Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 砂漠の夜の酒場
* * *
――シェーレン国王都 アクアジェラード下町



「へへっ。綺麗なおねーさんのお財布ゲット〜」
 少年は、口笛を吹きながら、手にした『戦利品』を高く放り上げた。
 露出度高めの淑女から、財布が手に入るとは、日頃の行いがいいとしか思えない。
「髪と目を見るに、ありゃ異民族だな…。いやー、異民族には美人が多いっていうけど、ホントだね」
 シェーレンの城で、女王閣下にどやされ、直属の部下にはこき下ろされ、兄にはなだめられ。
 いらいらとした鬱憤を晴らすには、それなりに満足のいくブツだ。
 ごそごそと中身を探った少年は、しかし、金品のほかに異色の感触を感じて、ふと眉をひそめた。
「…なんだ?」
 呟いて、取り出す。
 古ぼけた、石の欠片――。
「………」
 まさか、という思いと、うそだろ、という思いが、しばし、彼の足を止めた。
 裏の世界に手を染めるもの、――だけではなく、冒険者や、賞金稼ぎの類まで…ほとんど知らないものはいないといわれる、石の欠片。
 『闇の石板』、と呼ばれる物体に、その姿形はそっくりだった。
「…さっきのねーちゃんたちが、コレを見つけたのか?」
 たった三ヶ月前の話だ。
 アレントゥム自由市が崩壊し、七つの欠片は砕け散った。
 もともと、一つはミルガウスの元に残っていると聞くから、六つの欠片がどこかしらに存在しているという計算になる。
 いくつかは、早々に見つかった、との噂も耳にするが。
「すげー」
 ミルガウスに持っていけば、一つ、金貨100枚だ。
 やばい、遊んで暮らせるどころか、裏家業から足を洗っても、おつりがくる。
 兄と同様、あの、女王たちにこきおろされることも、なくなる――。
「………」
 すげえ、戦利品だ。
 そう、欠片を握り締めた少年は、次の瞬間、四肢を硬直させて立ち尽くした。

――オイデ…。

 何か――。直接、頭の中に流れ込んでくる、声。
 それは、強烈な力で少年を支配した。
 握り締めた石の欠片が、淡く発光していた。
 夜の闇よりも――遥かに深い黒い光。
「………」
 急速に、周囲の音が遠ざかり、乳白色にぼやけていく。

――行ケ…、僕ノ声ノ 下ニ…

「………」
 少年は、ふらふらと歩き出した。
 それは、操られた死者のように、不確かな足取りだった。
 夜の町の人間たちの間をすり抜けて、彼は町の外れへと――砂漠へと、踏み出していた。
 死に絶えた都――今だ、七君主の取り付いた石板の眠る、廃墟と化した遺跡へと。
「………」

――忠実ナ…。僕ノ…忠実ナ…。

 『新たなる器』。
 声は、囁く。
 それは、闇の石板を通して、確かに、少年に流れ込んでいた。
 夜の闇は、深まっていった。


――シェーレン国 王都アクアジェラード下町



「…気付いてるか?」
 低く切り出したアルフェリアの表情は、先ほどとうって変わって、真剣なものだった。
「…」
 それに吊られる形で、カイオスも、グラスを置く。
 その示唆が指し示す内容を、慎重に言葉に出した。
「…そっちにも、か」
「ああ」
 自分たちを『監視する』、誰かの存在。
「しかも、堂々と気配をつかませてひそんでやがる」
「…そのようだな」
「心当たりは?」
「ない」
「…」
 カイオスの即答を聞いて、アルフェリアは眉をひそめた。
 完全に的を外れた反応を返された――そんな落胆が、ありありの覗いていた。
「あんたでも、知らないのか」
「シェーレンの機密は、何重にも守られていて、はっきり言って全然つかめない。まあ、一つ裏の筋の情報を言えば」
「…」
「この辺りでは、最近よく『異国人』の子供や混血児が『行方不明』になるそうだ。治安に不安が広がっている」
「…へー。そりゃ対策に忙しいだろうな」
「それが」
 酒をあおる青年は、世間話のように、さりげなく続けた。
「王国は、何の対策も取ってないらしい、それどころか、黙認する動きだとか」
「………」
 アルフェリアは、眉をひそめる。
 今しがた、『シェーレンの機密は何重にも守られていて』という言葉を交わしたばかりだ。
 何の対策も取っていないというのはともかく、黙認する動きなどとは、どこから分かるというのか。
「…それって、どこの筋の情報」
「とある、裏の筋」
「…」
 軍事大国の将軍は、眉をひそめた。
「まさか…王国が…」
 考えられ得る、一つの可能性に思い当たって、思わず呟きが口をついたアルフェリアの隣りで、カイオスは変わらず平静な表情を保っている。
「…まあ、俺は王城には上がれないから、せいぜいうまく振る舞うことだな」
「しかし…まあ、そうだとすれば、監視されているのに納得はいくが、『分かるように監視されてる』ことが、余計にわからねーぞ」
「俺だってそこまでは知らない」
 堂々巡りになりかねない応酬の果てに、カイオスは、そういってグラスを干した。
 顔色を変えもせずに、すぐに次の酒を足す。
 真面目な話題をそっちのけで、アルフェリアは、別の意味で眉をひそめた。
「お前…それ、何杯目?」
「さあな。いちいち覚えてない」
「顔色も変わってないって、冗談だろ。強すぎ」
「だから、最初に『酒は強い』と断っただろ」
「いや、そうなんだけど」
 どこか、やりきれない心中を言葉にするのはめんどうで、アルフェリアは再び話題を変えた。
「…まあ、ところでお前さ。そんな、正規のルートから入ってこないように裏の情報、どっから取ってきたわけ?」
「…」
「オレもそういう筋は、二三個持ってるけど…全然そのテのことは分からなかったわ」
「個人的な、ツテをたどっただけだ」
「…」
「押さえるべき所を押さえておけば、大体の話は、勝手に入ってくる」
「押さえるべき所…ねえ」
「………」
 そんな『筋』、真っ当なツテであるはずがない。
 どこで、そんな人脈を手に入れたのか。
 将軍は目で促す。
 カイオス・レリュードは、軽く目を伏せた。
 アルフェリアの無言の追及に、応えるべきかを迷っているようにも見えた。
 やがて、彼はすっと視線を琥珀色の液体に落とした。
 その奥に宿る光は、液体のゆらめきを受けて、微かにさざめているように見えた。
「お前…もし、仮に、身よりも金も力もない子供が」
「…」
「命を狙われながら、身一つで逃亡するとしたら、どうやって身を立てる」
 それは、アルフェリアに聞いているというよりは、自らに問いかけているようにも、見受けられた。
「…」
 アルフェリアは、無言で待った。
 自分の答えを期待しているわけではないと、分かっていた。
 だから、彼が再び口を開くのを待った。
「…盗賊のパシリ、色町の下働き兼護衛、戦場での荒稼ぎもやったかな」
 琥珀の液体を干して、カイオスは呟くように続けた。
「特に、色町の仕事は割がよかったぞ。衣食住が保証で、月に数回は女も付いてくる」
 『最高』の、仕事だった、と淡々と語った。
「…」
 なるほどね、とだけアルフェリアは返した。
 自身のグラスも干して、その余韻を楽しむ。
 おそらく、この男はそうやってひとりで、裏の世界を渡りながら、修羅場をくぐって生きてきた。
 ミルガウスに辿り着いたら着いたで、出自の知れない『異国人』扱いだ。
「それで、その手の情報が手に入るわけだ」
「…」
「身一つで、やって来たってわけだな。あんたが、石板集めるのに、あーもかたくなだったの、何か分かったよ」
 確かに、こちらもカイオスに対して疑いを持っていたし、カイオスの方もそれで距離を取っていた――。
 しかし、おそらくそれだけではなく。
 彼が、周囲から孤立していた理由。
 そんな状況に居続けたら、周りは『敵』、全てを自らがこなすしかない、と壁の一つも作りたくなるものだろう。
 だが。
(…)
 アルフェリアは口元だけで笑うと、酒のおかげで高揚とした意気に任せて、口を開いた。
「まあ、オレも結構昔は好き勝手にやってて、一人でなんでもやってやるとかってやさぐれてたけど」
「…」
「意外と、一人でイキがってるのって、ガキのやることなのな」
「………」
 そうね、好きな女でもできりゃ分かるさ、と呟いて、彼は再びグラスを空ける。
 無言でこちらを見る青年に、にやりと笑った。
「そのうち、分かるって。本気で惚れるヤツでもできれば」
「………」
 カイオスは相変わらず、無表情で無言だった。
 アルフェリアは構わず、グラスに酒を満たす。
 軽快なしぐさで、飲み干そうとしたとき、不意に店の中が騒がしくなった。
「…?」
「…」
 二人の視線が、微かに動く。
 砂漠を縄張りに稼ぐ、たくましい男たちの間に、一人の小柄な影が一つ。
 酒に酔った男に絡まれながら、気丈に相手を見返している。
「…女」
「はー、こんなとこに、一人で飲みにくんなっての」
 絡んでくれと言わんばかりの行動だ。
 カイオスの方は冷静に指摘する。
「場慣れしてないみたいだな」
「そーみたいね。助けてやんないとウソだろ」
 多勢に無勢では是非もない。
 やれやれ、止めてくるかね、と立ち上がろうとしたアルフェリアに続いて、カイオスもグラスを置く。
 体位を変えたせいか、声を上げる女の顔が、はっきりと二人の目に映った。
(へー。まだ若いね)
 二十のはじめ。
 自身よりも、二三年下だろうか。
 そう目測するアルフェリアの隣りで、しかし、普段冷静な男は、意外な表情を見せていた。
「…カイオス?」
 怪訝に思ったアルフェリアが、そちらを伺う。
 微かに目を見開いて、驚くような表情をした青年は、愕然としたような――悄然としたような声で、――思わず、だろう――呟いた。
「…マリア」
 その声に、反応した――ようにも見えた。
 実際には、隣りにいたアルフェリアも聞き取りにくかったような小さな呟きだったが――。
 こちらを振り返った女は、はっきりと彼らを見た。
 砂漠の民の持つ色をした瞳が、一瞬驚いたように見開かれて、そして伏せられる。
 喧騒が、遠ざかる。
 二つの視線は、時と場所を超越するような調子で――ひたすらに、ぶつかり合っていた。

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