Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
  第三章 忍び寄る影 
* * *
――シェーレン国 王城



「何!? 赤髪の戦鬼が現れた…!?」
 豪奢な謁見の間に君臨する女王は、もたらされた報告に、まともに顔色を変えた。
 以前はその後ろに控えていた少女は、今はいない。
「港付近の村で、私の手のものが返り討ちにあったとのこと。子供たちをさらっている場所を――知られてしまったと」
 重低音の厳かな声色で、淡々と報告を述べるのは、壮年の男。
 こちらも、今回は一人で、この場に立っている。
 天上の果てのような階段の頂点に君臨する女王が、地底の底に立ち尽くす男を見下していた。
誇り高き女王は豊満な体をゆすり、烈火の勢いで声を上げた。
「ゼルリアが動いたのか!?」
「いえ、そうとは…」
「ええい、あれほど、監視を怠るなと命じたはずだ!!」
 事が露見すれば、我が国の威信は、地に落ちるのだぞ、と誇り高き王者は、歯噛みをしていきり立った。
「…」
 広大な空間に立つ、今一人の男は、悟られないよう、小さくため息をついて女王を見上げた。
 幾段もの階段に遮られ、そこに居座る女と、今は自分の二人きりだ。
(もし…)
 彼は、荘厳な顔の下で、ちらりと考えた。
(もし、今彼女の首を上げれば…)
 もちろん、謁見の間は人払いはされているとはいえ、帯剣など許されていない。
 しかも、扉のすぐ向こうには、それこそ幾十人もの近衛兵たちが目を光らせている。
 万一、事がなせたとして、無事に脱出できる見込みは少ない。そもそも、事をなす前に不穏な物音に感づかれでもしたら、そこですべては『終わり』だ。
 ――それでも。
(できる…)
 男は、胸中で確信した。
 自分になら、できる。
 彼は、自分が一瞬で階段を駆け上がり、おののく女王の口を塞いで事をなす映像を――かなりはっきりと、脳裏に浮かべた。
 子供の手をひねり上げる程度のことだ。
 そして、それを成せば、女王が正に今、烈火のごとく怒っている案件からも、解放される――
「………」
 彼は、そこまで考えたところで、その夢想をさらりと止めた。
 いかつい表情のどこにも、その余韻すら滲ませぬまま。
 代わりに、わめき立てる女王の言葉に耳を傾けた。
「よいか! 決して、我とお前達のような下賎が結びついているなどと、悟られてはならぬ! あくまで、お前達のやったこととして、内々に処理するのだ! どんな手を使っても…!! 必ずな!!」
「…は」
 猛る女王の怒りに対し、彼はどこまでも厳かに応えた。
 そういえば、と胸中でこぼす。
 彼の弟の姿が、昨日あたのから見えない。
 ちょうど前回、この謁見の間で女王の言葉を賜った直後――街に出てくるといい置いて姿を消した少年は、それきり音信が取れなくなっていた。
(まさか…)
 今の会話の流れから、考えられうる一つの推論を導き出して、彼は――始めて、息を詰めた。
 『どんな手を使っても』と言う言葉。例えば、ゼルリアやミルガウスの目を欺くならば、分かりやすい『元凶』を祭り上げればいい。
 それらしい人間をでっち上げ犯人に仕立て上げ、王室は、それを取り締まった『正義』の立場を取るやり方だ。
 しかし、彼の弟は、まだ20にも満たない少年で、外見も『極悪非道の犯人』と偽るには、あまりに役不足すぎる。
 例えばもし――王国が、彼を人質にするのであれば。
(人質か…)
 男は、ぎりりと歯を噛みしめた。
 そっと伺った女王の表情は、その距離に隔てられ、細部までは汲み取れない。
 しかし、彼女が『国を守るためならば』、闇の商売に国家自ら手を染めることも、それが露見したときに、いかなる手段を用いるのも是とする人間だということだけは、痛いほど分かっていることだった。
 そして――弟の不在。
 符号が、合いすぎる。
(………)
 男は、頭を垂れ、恭順の態度を取った。
 そのまま睥睨する女王に背を向け、謁見の間を去っていく。
「………」
 無言の静寂を、靴音だけがかき乱す。
 太陽の化身として、君臨する王者から隠された男の顔に、何かしらの決意めいた眼光が、差し迫った表情のなかで、ただ一際、光を放っていた。


――シェーレン国 緑の館



 その少年が、館に転がり込んで来たのは、ティナが館中を掃除し始めてから、幾分も経たない内だった。

「おね…さん、おねーさん…っ。いてる?」
「え!?」
 随分と衰弱したようにも――それでいて、焦ったようにも感じる声は、あまりに変わり果てていて、彼女は最初、自分が良く知る少年の者だとは気付かなかった。
「え、ナナシ!?」
「よか…たわ………」
 出迎えたティナは、そこに広がるあまりの惨状に言葉を失う。
 確か、クルスと一緒に『話がある』と出て行ったきり、帰ってこなかったのだったが…。
「あのな…クルスが………」
「クルス!?」
 全身傷だらけで呻くその顔は暗く沈んでいる。
 慌てて身体を支えると同時に、血の匂いが強く鼻をついた。
 不吉な予感に、心臓が高鳴る。
「クルスが…どうしたの?」
「うちら…砂漠で話してたんや…。そしたら…」
 切れ切れに語るナナシの言葉に、ティナは顔色を失う。
 話し場所に、わざわざ砂漠を選ばなくても、と思う一方で、その先の続きを必死に聞きだす。
「そしたら?」
「盗賊たちに襲われて…。オレは逃げられたんやけど…クルスの方は…」
「…!」
「あいつら…異国人、ひっつかまえて…どっかに、売る気、みたいや…」
「な…!!」
 紫欄の目が、限界を超えて見開かれる。
 開いた口が、言葉を探そうとして、結局硬く閉じられた。
 捕らわれた、ということか。
 しかし。
 今は、戦力的に頼りになるカイオスはいない。
 アルフェリアも、城だ。
 副船長も、いない。
 クルスとナナシ、二人がかりでやられた相手だ。
 それを女の自分ひとりで、相手に出来るのか。
(けど…)
 ティナは唇をかみ締める。
 握り締めた拳が、汗を孕んで微かに震えた。
 緊張と、焦り。
 行くべきか、助けとなる人物の帰りを、待つべきか。
(けど)
 クルスは、これまで自分が危なくなったときに、駆けつけてくれた。
 出会ったばかりの頃――何も分からなかった自分が、堕天死の聖堂に迷い込んだとき、番人の攻撃から庇ってくれた。
 ――その、命を顧みずに。
「どこ?」
 決意を込めた言葉が、その口を割る。
 ナナシは、汗ばんだ顔を、微かにゆがめた。
「おねーさん、まさか、一人で…」
「いいから」
「………」
 少年は、一息ついて、呟いた。
「死に絶えた、都に、さらった人間、連れ込む…みたいな、そんなこと聞いた」
「…」
「よく、ある話なんや…ここらへんやと、異国人とか、混血児とかが、よう『行方不明』になる。せやから…」
「敵は、『組織だってる』可能性が、高いってわけね」
「それでも、行くん?」
「当たり前でしょ?」
 負傷したナナシの傷に手をかざしながら、彼女は微笑んだ。
 一度決めてしまえば、覚悟は自然についた。
 そう、彼は自分を助けてくれた。
 自分も、彼を助けなければならない――持てる力の、全てを以って。
「それが、相棒ってヤツだからね」
「………」
 不安を締め出して、にっこりと笑うと、ナナシも血の気の引いた顔で、微笑んだ。
 キルド族にしては、異端の色をした瞳を静かに閉じて。
 どこか寂しそうに、彼は呟いた。
「…せやな…。あいつは、幸せやな」


 人ごみに紛れてさまよい歩く、一人の少年がいた。
 空ろな瞳に意思はなく、何かに操られているようにも見える。
 ふらふらと頼りない足先は、ともすれば、雑多な人ごみの中で、倒れそうになりながらも、持ち直して、その行く先を再び目指す。
 傍目には――操られた死者のような少年は、人ごみに紛れて、ふらふらと彷徨っていた。
 その手に、小さな石の欠片を持ったまま――



――コロセ…コロセ…。アノ女ヲ…。



「あの女を…ころせ…」
 亡羊とした瞳が、頭の中で響く言葉を反芻する。
 闇の石板という、媒介を通して――彼を操る、七君主の、慟哭を――。

* * *
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.