Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 緑の館の朝
* * *
「は!」
 びゅっと翻った剣先が、空間を二分する。
 返す刀が刹那に光り、最後の突きをその中間に叩き込んだ。
「!」
 刃は空の一点で静止し、吹き散らされた葉が、後を追うように散っていった。

――殺ス…。

 胸くその悪い幻が、眼前で笑う。
 勝てる見込みもなく、崖っぷちの状態で剣を向けて――結果的に何とか勝利をもぎとったような相手。
 同じ事を今やれと言われても、正直勝てる自信すら――傷を付けられる保証すらない。
 そんな相手に、向かっていく、向かっていかなければならないという義務感――。

――君自身の闇には、君自身が打ち勝てばいい。それだけのこと。

「…」
 勝てるだろうか。
 その懸念は晴れない。
 次は、周囲の人間が犠牲になるだろうか。
 自分に関わったせいで、命を危険にさらすのだろうか。
 その、不安も――拭いきれない。
 自分を守る剣は、情けないほどに、他の人間の危機を救う力を持たなかった。
 今までの道程を思い、カイオスはそう感じる。
 執拗な、七君主の――『ダグラス』の攻撃。
 昼夜を問わず、多勢に無勢は是非もなく――その襲撃にたまたま『居た』だけの人間ですら、死の不幸を被ってしまう…。
「…」
 剣戟の激しさに吹き散らされた、館の緑の葉がはらはらと風に舞う。
 最後の葉が地についたその時に、彼は剣の切っ先を下ろす。
「………」
 相当動いたせいか、本物の戦闘でも滅多にかかないくらい、汗が光っていた。
 そのまま次の動作に移ることなく、彼は暫く佇んでいた。
何気なさを装って、館の方をじっと見ていた青の目が、一度伏せられてまた開く。
「こんな朝っぱらから、そんなところで覗き見か?」
「………」
 涼やかな声が空を渡ると、玄関にしつらえられた柱の影から、ティナが姿を現した。
 どことなく気まずそうな表情(かお)で、おずおずとこちらに近づいてくる。
「………」
 やがて、すぐ傍まで歩み寄った彼女は、手にしたものをこちらに差し出してきた。
 汗を拭くための布と、グラスに注がれた水。
「…どうぞ」
「…どうも」
 短いやりとりの後、彼は何気なく玄関の石段に座った。
 吊られたように、ティナもその隣りに腰を下ろす。
 激しい運動の後に、一気に清涼な水を飲み干したとき、女がふと口を開いた。


(ホントに…すごいなあ)
 寝覚めの悪さに起き出して、彼の行動を目にしたのはいいが、その圧倒的に洗練された動きに、ティナは呼吸も忘れて見入ってしまっていた。
 虚空に向かって次々と、叩き込まれる刃。
 その全てが、一点のぶれもなく、架空の敵の急所を正確についているのが分かる。
 恐るべき速さ、そして正確さ。
 緑の館に宿った、露の一滴さえも、分断して飛沫に帰するほどの勢いを持っているように見えた。
 その動きは、何か邪念を振り払うようなひたむきさも感じさせる。
 一心に。
 不乱に。
 七君主に操られた彼の剣を、受けたこと自体が、信じられないような奇跡だったのではないかと、彼女は真剣に考えた。
「………」
 暫くの間見入っている内に、ふと相手の動きが止まった。
 敵に止めを刺した型のまま、静止したカイオスは、その切っ先を下ろすとまっすぐにこちらを見遣った。
(げ)
 限りなく透明な視線で貫かれて、ティナは居心地の悪さを感じる。
 見つかってしまった。
 いざ、そうなると非常に気まずいものを感じる。
 今さらながら後悔した。
 やっぱり部屋でおとなしくしておいたほうがよかっただろうか。
 たが。
「こんな朝っぱらから、そんなところで覗き見か?」
 清涼な声が、空間を渡って、ティナを縛り付ける。
 こうなったら、こっそり戻ることもできない。
 ティナ観念した。
 やばいなあ、と思う心半面、どうにでもなれというやけくそ反面――。
 彼の傍に歩き寄って、手にしてたグラスと布を渡した。
「どうぞ」
「どうも」
 それで帰れと言われるのかと覚悟したが、それに反して彼は玄関の石段に座って水を干しただけだった。
 そこには、いつも感じてきたような――拒絶や壁はないようにも、見える。
「………」
 何となく隣りに座ってしまって、ティナは話の糸口を探した。
 思ったことを、思ったままに言葉にする。
「さすがに、すごいのね…。身体、もうすっかり元通りみたい」
「どうも」
「昨日…出て行ったとき…。その、朝帰りするもんだとばっかり思ってたから…ちょっとここにいたのが意外で」
「………」
 朝帰り、と言う言葉を聞いた瞬間、ティナのそばに座った青年の眉間に、深い皺が刻まれた。
(げ)
 地雷を踏んでしまったのだろうか。
 おののくティナを傍に、青年はぼそりと呟く。
「真に受けるなよ」
「へ?」
「俺を連れ出すための口実だ。実際には他に用事があった」
「そうなの」
「ああ」
「そうなんだ…」
 ほっとしたような、そんな心地が、ティナの頬を緩める。
 カイオス・レリュードは、眉をひそめたまま、ティナが手渡したグラスを指先で弄んでいた。
 その手は、ティナのものとは比べ物にならないほどに、無骨でたくましかった。
 手だけでなく――ふとした服の間に覗く、素肌にも、無数の傷が刻まれていることを――それが、首や顔といったかなり危ない部位にまで及んでいることを――成り行き上、彼を診ていたティナは、知っていた。
 どのくらい――彼は修羅場を潜り抜けてきたのだろうか。
 どのくらい――彼は、強いのだろうか。
 彼の本気を見ることは、戦闘中であっても、なかなかお目にかかれない気がする。
 七君主との戦闘では、さすがに普段の冷静さをかなぐりすてて本気になったらしいが、それも毒に倒れていたティナには見ることはできなかった。
 ちょっとした好奇心が、沸き起こった。
「ねえ」
「?」
「ちょっとさ…本気でヤりあってくれない?」
「………」
「ダメ…かな」
 少し逡巡した後、彼は何気なく手のグラスをこちらに放り投げた。
「え! あ…」
 一瞬どきっとして、ティナはそれを受け取る。
 受け取った、瞬間のことだった。
「………!!」
 ぞくり、と背中に悪寒が入った。
 右の視界が――右目が、塞がれている。
 ティナが、グラスに意識を飛ばしたその一瞬、瞬きする間のことだった。
「………」
 『目』を、取られた。
 やられた、そう、思った。
 頬に軽く触れるように、触れた青年の親指が、自分の右目を捕らえている。
 そのまま力を入れてしまえば、それは、自分の目を潰して、脳をもえぐり出して――それで、『終わり』だ。
 文字通り、命を握られている。
「――」
 息を詰めて、彼女は身を硬くするしかない。
 見開いた左目で見た男の表情は、――自分の命を握った男の表情は、ぞっとするほど、平静だった。
 暫くの緊張の果てに、すっと指が離れて、ティナはたまらず手を付いた。
 汗と、脈動が、体中を巡る。
 跳ね上がる鼓動を抑えて、カイオスの方を見ると、彼は相変わらず表情を変えず、しれっとした態度を貫いていた。
「『本気』で、といっただろ」
「…」
 確かに、とティナは唇を噛む。
 この距離で。
 この条件で。
 目を狙うのは、一番『効率』がいい、『最善』の戦闘方法だ。
 しかし。
「普通…もっと…こう」
「………」
「別のところ、狙わないかな…。首とか、心臓とか」
 命を奪う行為は、『命を奪った相手の断末魔を目の前で目撃する』ということだ。
 ティナが同じ立場だったら――どんなにそれが可能なことであったとしても――『目』だけは避けてしまう。
 はっきり言って、目を潰すところ、見たくない。
 二三日は食事が喉を通らなくなること請け合いだ。
「…わたし…まあ、わたしだって、命を奪ってきた、けど…」
「…」
「今だに、夢とか見たりするけどね…」
 彼は、平気なんだろうか。
 眉一つ、動かしそうにないな、とティナは想像する。
 どんなに凄絶な死でも、その内面を面の皮一枚で押しとめて、平然としたふるまいを崩そうとしないのではないか、と。
 その一方で、自分の見た夢や、カイオス・レリュードの亡霊の言葉も彼女の中に息づいている。
 『平然としているからといって、何でも平気なわけじゃない』。
 そして、『夢』で見た、――がりがりに痩せて、足元もおぼつかないような少年が、泣きながら剣を振るっていた姿。
(今の…)
 ティナは思う。
 今の彼は『どっち』なんだろう。
 本当に、何も感じていないのか、それとも――。
「もし…」
「…」
 呟いた言葉は、無意識だった。
「あんたが私を手にかけることがあったとしたら…それでも、やっぱり平然としていそうよね…」
「………」
「あ、えっと…ごめん。何でも…」
 口走った自分の言葉に動揺し、ティナは慌てて言葉を探す。
「ま、まあそんなことなるはずないって、信じてるけどね!」
 明るく言った言葉に、カイオスは特に表情を動かさなかった。
 普段どおりの、淡々とした声音で、何気なく話題を変えた。
「ところで…お前、何でこんな時間に」
「ああ、ちょっとね」
「また、『夢見』でも悪かったのか」
「ええっと、えっと。うん」
 また、という言葉には、以前ゼルリアを出航した直後に、海賊船で離した時の記憶があるから、だろうか。
 あの時も夢見が悪くてティナは甲板に出て行って――そして、そこで魔封書を見ていたカイオスとかち合った。
「お前の『夢』とやらが、石板のありかまで示してくれれば、話は簡単なんだけどな」
「…」
 冗談なのか、場を繋ぐためなのか。
 そう呟いたカイオスの言葉に、ティナは思わずそちらを見る。
 表情を浮かべようとしない顔は、突然の彼女の剣幕に瞬きを増やした。
「なんだよ」
「えっと…その…あの時の話…信じてたの?」
「ウソついてたのか」
「そうじゃ、ないんだけど」
 海賊船の甲板で、彼女は『未来を示すような夢を見る』とそう伝えた。
 そのことに対する、あの時の彼の反応は、『信じたのか信じてないのか分からない』――非常にあいまいな、どっちつかずのものだ。
 ただ、無下に拒否されたわけではないことに、ティナは安堵したのだったが、まさか本当に真に受けてくれているとは、思っていなかった。
「いや…突飛な話でしょ…『未来』をあらわす夢を見る…なんてさ」
「『七君主の分身が、ミルガウスの左大臣をしている』のも、突飛だと思うけどな」
「………まあ、言われてみれば、ね」
「お前あのとき、よくあの話を信じたな」
「あの時、って、光と闇の陵墓で剣をし合わせたとき…よね?」
 闇の石板をミルガウスに持っていったのはいいが、石板を持ち逃げした犯人呼ばわりされ、アレントゥム自由市に赴いた。
 そこで、彼女の持つ二つの石板を持ち出して、七君主に渡したのがカイオスだった。
 彼を追って光と闇の陵墓に行き着いたティナは、そこで、カイオスと剣をあわせ――まあ、当然のごとくさらっと負けたわけだったが――そこで聞かされたのが、彼が魔の大君主の『分身』だ、という話だった。
 あの時、あのタイミングで、あの表情で言われれば、信じるしかないだろう…と思うのだが。
「ウソ…つくにしても、もっとマシなウソつくわよね、って感じだったからさ」
「そうだな。あの将軍にも同じことを言われた。つまり、お互いさまだろ」
「…」
 まあ、確かに、カイオスの出自に関する内容も、自分の『夢』のことも、突飛なことに変わりはない。
 それを敢えてウソと決め付けることもない。
 場をごまかすのであれば、真っ当なそれらしいことは、他にもでっち上げられる。
 だとしたら――信じるしかない、というところだろうか。
「うん…ありがとう。なかなか、クルス以外の人にいう機会が無くてさ。まあ、その『夢』のおかげで、七君主の攻撃からあんたを庇えたんだけどね」
「…」
「けど、最近その『夢』が不調なのよねー。自分の思うようにならないし、次の『夢』が見えないし…。期待に添えなくって、申し訳ないんだけど」
「いや…」
 彼は、そのまま言葉を濁した。
 近くもなく遠くもない――石段に腰を下ろした二人の間を、砂漠の朝の風が、爽やかに吹き抜けていった。

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