――シェーレン国 王都アクアジェラード大通り
「あの…昨晩は、ありがとうございました」
「…別に、大したことでは」
「私…ある人に会いに、あそこに行ったんですけど、辿りつく前に、別の殿方に絡まれてしまいまして…」
困っていたところだったんです、と少女は地面を向いたまま、呟く。
あんなところに、女一人で行くなよ、と胸中で呟きつつも、カイオスは欠片も表情を動かさなかった。
行動は果てしなく甘いが、その所作と話し方は、間違いなく高位の人間であることを想像させる。
しかし、――身分の厳しいシェーレン国であるからこそ――供の一人もつれず、女が夜間に酒場に来ることが、なおさら不可思議に感じられた。
そして――彼女の醸し出す雰囲気。
(似ている)
改めて、思う。
遠い昔――通り過ぎただけの、赤の他人。
盲目の『魔女』と呼ばれていた、一人の女。
「いくつか、伺ってもよろしいですか?」
相手に合わせて言葉を選べば、砂漠の民の緑の瞳が、無邪気な光でこちらを貫く。
それを静かに見返して、彼は淡々と切り出した。
「どうして、あなたのような高位の人間が、一人であんなところにいたのか。そして、どうして私があの館にいると知っていたのか…」
「………」
女は、表情を変えなかったが、無意識に、だろう――はっきりと顔色が変わった。
高位の人間にしては、――そして、城に住まうような、身分も教養も高い人間にしては――カイオスは、彼女のことを知らなかった。
おそらく、アルフェリアも、だろう。
「…」
女は、言うべき言葉に迷っているようだった。
連れ立って歩くその足が自然に止まり、カイオスも、あわせて立ち止まる。
人が通り過ぎて行く道の真ん中で、二人はしばらく、無言で立ち尽くしていた。
「………あの」
雑踏の中に、紛れそうな声だった。
必死にこちらを見上げる瞳が、何かを訴えかけた、まさにその時。
「あ、あなた!!」
「ダグラスとそっくりな…」
不意に、周囲の人だかりの中から、一際高い声が上がった。
「…」
「え、あの…っ」
二対の視線が、――明らかに自分たちに向けられた声の主へと移動する。
「お久しぶりですわね〜」
「こんなところで、会うなんて!」
さらりと風になびく蒼と青銀の髪。
そして、異民族の持つ瞳。
ミルガウス南に位置する大国、堕天死の聖堂で、ちらりと邂逅した――アルフェリアの姉であるというジュレスと、その連れ、ウェイが、目を丸くして、こちらを見ているところだった。
■
「もう、びっくりした〜! ダグラスさんと、本当にそっくりなんですもの」
「………」
突然の邂逅に、余程驚いたのだろう――ウェイが無遠慮に呼ぶ名前に、反射的にカイオス・レリュードの表情が変わった。
まさか、と――これも無意識に呟いて、彼は二人の女へと向き直る。
「…以前、『彼を探している』といったが、まさか…」
ルーラ国南方守護府でのことだった。
一人単独行動をして、堕天使の聖堂に入るための『印』を手に入れていた道中のこと。
あの時も、人気のない街の中でこちらを伺っていた二人は、質されると『ダグラスを探している』と行った。
性格の破綻したあの男を、追いかけている女がいることも驚くべきことだったが。
「まだ、あいつを追いかけているのか」
「………」
「………」
極力感情を込めないようには気をつけた問いかけには、しかし露骨な思いがひたひたとにじみ出ていた。
しかしもしも、彼女たちがダグラスを探しているにしても、彼は『死に絶えた都』で、この手で斬り捨てた――今さら、あのケガで生きているはずは…。
「そうですわね。彼、ひどいケガをしていまして」
「今、看病しているところなのよね」
「………」
予想外を超えた答えに、今度こそ、カイオス・レリュードは、言葉と呼吸を一旦止めた。
脳裏に、様々な――本当に様々な可能性の片鱗たちが、すばらしい回転力を持って次々と浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
『ダグラス』という名で、自分とそっくりの人間が存在する可能性を、凄まじい速度で求めてみようとして、さすがに彼はその無為を悟った。
「…どこで」
「え?」
「どこで、彼を見つけた」
「えっと…」
低い問いかけに、首をかしげたのはウェイだ。
「『死に絶えた都』で…」
「すごく、深い傷を負って、倒れていたんですのよ。本当に…あそこまでためらいなくばっさり斬るなんて、ひどい人間もいたものですわ!」
柳眉を上げたジュレスが続ける。
「………」
(何で助けたんだ)
あんなところまで追いかけて行く事はないだろうに。
そんな心中をおくびにも出さず、カイオス・レリュードは微かに首肯しただけに止めた。
「で、…その彼は、今――」
「私たちがかくまってるわ」
「………」
その場所を聞き出して、止めを刺しに行くべきだろうか。
いや、時間と体力の無駄だ。
傍でおとなしく待っている少女を一瞥し、そろそろ、話を切り上げるかと口を開きかけたところに、言葉を紡いだのはウェイだ。
「って、そんなこと、言ってる場合じゃないのよ!」
「そうなんですわ。わたくしたちが、折角アレントゥムで見つけた石板が――」
「石板?」
その単語に反応した彼は、不吉な予想をまともに貫く次の一言を聞く。
「そう、石板が、盗まれたんですわ!」
淑女が放った、とんでもない言葉が、今度こそ――カイオス・レリュードの表情を変えた。
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