Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 緑の館の朝
* * *
――シェーレン国 ???



「…」
 闇の石板――二人組みの美女の片割れ、ジュレスの所持していた――それを手にした少年は、そこから流れ込んでくる邪悪な『気』に操られるように、ふらふらと夜の砂漠を歩いていた。

――コロセ…コロセ…。

「………」
 目は空ろで、彷徨える死者のようにも見えた。
 さらさらと流れていく氷点下の砂の中を、彼は歩き続けていた――。
 自らの意思を投げ出し、彼は別の意思に従って動いていた。
 魔の大君主――七君主と呼ばれるものの意思によって。

 『あの女』を、殺せ、と。


――???



 暗闇が、広がっていた。
 真っ黒の、漆黒の空間。
 距離も、奥行きも、全てが溶けていく。
 自身の手も、輪郭も…。

――フフフ。

 ぼんやりとした、影がたゆたう。
 亡羊と歪み、ふとすれば、霞む。
 『在る』ようで、『無い』。
 不可思議な存在感。

――フフフ…。僕ハ…僕ハ、マダ『ココ』ニ、コノ地上ニ… 存在シテイル。

 暗闇の中で、影が囁く。
 それは、見えない触手を伸ばし、こちらを絡め取って行くかのようだった。

――死ヌ…。皆、死ヌ…。僕ガ、殺ス。関ワッタモノ、全テ…。『失敗作』。オ前モ、殺ス…!!

 逃れようとしても、四肢は捕らえられたかのように動かなかった。
 ただ、ひたむきに向ける闇の中で、石の欠片が、蠢いている。
 その影が――ふと、歪んだ。

――死ヌ…殺ス…皆、殺ス…!!

 声だけが、暗闇を走る。
 闇の中に、女の姿が浮かぶ。
 砂漠の民の色。
 閉じられた瞳。

(…マリア)

 始めて、命を奪った日。
 始めて――目の前で、死んだ女性(ひと)。

――殺ス…殺ス…。

 女の胸から血が吹き上がり、力なく倒れ落ちた。
 全ては戯曲のように。
 しかし、今なお実感として、そこに在る――。
 その『死』を皮切りに、様々な人間が、暗闇に浮かび、現れ、そして死んでいった。
 全ての人間の死に顔を、彼は覚えていた。

――殺ス…殺ス…。

 様々な人間の果てに、一人の少女が現れた。
 紫欄の瞳。
 栗色の髪。
 こちらを見て、微笑んで、そして。
 そして――。

――殺ス。………殺ス!!!!

 女の身体は、何かに衝かれたのように跳ね上がり、そして、力なく――そのまま、倒れて、いった。


「…!」
 カイオス・レリュードが目を開けたとき、飛び込んできたのは、緑の館の天井――。
 窓からの木漏れ日を受けて、爽やかに光が踊る、平静な空間だった。
「………」
 夜明け直後のようだった。
 昨夜、ゼルリアの将軍とそれなりに酒をたしなんで、たまたま絡まれていた女を助けた。
 女を送り届ける、と言った将軍と別れて、館に帰り着いたのは深夜を過ぎた頃だった。
 王女やティナは眠っているに決まっているので、声も掛けずに眠りに付いた。
 特に、酒の影響があったわけでもなかったのだが…。
 身を起こして触れた首筋に、大量の汗が絡んでいるのが分かる。
 原因は、はっきりしている。
 今しがたの、悪夢。
 『夢』と片付けるには、あまりに鮮烈な――『現実』のような、感覚。
(滅んで、なかったか)
 闇の石板の像。
 殺すと叫ぶ声。
 そういえば、『死に絶えた都で石板をもって待っている』とか言われていたわりに、肝心の石版は、未回収とのことだった。
 石版は、以前に砕け散ったとき、回収されるまで長い年月を経る間、人々の憎悪や恐怖といった負の感情を溜め込んで、『七君主』と呼ばれる意思を作り出した。
 七君主自体は、石板を離れて自由に動き回ることができる。
 しかし、そもそもの母胎である石板に、その存在が宿ることは不可能ではない――。
「…死に絶えた都」
 そこに、今だに眠っているというのだろうか。
 ダグラスの身体を追われた、七君主が。
 おそらく『ソレ』が隠し持っていたと思われる――石板に宿って。
「………」
 何かしら確信がある話ではなかったが、変に現実味のある推測は、消化不良のような心地を招いた。
 あの、変態的な生物が、いまだに自分を狙っているかも知らないという実感は、否応なく、生理的な嫌悪感を引き起こす。
 それでいて、そこに石板がある以上、何があっても回収をしなければならない。
 必然的に、あの変態と再び邂逅するわけで――。
「…」
 身体を動かして、めちゃくちゃに暴れたい気分だった。
 夜明け前のこの時刻。
 誰も起きては来ないだろう。
 そう割り切って。
 彼は服を着替えると、剣を持って屋外へと歩いていった。


――シェーレン国 緑の館



 夢、と分かっている、『夢』だった。



(また…この映像)
 二人の男女が剣を組み合われている。
 一人は、自分。
 精一杯に防御に入り、次々と打ち込まれてくる剣を捌くのに全神経を集中している。
 一人は、カイオス・レリュード。
 七君主に操られた状態で、無表情に容赦のない剣をどんどんと繰り出していた。
 『見たことのある景色』。
 というよりも、すでに起こった――起こってしまった景色を、夢は延々と繰り返している。
(何で…)
 ティナは、思う。
 自分が、『現実』となる夢を見ることは、多い。
 しかし、それがすでに起こってしまったあとは――『アレントゥムの崩壊』にしても、『妾将軍のカレン・クリストファ』にしても――それが『現実』となった後まで、繰り返して見るようなことは、ほとんどなかった。
 そう、主に『未来』を見せる、もしくは『未来に起こる』現実と関係した『過去』を見せることが大半の『夢』が、何度も再生されている。
 『終わった』、ことなのに。
(そう、終わった…はず)
 最近の『予知夢』の頻度から言えば、次の『夢』が来てもおかしくはない頃合だ。
 それとも、この夢は、まだ『七君主の絡むカイオス・レリュードの信頼問題』が解決していないことを、示唆しているのだろうか。
(どうして…)
 首を傾げても、答えは出ない。
 出ないままに、彼女は夢の続きへと取り込まれていく。
「…」
 剣を打ち合わせる二人。
 現れる七君主。
 そして――。

「ダメ!!」

 踊り出す自分。
 そう、姿勢を崩したカイオスを庇って、七君主の前に躍り出たティナは、その攻撃をまともに喰らってしまった。
 結果的に言えば――『未来』を変えた瞬間だった。
 あの時は、ただほっとした。
 しかし、自分によって、変えられてしまった『夢』の続きは――。

(消える…)

 漠然と、彼女は感じる。
 そう、自分が踊り出たところ。
 そこから、場面は突如闇に転じ、一切の映像を見せなくなる。
 『未来』が、途切れる。
 突然、奈落が覆いかぶさってきた感覚。
 抜け出そうと、――『夢』の階(きざはし)を捕まえようと、必死に手をばたつかせる。
 そして――。


「!!!」
 はっと、目を開けて、ティナは飛び起きた。
 夢――それも、自分が変えたはずの夢。
 自分が変えたところから、その後の一切が、どうしても分からない。
 暗闇に飲み込まれていく――そんな、『夢』だった。
(なんで…)
 こんなことは、今までなかった。
 夢を見ている感覚が――それも、不自然に繰り返される夢を見ている感覚が、はっきりと脳裏に焼きついている。
 この、不快感。
 何かが――どこかが、掛け違えられてしまったような。
「………」
 館に、姿の見えない第三者の存在が考えられるときに、こんなことに頭を悩ませている余裕はないはずだった。
 それでなくとも、カイオスが不在なのだ。
 軽く仮眠程度にと眠ったのが、いつの間にか夜明け前の明るい空が、窓から覗いている。
 そして。
「あれ…?」
 ティナは、外に広がる風景の一部を見とめて、思わず目を凝らした。
 窓から見える視界ぎりぎりのところ――金の髪の見覚えのある男が、剣を一心に振るっている。
「え?」
 彼は確か、マリアという女がいながら、アルフェリア将軍と『朝帰り』をやらかしに行ったはず…。
 なぜ、こんなところで、こんな時間に、あんなところで剣を振るっているのだろう。
「………」
 ひたむきに剣を振るう姿は、逆に、剣に意識を集中することで、それ以外の邪念を払おうとしているようにも見えた。
 砂漠に生きる数少ない緑の宿す、朝露――その、雫の欠片すらも、両断してしまいそうなほどに、鋭く、正確で――隙も無駄もない軌道。
「…」
 暫く窓から見ていたティナは、ふと身を起こすとおもむろに服を着替え始めた。
 寝なおすには、時間が中途半端だ。
 それに、なぜ『朝帰り』のはずがこんなところにいるのか、それを聞いてみたい好奇心も、身体を動かしていた。
 手早く着替えを済ませたティナは、タオルとグラス一杯の水を持って、まだひんやりとした砂漠の朝へと、歩き出していった。

* * *
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