
 アルフェリアは、武人だ。
 はっきり言えば、シェーレンの国情には、あまり詳しくない。
 シェーレンはもともと、経済上の要所ではあるが、政治的な駆け引きにはほとんど静観をしている――それだけに、第一大陸の軍事大国の情報網をもってしても、内情を探ることはほとんどできていないのが現状だった。
 廊下を歩きながらも、物陰から自分を監視する視線に――心当たりの欠片すらもない。
 しかし、あの男ならば…。
(…)
 そこまで考えて、ゼルリアの将軍は、胸中で苦笑した。
 今まで、『敵』と決め付けていた男に対して、こうも心証が変わるとは――思ってもいなかった。
 七君主との一件を経て、そこに芽生えたのは、疑惑の晴れた、すっきりとした『信用』の念だった。
 少なくとも、不明なばかりの身上ではない。
 それが、今回の件で、はっきりと知れた。
 これだけで、こうも違う。
「さて…」
 アベルの様子でも見に行ってみるか、とアルフェリアは足の向く先を変えた。
 普段は、――特に、ティナたちと接している時には、年相応に明るい少女は――場所と旅の疲れがあるのか、黙って俯いていることが多かった。
 それはそれで、気にはなる。
 しかし、妙な『気配』のことが、今は将軍の脳裏をいっぱいにしていた。
「………」
 見た目は、平静そのもので、彼は廊下を進む。
 砂漠の国の、特権的な城の中で、蠢くものを、彼はまだつかみきれないでいた。


「シェーレンの王宮のこと?」
「そう。いろいろ考えてみたんだけどね」
 ――砂漠の国の王都から、多少の距離を隔てた『緑の館』にて。
 王族の別荘に滞在を許されている――そして、今は時間を持て余している――ティナは、ふとカイオスに対して切り出してみた。
 食事を終えて、頬杖をつきながら読書をしていた青年の視線を受けて、彼女はぴっと指を立ててみた。
「あのよく分からない幽霊――、何か館によくないものがいるとか言ってたじゃない? それが、何でなのか…。つまり、私たちよ!」
「…」
「シェーレンの側からしてみれば、びっくりなはずなのよねー。遺跡が破壊されちゃったのは、ホントとしても、いきなり、ゼルリアの将軍とミルガウスの王女と左大臣が、国に乗り込んでくるんだもん。
 もしも、知られたくないこととかがあるんだったら…。隠そうとして、必死になるはずよ!
 だから、妙な行動をとらないように、見張ってるんじゃないかって思ったわけ」
「…もし、そうだとしたら」
「うんうん」
 気のない風に見えても、一応カイオスはそれなりに言葉を返してきた。
「わざわざ気取られる監視をするよりも、秘密を守るほうに必死になるんじゃないのか?」
「………」
 話の出鼻を、見事に封じられて、ティナは押し黙った。
 仰るとおり、反論の『は』の字も、出てくることはない。
「………」
「まあ、多分当たらずも、遠からずなところなんだろうけどな」
「え?」
 しかし、次に彼の口を割って出たのは、予想外の言葉だった。
 ぱちぱちと瞬くティナに、彼は青い目を向ける。
 理性的な光が、彼女の瞳を軽くなぜた。
「妙なことはある。今朝も、薪割してたら覗きに来ていたみたいだったが…。今はその気配すらない」
「ごめん、話の腰折って。ひとつ言わせてくれる? 今まで、さりげなさすぎて、よく分からなかったんだけど、本当に、薪とか割っててくれたのね、ありがとう」
 クルスがいない以上、薪割りや水汲みといった力仕事は、当然ティナの仕事になる…はずだったが、予想に反して、どうしてか薪も水も勝手に補充されていた。
まさか、小人さんか妖精さんが本当にいるはずはないので、『誰か』がやっているとは思っていたのだが。
 本当に、彼だったとは。
「…」
「てーか、そんな隠れてさりげなくすることじゃ、ないんじゃない?」
「そんなことはどうでもいい。話を戻すぞ」
 そこに触れないカイオス・レリュードに、ティナは、彼ひょっとして、薪割ってるとこ目撃されたくないんじゃ…と邪推をしてみたが、水掛け論になりそうだったので、おとなしく話しを戻した。
「ええっと…、誰かがこっちを監視してる…って話だったわよね。わたし、何日か前にそれ聞いて、気をつけてみたんだけど…。気付かなかったわよ?」
「お前じゃなくて、俺を監視しているということだろうな。大体、一人の時に現れる」
「…」
 ティナではなく、カイオスに関すること、なのだろうか。
 政治的なしがらみなのだろうか…とすると、最初に自分が言って見た、『王国にひそむ秘密を隠すために、見張っている』というのが、的外れではない気もしてくるのだが。
「お前が言いたいことも分かる」
 ティナの表情から、言葉を汲み取ったのか、カイオスは、先回りして言葉を放った。
「一応、ミルガウスの左大臣をしていたからな。そういった心当たりは、ありすぎるほどある」
「…うん」
「ただ、今回は」
「…?」
 砂漠に浮かぶ湖を思わせる、涼しげな眼が、不審の光を微かに宿した。
 どことなく視線を漂わせながら、ぽつりと呟いた。
「シェーレン国の内情は、かなり厳密に守られている。なにかの事件の火種があったとしても、つかむことのできる可能性は少ない。実際は探られて痛いところもあるんだろうが、俺も何かの事情をつかんでいるわけじゃない」
「…」
「相手からすると、下手な動きをみせて、こちらに『何かある』と勘付かれるほうが、都合の悪いはずなんだけどな」
「ふーん」
 ティナは耳を傾けて、その話を聞いてみた。
 こういうことを聞くと、彼も『左大臣』なんだなあと今さらのように思うところもある。
 何気なく、彼女は話題を振ってみた。
「ちなみに…シェーレンの女王さまとか、水の巫女とかには、会ったことあるの?」
「ああ。水の巫女はシェーレンの民にしか姿を見せないから、女王の方だけだけどな」
「どんな人?」
 興味本位で軽く聞くと、彼は多少間を挟んだ。
 やがて、
「現実主義で合理主義の排他的な老婦人」
「…それってつまり?」
「ケチで業突く張りの自分本位な成金女…といったところかな」
 何となく、ティナは納得した。
「…なるほど」


――シェーレン国 ???



「それで、奴らの動向は」
「はい。気付かれぬように注意を払いながら…監視を続けております」

 贅を尽くした謁見の間。
 百官の長たちが跪く、広大な空間に、今は五人の人間がいるのみだった。
 玉座に居座る、ふくよかな体をした女性。
 その傍にひかえる、二十歳そこそこの少女。
 そして、二人の遥か下方――。
 何十段も、積み重ねられた階段を隔てたその最下部に、うやうやしく膝をつく、三人の人間たち。

「ふん…。こんな時に、他国の重鎮どもが、乗り込んでくるとは…」
「しかし、女王閣下。彼らはあくまで、石板と、それを得る過程で崩壊した、死に絶えた都の後処理について、来国したのみ。そんなに、ご心配されなくても…」
 玉座の老女に対して、口を挟んだのは、傍らに控えた少女。
 それを見遣る老女の視線が、険しく細まり、砂漠に君臨する太陽のごとく、感情を爆発させた。
「黙れ、小娘が。物を知らぬお前ごときに、何が分かるという!」
「…申し訳…」
「『水の巫女』とはいえ、わらわに対しての分をわきまえぬ発言、二度とは許すまいぞ」
「…は」
 頭を垂れた少女を傍目に、老婦人は、すっと立ち上がる。
 年齢を刻んだ、険しい顔をさらにゆがめ、彼女は厳かに宣言した。
「我には、この国を――その、富と民の生活の安寧を保つ義務がある。そのための犠牲も仕方のないこと。ゆめゆめ…悟られては、ならぬぞ…!!」
「は」
 彼女以外の人間全員が、一斉に唱和し、その服従を誓った。
 彼女は、満足げに頷いた。
 しかし、砂のある限り、すべての民を従える権限を与えられた、絶対君主たる彼女ですらも、自身に跪く一人一人の伏せた顔の本当の『表情(かお)』には、気付くべくもなかった。

 砂の国のいたるところで、新たなる物語は始まろうとしていた。

閑話2 緑の館への来訪者 完

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